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第271回 暴力団等反社会集団を野放しにして民を無為に苦しめる社会はいかがなものか? !危険注意! [犯罪対策]

 さてブログが落ち着いてきたところで、誰もが意識はしつつも日常の中に溶け込んでいるような暴力団等犯罪者予備軍を放置して周辺の人々を恐怖な状況に追い込んでいるこの日本社会はいかがなものかと、今宵切り込んでいきます。(ただし解決方法論としては、独裁的民主主義かつ衣食住最低保障システムを駆使しなければ実現不可ですが。) ちなみに今回は、暴力団等だけの攻撃ではなく、むしろ本命はそれを容認する社会構成に対してです。(まるで人が傷つき争い合う光景を日常的に見たいのかとも思う狂気のこの社会構図がおかしいのではないのか?という内容です。)

 「暴力団」それは反社会的に行動して社会に対して攻撃や人々を苦しめる活動を主にしています。そして表では資金等を稼ぐことがほぼ不可能に近いので、闇の仕事や犯罪を駆使して資金を集めて活動範囲を広めたり戦闘行為を各街で散発的に引き起こしたりもします。昔の日本では、暴力団同士の大規模な争いが民間人にまで被害を引き起こす事も多々あったようです。そしてそれは今はまだ起きていないというだけに過ぎません。(最近の分裂抗争問題に関して。) この集団は反社会集団として認められていて裏では犯罪などを起こして資金稼ぎなどで生計を起こしているというのに、なぜ普通の社会構成の中に溶け込んで生活が出来ているのでしょうか? 裏でやっているとは分かっていても直接的な証拠が無ければ動けないから放置ですか?それとも今はまだ表だって動いてはいないので放置ですか?それとも警察の存在を引き立たせる為に街に暴力団などの存在を置いて、警察が仕事がしやすいように配慮された社会構成なのでしょうか? 彼らは組織として構成されて組織立って行動しているだけで、周囲に恐怖や怯え等の感情を振りまいています。なんといってもいつ攻撃してくるのか分からない暴力集団なのですから。それに彼らもこの日本の中で普通に銃を所持していつどこで発砲してくるのか分からないのですから、そりゃ民間人にとっては怖い存在でしょう。アメリカのように銃社会で普通の人もが銃を携帯しても平気な社会であれば多少は心持が違うでしょうが、日本は原則銃刀関連の一般人の所持は禁止とされているので、海外に比べてもこの暴力集団の危険性は高いと見るべきでしょう。 今は法律や警察の行動などで厳しく管理されて普通載せ活を営みにくい状況として扱っていますが、それでも彼らの勢力は以前危険視レベルがかなり高い状態を維持しています。近年は少子化や法等の厳しさが増している中で勢力人数的には減少傾向にありますが、それでも銃を所持できる時点で危険性は変わりようがないでしょう。さらに言えば最近ではテロリストと同じように身近な殺人兵器である車やトラックを使っての抗争事件も数多く起きています。彼らは常に何かしらの存在と戦争をし続けていると言っても良いでしょう。それも日本の暴力団に限って言えば日本全土を舞台にして。(海外でも何かしらやっているみたいですが。) このように常に危険性を振りまき裏の犯罪で稼いでいる連中を社会構成要素の1つとして平然と放置をするというのは、いかがな社会ですかな? 彼らに抗争や戦闘を時折引き起こして警察の名誉と功績を上げる為に必要とするのであれば、この社会構成は普通の人々の犠牲の元によって構成されているといえます。犯罪者を守り普通の人々を犠牲にしつつ警察の地位を守り保持して行く為の社会なのかと思ってしまうくらいに。そして警察だけではなく法律や政治に関しても同じことが言えますが。どっかで裏取引でもやっているのですかね?

 と、好き勝手に犯罪者集団だろうからさっさと捕まえとけよ的な空気にしたでしょうが、この暴力団に所属するすべての人を犯罪者として決めてかかるつもりは毛頭ありません。 そもそもこの暴力団には、社会から見放された人や捨てられた人達が行く当てもなくなってたどり着く場所の1つだからです。たとえ悪の道に片足を突っ込むことになろうとも集団に属して居たいや好きに行動したいと思ってこの道に入らざるを得ない人もいるでしょう。なので全部が全部悪人と決めつけるような事はしません。それでも現在は其処で活動をしているのだから結局今のままではごっちゃに混ぜて考えざるを得ないような状況です。 社会の中に不安要素が有り、自由が無い状況を作らされるからこのような人々を生み出す事にも繋がるのです。犯罪そして人々を困らせたり騙したりして何か(物体等)を奪う行為は自由にすると言っても人間の社会として平穏を与える事としてはいけない事です。

 ならば存在しているだけでも生活の為の犯罪行為や周囲に不安や恐怖をまき散らす暴力団をまとめて無くそうとするのは簡単だけども、それでは一時的にしか過ぎないでしょう。また今の社会構成上の警察や行政に法律等では、表立った存在を完全に無くす事は不可能に近いでしょう。(犯罪者すらも人権によって守り、普通の人々の人権をかなぐり捨てるこの社会上では。) 社会的に捨てられ見放される人が生み出される社会の中での根絶は不可能な事なのです。だから今の社会で放置されているとも言えるのでしょうが。(根本的な解決策が現状の状況で確実に不可能だから。) そしてそれは同時に人々が生まれてきた意味や存在する意義などを否定してごみに捨てる社会にもなりえているという事だ。 個人の意識下での人生という存在が1度きりしかないという世界において、自由に夢を目指し生きて行くことが出来ない社会(犯罪関連除く)など束縛され過ぎたつまらない社会という事に他ならないだろう。そしてまさにその社会こそが地獄とも呼べるのかもしれないな。

 さてこのような問題に際して、解決する為にはいかがするべきかと問われれば、その社会構成全てを変える方法と人々が自由に夢を追いかけて行くことが出来る仕組みの構築が必須となるだろう。 その上での私なりの解決方法が独裁的民主主義と衣食住最低保障システムによる方法が1つの手段として掲げているわけだ。 それらの細かい説明はその回を見ろというしかないが、どのように活用するかにおいては、まず現状の暴力団組織に位置する人々に2つの選択肢を与える。1つは衣食住最低保障システムの元犯罪者としての生活環境(その人達専用の施設)を与えてそこでしばらく平穏な生活(犯罪行為をしないかの監視等の元)を遂げての普通の生活(システムそのままに一般の人たちが住む場所への変更)に戻るパターンと、第170回(かなり前だね。)で紹介した犯罪者用の街での生活を送るパターンの2つである。 初めの手段としては、普通の生活に戻りたいか好き勝手な生活を送りたいかで分ける。もちろん衣食住システムの方で問題行動を起こせばただちにもう1つの方へと送られる事になるのだが。 そして衣食住最低保障システムの働きで、今までの社会の中で捨てられて見放されてきた人々すべてが望むのであれば再度夢を目指せるという環境へと変えられるので、こういう暴力集団が再度勢力を拡大させることはかなり至難の状況となる。(そもそもその状況下では、暴力団ではなくただの犯罪集団へと変わるので、暴力団という集団自体の根絶が可能となる。) 救いを求める者を救い、求めぬ者は好き勝手に生活できる世界へと追いやる。 こういう感じでやって、争いの元を無くしていくというのも私の手段の目的の1つだ。 それを叶える手段として、独裁的民主主義を掲げているのだから。


 それではここまで見ていただきまして誠にありがとうございます。
 暴力団~終了~社会








 ちなみに私のやろうとしている事は、反政府活動だとかなり昔に言っていたが、反社会活動ではない。(くっつけられる事多いけど。) 政府と違う形での社会活性を目論んでいるので、反政府活動の行動でもあるが同時に地方や日本の活気再興や夢を思い描いて行動する後押しを重視した発展の方法でもある。 私は今の方法とは違うやり方での真の民主主義の形の実現と、誰もが自由に夢へと向かえる社会の実現するにおいての道標の1つとして独裁的民主主義等の目的を掲げているだけだ。 地方などの活性化を主軸に話す事も多いので、反社会ではない。都市部の一極集中化も懸念しているしな。 まあ反政府活動でもあるが、同時に人々を助ける行動でもある為に、私の行動を潰すような真似はそれこそ反社会行動となる要素がある。それを踏まえての独裁的民主主義への道でもあるのだが。 END
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