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第279回 民主主義国の裏に潜む暴力的解決を望む集団 これが民主主義国? [世界問題]

 さあ日本から韓国と北朝鮮へと飛び火した私の連続回は、今度はまた韓国へ戻るのかと思いきや、ついでにアメリカと日本を巻き込みつつ今後どうなるのか分からないヨーロッパ諸国まで巻き込むような不安の種について解説していきます。 今まさに民主主義の理念が疑われつつある問題です。(まあこれだけだと分かりにくいでしょうが、簡潔に言う不安の種とは、民主主義の結果が気に食わないからと言って暴力の力ずくで従わせようとするのはいかがな事か?という内容です。)

 韓国の罷免問題の回を出した後に知った新たな情報から、パククネ支持派から報道陣に向けての暴行等の行為で暴動状態になったという報道があり、アメリカに引き続き韓国も同じような事態になっているのかと、本当に民主主義のやり方で事を済ませたいと考える人は少ないのではないのか?と疑ってしまうような状況下になったのでこの回で解説をするという流れとなっております。 民主主義とは大多数の国民の意見も含めた話し合いで平和的に物事を進めて行く方式であったはずですが、いつから内容が気に食わないからと言って力ずくで物事の流れを変えようとしても良いという流れになったのでしょうか?(そのような行動をする事自体にも問題ですが、それはそもそも民主主義では無く独裁体制のやり方ですよ?) 結果が気に入らないのであっても、その怒りを暴力に変えて訴えたところで逆にその集団の民主性に疑問を持たれる結果となる事に気付かない人が多いのですかねえ? 民主主義であれば、その怒りを同じく話し合いの場で判決を覆す努力をして返すというやり方が平和的でしょう。それを他者(弱者)への暴力にして訴えるというのは、ただの弱い者いじめ(集団暴行)の民主性の無い集団ですよ。 韓国の件に関してはその対象が報道に向いたという事ですね。報道であれば、抵抗してくることはまず無いと考えて怒りと暴力で訴えるには最適な所という認識を持ったうえでの暴動事件でしょう。そして今回の罷免の件においてマスコミの報道の力が1番強く働いて、今回のプレジデント罷免という韓国史上初の状況にまで追いやられたという状況で見ているみたいですね。だから余計に恨みがほとんど今もその場所にいて気に食わない報道をしている記者達を狙うという流れになり暴行とそして暴動へと流れが移って行ったような感じです。 気に食わない理由として挙げられたのもパククネとスンシルファミリーの疑念を持つ報道ばかりであって公平性が無いというよりも、擁護する報道が無い事に対して怒りを上げている人が多いように見えます。要は真実を追求するな疑念を持った報道はするなという報道精神自体を完全否定する怒りの様な感じにも見えてくるような状況です。全て政府の意のままに報道すればよいという独裁体制を望むかのような状況にもありますが。 まあこの問題の発端へと至る部分に行きつくまでは、パククネ支持派の思うままの報道がなされていたというのに、少し綻びを見つけて報道した所が次第に支持を受け始めてその影響化で周りの政府に従っていた報道各社もこのままでは自分達の報道が厳しい局面に立たされる恐れがあるからと、掌返しのようにこの問題を大きく報道して行ったという状況からの怒りという事があるのでしょうけどね。(そりゃあパククネ支持派にとって始めは政府に従いつつも状況が変わってコロッと身の保身を優先させるような報道に代わるさまを見せつけられたら、怒りの矛先に向けたくなる気持ちは分からないでもない。) それでもその怒りを暴力に変えて訴えるのは、民主主義国のやり方ではない。

 さてこれと似たような状況は少し前にもアメリカで発生して今も問題として蠢いている。前にも詳しく話したからかなり省くが、トランプ氏勝利が気に食わないからと言ってヒラリー派の陣営の一部が暴徒化して街に攻撃したり、トランプ支持派を攻撃したりするのは民主主義を掲げる国としてはおかしい国である。内容が気に食わなければ暴力でそれを変えても良いというような発想は、独裁的な思考そのものである。韓国も同じことが言えるのだが、暴徒化して攻撃行動に移っていない同じ支持派の人が要るだろうに、そいつらがその集団を抑える事をしたり、又は事が起きてから自ら鎮圧に動こうとする動きが無いというのは、結果としてその行動(暴動や暴力行為)を支持する事や無言の肯定を意味する事である。つまりその行動が行われる事自体が民主主義の思想ではなく、力ずくの暴力で黙らせようとする独裁思考である。 民主主義であることを謳うのであれば、その行動をうまく抑える事やもし止められなかったとしても騒動の鎮圧に協力する姿勢やその暴動集団を同じ支持派の人間ではないと完全に切り捨てて反省の意を込める事(今回の件で元身内が迷惑かけてすまないという気持ち)をするぐらいではないと、本当に民主主義の思想思考で考えて平和的に解決しようとしているのか大いに疑問符がついてしまう。
 また日本では国民性ゆえか平和ボケのせいかは定かではないが、国民が暴動に移る事は少ないが、政府や警察に対してのみであれば現在沖縄で攻防が続いている状況にあるのだが、これに関してはどちらにも非があり、どちらも民主主義解決を半ば放棄しているような動きにも見られる。まず沖縄県から見ると攻撃行動こそ少ないが、人間の盾としての動きで相手の動きを封ずる動きを見せていることが多いが、あれは民主主義観点から見ると少々?マークである。次に政府や警察サイドを見ると、それに対して超実力行動と数による圧力での行動は民主性をかなり欠いた行動とも言える。お互いに頭に血が上りすぎているような節にも見られる。(だから土人などという不適切発言が出てくることになったのだとも思う。) まあそもそもは政府側から喧嘩を仕掛けて沖縄が買ったという状況なのだが、民主主義国なのに政府がいきなりケンカ腰の決まり行程で話し合いの余地無しの態度は民主主義国としていかがな状況下と思う。この件ではかなり政府が力による弾圧での物事運営が見られて、民主性をかなり欠いた行動になっている。 (沖縄側がやる手としたものは、アメリカ兵への抗議活動として、民間レベルでの協力体制への低下をさせれば、意外とじわじわとダメージを与える事が可能になり、物事を沖縄側へと好転させることも可能になるであろう。 現に経済の要がアメリカ兵頼りではないのであれば、自分達のダメージ少なく相手へのダメージを大きくする行動も可能となる。 詳しい方法は、聞かれない限り答えません。方法として少なくとも10以上は軽くありますよ。)

 そしてこの流れが今後ヨーロッパで起きる様々な選挙で起こるかどうかが不安視される現状ですね。現在の情勢では、アメリカの状況に似たような状況になっていますから。せめてアメリカ・韓国と続く民主主義解決による不満での暴動で弱者への攻撃行動に移るような民主性の欠いた行動はとらないように期待したいですね。すでに悪い前例が続いているのですから。(日本のことわざになったら困る類いの言葉もありますが。二度ある事は?)


 それではここまで見ていただきまして誠にありがとうございます。
 民主主義国~終了~暴動









 さてそろそろまた日本に舞い戻るか。韓国のスンシルファミリーに日本の籠池ファミリーという日韓ともに似た様な問題が舞い上がっているから。 でもそろそろ一旦落ち着き含めて、スポーツに戻るのも手かな? さて、明日はどちらに? end
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