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第62回 天皇の言葉 私の感じたこと(日本の裏の顔) [政治経済改革]

 今回は昨日あった天皇の言葉を聞いて私が感じたことについて話していきます。私が昨日の言葉で気になったところは、天皇はすごいお年寄りになっても病気で動けなくなったりしても、例えば不運な事で子供が成っても仕事をしなければならないと定めた今の制度の悪さと、天皇が亡くなった時にする行事の長さと、それと並行する形で新たな天皇の行事を同時にやる制度の非人道さが、私が感じたことです。今からそれがどれだけひどい状況になっているのかを解説していきます。(これで日本という国は、象徴として決めたことに対する酷い現実と、日本という国は世界から見て凄い遅れている国だという事が分かるでしょう。)

 今の平成の天皇はすごい高齢になっていることは皆もわかっている事であろう。それでもしなければいけない仕事の数は、若い時よりも増えているのが現状で、この現状は「お年寄りを大切に」とか「お年寄りを敬う心」が今の政権等には存在しないのではないのかと思わせる内容である。(政権等の部分は、仕事をさせている人達という意味だが。) つまりこのままの意味を持つと、日本の象徴はすごい高齢でも仕事をしなければならないから、「日本の国民は死ぬまで一生働き続けろ」と言う意味にもとられるという事だ。(自由を愛する国の象徴がこれでは、まるで矛盾している象徴だな。自由など一切与えないという意味に取れるからな。)
 次のワードは、病気や事故で動く事や仕事を行うに当たり困難になった場合でも、天皇を辞することも一時的に交代する事も出来ずに、大事な仕事ができない状態で天皇というのがただの置物みたいになり、国民を思う人であるならあるほど、それは酷い苦痛になる。 つまりその状態になったとしても対策をとれない制度は根本から間違っているという事だ。 先の高齢の補足も加えて話すが、高齢になっても仕事量は変わらずにやれるなどほぼ無理なはずであり、徐々にミスが増えたり急に休みを入れざるを得ない状況が出てくるだろう。今は一部仕事を他の皇族の方に分担をしたりとしているが、それでも自分が出来ない状況というのは天皇にとっては心苦しい事にもなり、天皇に苦しみや苦労を掛ける事にも繋がっていく。そしてそれが続けば、いずれは病気がちになったりすることが増えてきてさらに仕事が出来なくなるという悪い傾向に入ってしまう事になるだろう。今の制度では天皇は死ぬまで仕事をせねばならず、見方によっては天皇というのは使い捨て天皇という見方にもとれてしまうのが現状だ。 日本の象徴は使い捨てという事を変えられないというのであれば、日本の悪しき文化は変えられずに、世界から見ても日本は最低の国の1つという事になるだろう。 天皇の仕事は国民に幸せや平和等を与える重要な仕事であるのに、それを行う事が難しくなったり出来なくなる状況を平然と無視をして、全ての責任を天皇に押し付ける今の制度は直すべきだと私は思う。
象徴として見る物は、いずれ国民に返ってくるものであるから。これを変えられないというのは、国は日本を大事になど思っていないという事が明白にわかる事だ。
 そして私も天皇の言葉によって思い知らされたのだが、今の制度の状態で悪い不幸がもし重なった場合、天皇は未成年という言葉を使ったが、私はさらに踏み込んで発言するが、たとえ小学生以下の年齢や赤ちゃんの年齢だったとしても天皇という重責を押し付けて仕事をさせようとするという事が分かった。 これは、何かの事故や病気等で天皇が次々と亡くなっていくようなことが、もしも起きてしまうようなことがあった時というものだが。(一番危険視するのが、首都直下の地震の時だろうな。) 今の制度上ではほぼ無理な年代というのにもかかわらずに仕事が発生するという状況になる。(象徴でもある存在に対して本気で仕事をさせるようなら、日本の文明も終焉だな。) 普通に考えて仕事が無理という状況では、これもまた重大な欠点になる部分になるだろう。天皇も言っていたが、成人を迎えるまでの代わりを行える人を着かせる事ができるようにしないとこれもまたまずい事になるだろう。(ちなみにこのような状況というのは、他に代理を任せられるのは皇族の女性か、今皇室から離れている家族のどちらかになり、どちらにしても現制度ではできない事となる。 ついでにこの時に男尊女卑の現状も変えなければいけなくなる。) つまり今の制度のままでは、0歳児だろうが100歳迎えようが病気や事故をしたとしても、20~50代クラスの仕事をしなければならないという事になる。(できなければ、いろいろとまずい状況になっていくだろうな。日本の象徴が壊れる結果になる。)

 だから私も天皇の代替わりができるように制度を変更するべきだと思う。交代した後は、次の天皇のご意見番や相談役のように後ろから見守る立場になるというのが良いのではないのか? また、天皇が高齢になってきたら次の天皇候補に仕事をいくつか回して経験を積んでいくようにすることはできないのだろうか? それは良いやり方を学ぶいい機会に繋がる事になるし、もしできなかった事や不備があっても今の天皇に教えてもらう事が出来るのだから。

 次の内容だが、天皇が亡くなった時と同じくして、即位の式も同時に行なっていくというのは、新たな天皇にとっては本当に心苦しい事になるというのは言うまでもないだろう。(これが会社でドロドロしたものとかであれば別であろうが。) 先の天皇が亡くなって悲しい時で、別れの式などをしないといけない時なのに、それと同時に祝いの式である即位の式も同時に行なうというのは、今の制度は人道的な事をまるで無視した制度であると言えるであろう。(天皇が亡くなったことを大いに喜べと言った意味や、新たな天皇ができる事に大いに悲しめという具合にもとれてしまう。) こんな人が死ぬことを喜ぶような今の制度は、即刻変えるべきであるとともに、この制度を元にして今の日本の象徴があると思うと、それは最低な悲しみの象徴ともいえるのではないだろうか。(これが日本の裏の顔だとすれば、日本は本当に最低の国だという事だな。 アメリカ等に喧嘩を売っていた時とまるで変わっていない心構え。 表の顔だけ変えたのか?今の日本は?平和と安全の国という事に。 これだから今の日本は良い方向に行けないのではないのか?)

 これを変えたいというなら国民の力を持って象徴の有るべき意味を取り戻すために声を上げる必要があるだろうな。そして国民の力で国を動かさなければいけないだろう。(もちろんこれを変えるときには、男尊女卑が今も続いている皇族の事情も変えられたらよいのだがな。)


 今回はかなりまじめな話として掲載している、今のところのニュース等では、こういう所に踏み込んだ話はあまりないような気がするので、私の話しも1つ頭に入れて考えてみてほしい。
 今回も私の長い話を聞いていただきまして誠にありがとうございます。
(そろそろ雑記で何かを入れるかな・・・) 天皇~終了~言葉
タグ:天皇 日本
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