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第22回 特別授業Ⅲ 世界の理の1つ !閲覧注意! [授業・雑記]

 今回の話は今までの回のような皆さんに見てもらいたい内容とは違い、見たい人は覚悟を持って内容を見てほしい。 理由を言うと、今回の話は普通の人が一生を終えるまでに知る必要のない話で、安易に見てしまい、夢や希望が持てなくなることや罪にさいなまれる事、不幸な気分になることに際してこちらは一切謝罪等はしないつもりです。(特に熱心などこかの宗教団体(代表的なキリストやイスラムの方)に所属してる方は見ない方が幸せだ。) 今回の話は暗く重い内容なので見たいと思う人は世界を知りたいと思う求道者で覚悟を持って見るように。(確実に言えることは、見た時に戦争がこの世で終わることが無い理由や世界中のみんなが幸せになる道は無いという事が分かるからだ。 この警告の下の文を見たとしてもできると言うのなら、どうぞご意見を。)

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 前回の話の最後の方にちらっと話したが、「何かを得るためには何かを失わなければ何も得ることはできない」と言ったが、これはこの世界に住んでいるすべての生物に言えることである。 人間ではこの法則を超えたものは存在していない。(不老不死の生物はいないだろう?さらに時間を自由に移動もできないだろう?)
 この言葉を分かりやすくすると、全ての生物は生きるという事を得るためには、その時の時間や寿命等を失わなければ生きるという事はできないのである。(たとえこの先の未来に若返りの薬ができたとしても、過ぎ去った時間の中に存在したものや現象は過去のものであるという事。 時間転移技術(タイムマシン)ができたとしても、過去を見たり過去の体験ができたとしても、それを過去とどこかで思ってしまうこと自体がすでに何かを失っているという事で、その過去で嫌な事を変えてしまった場合は、今に戻ったとしても戻る前の今は失っていて変えた後の今に戻れるだけという事になる。(この世界は数多あるツリー構造のもので構築されていると想像されるため、時間転移技術ができた時に過去や未来に行き、その世界で何かを起こした時に過去なら今が未来ならその未来が行く前とは変わった世界になるという事だ。(つまり一度でも変えれば同じ世界にはたどり着けなくなる。)))
 この世界に存在する生物は生きるために何らかの行動をしている。人間等の動物は何かを食べることにより生きる事が出来ている。食べるという事は命あるものからその命(又は体の一部(蜜や実、ミルク等も含む))を奪う事である。(これは動物だろうが魚や植物だろうが当てはまることである。) そして奪う命の数は生きる時間が長いほど多くなり、行動を多くする生物ほど多くの命を必要とする。 特に人間などは生きてから死ぬまでに数えきれないほどの命を食べていることになる。(自分がやろうが他者がやろうが、それを食べたのであれば、食べるために命を奪ったという事になる。) 一つ注意として話しておくが、プランクトンの数まで含めると数えきれなくなる(それ以前に数えるバカはいないとは思うが)ので止めておいた方が良い。(数えると桁の最高まで行く可能性も)
 そして人間は、生きるにおいて幸せを感じたいと思っている存在でもある。(その生物に意思が存在していれば同様に思う事なのだろうが、代表例として挙げている。) ここまで読んでいる皆さんは考えたことがあるだろうか?幸せを得る人がいた場合、その人が幸せを得るときに他人を不幸にすることで、自分の幸せを得ることが日常的に普通にある事に。(お互いが幸せを得ること(この時は何も失わないとか思っている人はバカである。常に時間(寿命)を失っていることを忘れずに。)もあるが、相手から幸せを奪う事の方が圧倒的に多い。) 代表的な事を挙げていきます。何かを食べること。(都会等の買い物ができる場所では、自分が買いたいものを相手よりも早く買わないと誰かに買われてしまうという事が既に。食べ物だと、良い物を食べることが他の人から奪うという事になる。(店等にある食べ物の数には限りがあるのだから。) 田舎や自然の中で自分で採取して食べる場合も、早い者勝ちやより良い物を選んだ時に既に。) 買いたい物を買った時。(食べるときとほぼ同じ。) 誰かに何かをあげること。(価値等があれば自分は不幸に相手は幸せになる。)
 地位や名誉や立場。(上下の関係が少しでもあればそれに関係して存在する。 2位が1位になれば1位が2位以下になる。会社で誰かの給料が上がれば会社のお金が減る。 テストで99点を取っても他が100点なら99点でも最下位だし。全員が100点なら喜ぶか喜ばないかの2択。(学校側は良いかもしれないが、保護者側は何かあるのではと不安になるだろ。)) その他いろいろ(人の存在とかも)

 このように見てみると、必ず誰かは人の幸せを奪う事で、今の自分の存在をさせているという事が分かる。
 それも数えることが嫌になるぐらいの数をだな。 つまりここまで読むところでは、世界中の人々を幸せにするという事は事実上不可能であるという事だ。(前に話したかもしれないが、人の中には必ず誰かの不幸を見る事で自分が幸せを感じるという人がいる。(他人の悪口や不満を言う事が最たる例であるな。)こういう人も幸せにするためには、誰かが幸せを感じない(不幸)ようになることが必要になってくる。)

 次の話は戦争がこの世界から絶対に無くなることが無いという事だな。
 戦争と一口に言ってしまうと、皆さんが思う事は人殺しの戦争や紛争と思うだろうが、それは普段の日常の中でも普通に見ている光景である。戦争とは人と人が争う事という事であるから、何らかの形で争う形になればそれは戦争という事になる。普段から慣れ親しんだ言葉としては競争という言葉になるが、あれは競い合う形と見る事も出来るが、競い合いの中で順列を付けることが存在した瞬間からそれは競争でもあり、戦争という事に見る事も出来るという事だ。(勝ち負けを争うのであれば、それはすでに戦争の定義の成すところであろう。) 普段から見る事ができる戦争は、タイムセール等の戦争やテストや受験・就職等も戦争という言葉が付くよな。勝ち負けを決める競争であれば、会社間の売り上げ競争とかもあるし、一番の代表例がスポーツという事であろう。日本の皆さんであれば、野球やサッカー等のスポーツも見る事があるだろう。あれらのほぼ全てが相手に勝って優勝するための行いと言う事であるから、そのスポーツにおける戦争と見る事も何の不思議な事でもない。(世界の人々が憧れたりするオリンピックでさえも戦争の集合体と言えることである。) 戦争は一番はっきりと、得るものと失うものが分かるものである。

 この戦争の話を読んでもらえばわかると思うが、戦争という言葉や形を変えたとしても大勢の人が魅力と感じて夢中になれる事は、誰かが勝利し誰かが敗北することを見る事が、人間にとって最大の娯楽になるのであるから、誰も殺しあわない戦争であれば皆も頷けるだろうという形が、一見戦争に見えなくても本質から見たらそれは戦争であるという事で、こういう物事の本質を見る事でこの世界から戦争という言葉が消えることは絶対にありえないことであると分かってもらえることだろう。(誰も勝ち負けを気にすることが無くなれば可能かもしれないが、それはもう人と言う種が存在することを否定することに繋がるのでありえないだろう。(つまり欲望や感情を完全にコントロールして機能させなくすることと同義であるから。))


 さて、ここまで読んでもらって気分はどうだろうか?たぶんだが読む前よりかは気分が少しは悪くなっているだろう。ここまで見て後悔したと思った人は覚悟が足りなかったという事だな。 この話で言えることは、普段何気なく思ったり他の人がつぶやいたりする平和(幸せ)になる事や戦争が無くなればよいという言葉は、いかに難しい事であることや何も考えていないという事が分かる事だろう。 そして人間が生きることにおいての罪の大きさもわかってもらえたと思う。 そういったことを知ったうえで、世界をより良くしようと思えるのであれば、何らかの形で幸せ等を得ようとするならば、必ず誰かがその反対の不幸に会うことを肝に銘じて覚えておくといい。(国を動かす政治では必ず、何らかの方向に動けば必ず被害者が出るという事も忘れずに考えてくれ。(政治家や国民や税金とか))
 では、今回の暗く重い話はこれで終わりにする。これを読んだ後は好きな事をして気を紛らわした方がいいよ。 ここまで読んでもらいまして誠にありがとうございます。 終了
タグ:戦争 授業
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