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第27回 問題 スーパーやコンビニで買い物をするのに分数等の計算はしますか? [教育]

 答え 計算をすると答えた方は、今すぐ病院へ向かってください。(更新夜だから閉まってるか。)

 今回は前回の続き系の感じなのですが、小中と高(学校)も含めて普通に生きていくには無駄なこと教えすぎじゃない?と感じたのでこんな問題を出しましたが、皆さんに尋ねたい 義務教育や高校等の勉強全てが役に立ったと思いますか?(日常生活を送るうえで) 例えば理科の教科で元素記号全部言えて日常生活のなんの役に立ったのですか? 台形の計算や分数や円周率は使いますか?そもそも計算式覚えていますか?(私は使わないので忘れましたが。そもそも生きていくうえで必要ないよなと考えながら授業を受けていたので、テスト後に忘れましたが。) 昔は詰め込み教育で失敗したのではないかと、ゆとり教育に切り替えて、それも失敗だったからまた詰め込み教育に切り替えると言っていますが、なんでしょう?数をこなせば人の学力はどんどん上がっていくものでしょうか?(そりゃ一時的には上がるかもだけど、それが社会のなんの役に立つのだ?) 今の教育を考える人達は根本の事を理解していないように見受けられる。 受けられる授業時間は決まっているのに、無駄な事を詰め込みで教えてもあまり意味のある行為とは思えないのだが。
私が言いたいのは学力の順位が社会に出てそんなに影響を与える物なのかどうかだ。 例えば総合学力トップが、ある1つの教科においてだけ天才的な考え方ができるものと比べた時に、どちらが優れているといえようか?総合能力が高いと大体の事はできると思うが、なれる人物は数が少ないだろう。(全部に時間を割いて、それら全てを覚える必要があるから) しかもその教育方法だと、大量に普通かそれ以下の人も出てくるだろう。(このやり方は今の教育方法だが、このやり方で行くと社会に出るときにその仕事毎にまた勉強をする等の事が必要になることが多く、義務教育等で教えてもらった知識が本当に全て役に立つのかは疑問が残る。) これとは逆に私が考えるのは、小中学校のうちから最低限社会に出るときに必要な事は教えて、あとは選択式で勉強したい教科を集中的に覚えていく方法にしてみてはどうか?というものだ。(最低限社会に出るのに必要なのは、普通に日常で暮らしても問題の無い程度であるという事だ。)基本的には、子供が楽しめるところの内容から始めていって、楽しみが減っていき本格的な勉強の辺りになったら、個人個人がさらに知りたいと思う教科を選択してもらい、それを集中的に教えていく的な感じかな。

 こうやって必要そうな言葉を並べていくと、話がこんがらがってきて難しくなってくるので、ここから必要な要点を絞って楽な感じで説明していきます。
 要は小学校低学年は、各教科を楽しみながら覚えていく事をして、あまり難しい事にまで挑戦をせずに社会での応用も含めて教えていく。小学校高学年辺りになったら、基礎教科で難しいのをやるか今の感じの応用を深めていくかの選択ができると良いかも。6年位になったら政治の勉強を軽くやってもよいかも。(今の時代に必要な事は早い段階からの政治に関心を持つことでしょ?) 中学校では、基礎教科からの派生を選べる感じにしていくと良いかも。 ちなみに部屋の構成は小学校低学年は今までと変わらないだろうが、高学年だと、教室内で2つのグループをより難しいのをやる人と応用を深める人に分けてやる。中学校では基礎教科になっていたものの数を少なくして、派生の教科を多めにすると良いかも。
 このやり方で行くといわゆる落ちこぼれと呼ばれる子供を少なくすることができる。だって好きではない教科はあまり難しくならないようになるからだ。 詰め込み教育で一番悪い例とされていたのが、成績による格差というか学内順位で頭の良い物とそうではない物を総合的な目で見ていたからである。これを避けるのであれば、最低ラインを下げて最低限のところを理解すればよいという事にして、あとは自分の好きな科目を特化させてそれで自信をつけてもらえたらよいのではないのか?(それにこのような方法を取ると総合順位というものが無くなる可能性も出てくるだろう。逆に出てくるのはその教科ごとの順位になるだろうから。)
 簡単な見方で行くと、早いうちから大学的なコマ割り方式で授業を行っていくのが良いのではないのか?という一言に尽きるのだろうが。(いろいろ言ったが、これが一番しっくりくるだろう。)

 このやり方の悪い点は、総合学力が低下するという事だな。まあ、全部の教科が好きになった人は変わらずに高いだろうが、各教科で最低ラインを形成する形になるから、数教科は高いがそれ以外が低いという事になり(全部ひっくるめて難しいのをやるわけではないから)、結果的には低くなるだろうが、子供の満足度は上がるのではないかと考える。勉強が苦手でも運動が得意な人も必ず出てくるだろうからな。そんな子は最低限の勉強をやり遂げれば、早いうちから好きなスポーツに取り組める時間が増える事にもつながりやすいし。

 (英語は必修科目なのかねえ。そろそろ便利な自動翻訳機が世の中に出てきそうな時代で。あと、外国語の授業は一番落ちこぼれ等が出てくる可能性がある科目だよね。今の教育をそのままの形でやっていくと、また不良系が多く出るかもね。) ちなみに翻訳機で余談の話になるが、すでにヘッドフォン型であれば作ることは可能だろうね。(だって各言語の機械の認証ができるのであれば、相手が話した言語をスピーカー内で翻訳して流すことができるでしょうから。 まあこれを作ったら外国語の授業を受ける人が低下するだろうけど。)


 今回の話をまとめると、学校授業の内容で各教科の必要最低ラインを決めて、早いうちから個人個人好きな授業を多めにやる方向性にしたらどうかな?という事で、総合的な見方よりも個人の能力の良いところをさらに高めていく授業にしてみてはどうですか?と言う案を提示してみた形です。(今のままだと、覚える気の無い事を無理やり覚えるようにされて、できたら学校が喜びできなかったら落ちこぼれにされるような、子供の未来を考えたものではなく、学校側の教育者側の立場の見方による評価の点。つまり国の学力を上げる事が第一と考えたものではないのかと私は思う。)
 では今回の学校編パート2を終わりにさせていただきます。(これ以降は無いと思うけど。) 長くて難しくなった話をここまで読んでいただき誠にありがとうございます。(次は苦手な学校分野を辞めて他の分野の話にしますかね。 ほんとはこの回もグダになりそうだった。(中盤だけ)) 終了
タグ:学校 教育
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