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第133回 人間の集団を国を長く存続させるためには、弱者を守る努力をしなければならない。 [授業・雑記]

 今回もまた論文系の感じで話していきます。今回も世界の命題に近いもので、なぜ人間で種の存続を途絶えさせようと考えるこの世界の生命で愚かな考え方をするのか?という事についてです。(今回の話は自殺がダメとか言う話ではなく、強気者が弱き者を虐げるような社会をして、いずれは自分で自分の国を滅ぼすような道になぜ進むことをするのか?というお話です。 今回かなり難しめの話なので、興味が無ければ無視して結構です。)

 この世界の言葉を一言で表せば、弱肉強食という言葉が一致するでしょう。強気者が生き残り弱き者が死ぬという事です。これは今の自然界でも人間社会でも普通に見られる事でしょう。しかしこの言葉だけをそのまま見ていくと、この世界は成り立たなくなってしまいます。この世界の生命には時間と寿命の存在があり、ほぼ全ての生命において強い時と弱い時が存在します。(一番わかりやすいのは、物理的な強さでしょうね。)動物で挙げると、生まれた時からしばらくは弱くて、成長して青年期になれば強くなる。しかし時を重ねていくとまた弱くなっていく。これが大体の流れですよね。そしてこの式と弱肉強食を当てはめた場合、生命はすでにすべて絶滅していることになってしまいます。そうですよね?強気存在が弱き存在全てを倒しつくして、残りが強気存在だけとなっても時間が経過した時にその強気存在が弱き存在へと変化していき、そしてまた高い強気存在だけが存在を主張できたとするのであれば、最後に残るのはただ1人のみとなり、そして時間の経過でその残りもまた弱くなりそして潰えて、生命の存在がすべて消える事になるのですから。 これは弱肉強食というルールだけを見て取った時に起こる例です。これでは種の存続はままなりません。
 だからこの世界の生命は、強気存在が弱き存在を強くなるまで守る事をすることで種の存続を図っているのです。同種族内等で、強気存在が弱き存在が成長をして強くなるまで他の強気存在から守る事により、弱き存在も生きることが出来るようにして種の存続をしているのです。 つまり弱肉強食のこの世界でも、弱き存在は必要であるし、守り成長を促していく必要があるのである。この流れを放棄しては、弱き存在が他の強気存在に倒されて、種が途絶える事に繋がっていく。 つまり強気存在が強気存在を守るのでは種は存続していけない。だから種の存続を果たして行く為に、強気存在が弱き存在を守る必要がある。 これが今よりも続く世界の流れの1つであろう。

 しかしこの事を見ると、人間の社会の一部の人間達は、種の存続=国の存続などを考えないようなやり方をしている者がいる。 人間の社会で見る強気存在とは、国を動かしていく者達だろう。そしてその国の中で弱き存在は国民(国を直接動かせない者達)という事になる。 この流れで最近の世界では貧富の格差が激しいものとなっている。そして貧困層は種として満足な生活を送れないまでになる者も多くいるのが現状だ。 これは先ほどの説と見比べると、強者が強者を守り弱者を切り捨てるという流れになっていることが見て取れる。つまりこれを続けていけばやがて種の存続が全て途絶える所まで行くことが予想される光景なのだ。ここで言う種とは、先ほどにも出したように国自体が無くなる事を言う。そして国が消えていけば、やがて人類の絶滅に繋がっていくという事だ。 そしてこの現状の貧富の格差が激しくなっていくのを放置した時は、徐々に少子高齢化の流れになっていくだろう。 これはなぜ起きるのかというと、子供の内は弱くて守らなければいけないというのに、国が弱い存在は守らないというような政策を取る事が多いからだ。(理由は今の即戦力にならないから。) そして弱い存在を守らない事には貧困層も入っている。つまり貧困層の子供はいらないという事になりがちになる。しかし数からして多いのは富裕層よりも貧困層の人間達である。 貧困層を見捨てていく結果は、人間の数の減少とそれによる経済等の力の減少に繋がっていき、全てが悪い方向に導かれていく結果になりやすい。 それに今いる貧困層がすべて消えたら貧困層が無くなるのかといえばそうではない。今の社会の仕組み上では、今の中間層の下側に位置する者達が新たに貧困層として数えられるだけの事である。そうして行くと、弱肉強食の名のままにどんどん潰えていく結果となっていく。 これは種の存続の観点つまり国を存続させる意味から行くと、間違えた方向という事になる。
 さて子供は弱き存在として見られた場合、老人はどうみられるのかというと、動物の社会で見られると子供と同じく弱き存在として位置づけられるのだが、人間の社会の中ではどちらかというと強気存在の方に位置づけられる。これは今までの頑張り等で力を蓄えた結果、体は弱くなったとしても知識やその他の力で強さを保っていられるからである。 とすると、老人は弱き存在であるから守らなければいけないというのは、青年や成人からしたらそう見えるのだが、実はこの流れは強者が強者を守る流れにも一部繋がっている。つまり、あまり老人に対して守る力を強める傾向に出ると、強者が強者を守り弱者を見捨てているという見方にも見られることになる。(そりゃあ国を動かす存在の者達は強者であり高齢者や老人が多いのだから同じ存在を守りたくなるというのもわかるが、あまりそちらの傾向を高めると、今国を作っていく者達が弱っていく事に繋がりかねない事も覚えておいてもらいたい。) もちろん老人の中にも強者だけではなく、弱者も存在しているだろう。しかし老人の中では弱者という存在が少ないというのも事実だ。この事実は、対象を子供と見比べての事だ。(ここで言う子供とは未成年者までの年齢を指す。つまり赤ちゃん含む。)老人は貧富の差はあれど生活に困るほどの弱者の数で行くと、強者の数が多くなる。逆に子供の場合は、親が富裕層であれば強者という見方も出来るが、その数は少なく大体の子供が中層から貧困層という事になり、さらに子供自体では生活することは難しいので数的に見ると弱者が圧倒的に多い割合を占める事になる。こういう見方で行くと、子供を守る事の方が弱者を守るという事に繋がるのだが、老人がなぜ弱者という見方で守られやすいのかは、今までの貢献と今も持っている力が使う事も出来るという見方で見られるから、体が弱くなったので弱者として見ていこうとするのが流れである。
 こういう流れで老人という弱者を守ろうとして少子高齢化が進んでいくという事になりやすい。 ちなみに弱者というので見たら障害者も弱者であるのだが、こちらも老人と同じように弱者ではあるものの中には強さを維持できたり強さを得ていたりする者もいたりして、完全に弱者として分類することはできない。割合で見ても少し強者が上回るぐらいだろう。(もしくは逆か。 最近は科学技術の発達で弱者から強者になれる者達も増えてきているしな。) そしてこういう感じで見て弱者的順位を見てみると、1番が子供であり2番障害者3番老人という流れになるだろう。この流れで見ても老人はそこまで弱者ではないと見える。しかし弱者でありながら強者でもあるという見方から1番守られたりもしている。しかし本当に種の存続を目指すのであれば、子供を未来を守るやり方をするのが本来のやり方であろう。


 それでは今回はここまでといたします。 ここまで見ていただきまして誠にありがとうございます。
 弱肉強食~終了~弱者を守る必要







 ちなみに今回の話は、私が独自に考えた話です。まあ話のタネの1つ程度に感じてくれたら幸いです。
 そして別な事も交える予定でしたが、話が濃くなりすぎて混ぜたらまずいと思いここには混ぜ無い事にしました。また別の回にて話そうと思います。(内容が一部似ているのだが、ここまでのレベルではない。)
 この話は煮詰めようとしたらまだいけるかもしれないけど、私だけでは今のところこの辺りぐらいまでかな。
 E N D...
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