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第459回 人という言葉の定義とは・・・ [授業・雑記]

 さて無事にこちらの事情も解決しましたので、今日は普通?にブログ作成をします。と言っても内容がやたらと難しい感じで行きますので、小難しい話はパスという方には事実上休みのような回ですね。 そして今内容は昔にも話した宇宙人とは?にも通じてくる内容です。人という言葉の定義で物事の意味を考えてみると、宇宙人というのは地球にしか存在しない事ではないのか?という問題の定義で話を進めていきます。 今回も小論文的な自問自答形式も多く含まれるので、言葉の迷宮に入りたくない方はどうかご遠慮ください。

 まず人というのは、地球に住む人型生物を通称人もしくは人類と定義している。そしてこの人の定義では、人種や肌の色などの違いは有れど、同じく人としての定義付けで定義されている。なれば人型であればそれ全部を人と定義しているのかといえば、答えは違う。人と祖先が同じとされている猿たちは同じような体格や人と呼ばれる種の大名義的2足歩行が出来たとしても、猿という定義で語られる。また猿が人の言葉を話せるようになったとしても、人語を理解できる猿という扱いとして定義して人という定義には当てはめないだろう。であれば、人という定義上は何が当てはまれば人として定義され認められるのだろう? 人語を理解できるというのであれば、この地球に存在するかなりの生物が当てはまるがそうではない。また人語を話せるという事に関して言えば、少数存在しているがこれも人には分類されない。2足歩行に関しても行なえる生物は多くいるが、これも該当はしない。さらに人と同じようにというのは語弊があるかもしれないが、人の知能と比較して同じぐらいの知能を有するという定義でも、該当する生物が少数いるがこれも違う扱いである。だとすると人という定義はこれら全てに当てはまらなければ人として定義付けされないという事になるのだが、人が空想上の存在で生み出した生物にこれら全てが当てはまるのに人として厳格に定義されない存在が出てくる。(ここから少し人が想像で生み出した幻想生物の名前がいくつか出てくる。生物と言っても人型のポピュラーな物である。) それはエルフという種族や完全人と外見や特徴はほとんど変わらない魔族というような種族である。さらに言えば魔法使いに該当される種族も人としての定義から外される事が多い。また日本ではなじみ深い鬼という存在や一部の妖怪やあやかしの類も外見上では人と同じような特徴を有する者もいる。 ここまでの人の定義と一致しているにもかかわらずこれらの存在は人として定義されていない事がほとんどであり、それでは何が違うから人としての定義から外されているのかの確認を行なって行く。 まずエルフに関しては風貌や特徴としては限り無く似ているが、耳の形がはっきりと違うから人という定義には該当しないという内容である。これで見ると普通に地球に住む人と少しでも外見上の違いがあれば人の定義から外されるという事になってしまう。ただ、これだけだと今現在でも障害を持って生まれた者(一部の差別主義者共はこの人達を人と認めないという判別をしていたりもするが。)や肌の色や身長体格が違うと人という定義から外される可能性があるという話にもなってくるので、そこを気にしなく等しく人と定義されてる中では矛盾点が生じてくることになる。それで他に違う所を見てみると、魔法が使える点である。これは人型魔族や魔法使いも該当しているのだが、いわゆる一般的なこの世界の地球に住む人は魔法が使えないという事が人として当然というような感じで定められて、化学では証明しきれない魔法や不思議な力を有する存在は人として定義しないというような傾向がある。つまりそのような不可思議な力は持っていないもしくは使えない事が人の定義に分類されている事になる。だが今の時代一部例外を持つ存在が出てき始めた為に、人としての定義内に入れようと思う人や人とは違う別の存在が人の上位型で出てきたなどの考えが出てき始めている。とは言え完全に人と違う能力であるという認識はされていないので、まだ人の定義で収まっている。そして鬼に関しては、大きさが違いすぎる事や角が生えている事が外見的に違うから別の種族だという認定で、妖怪等に関しては、肉体を有していないもしくは人とは明らかに違う力を持つ存在だから人の定義には分類されないとされている。
 さてここまでの人としての言葉の定義を見てみると、今地球に存在している人類という種の外見的特徴や体格そして能力まですべてほぼ同じでなければ、人として定義されないという事になる。そしてそれに少しでも違う要素があれば人としての分類ではなく別の種族で違う何かという事にされる。こうまで完全を求めるかのような定義付けとされている状態では、宇宙人と言われる存在や異星人と呼ばれる存在は地球以外で99%存在しないという事になる。 なぜかというと、地球と全く同じ星の環境下で地球の歴史と全く同じような進化を果たしていなければ、そこに住む生物を人として定義しないという事になるからである。それ以外はすべて宇宙生物とか異星獣とかでこの地球に住む人は認識するだろう。たとえ言葉を交わせる存在であったとしても姿形や人としての特徴がほぼ同じでなければ人として定義しないというのであれば、宇宙人と呼ばれる存在は宇宙の中にある地球に存在する人が宇宙人として定義されて、それ以外の同じような言語を有して文明を有する存在のほとんどを宇宙に住む生物という認識での定義となるだろう。 それは存在に対する見下しであり差別に繋がる認識である。地球に存在するから偉いで、それ以外は等しくそれ以下という考えが宇宙に住む人という定義として見られるという事になる。
 しかし今の地球に住む人々はこの定義上で人と宇宙人や異星人は違う物だと認識していることが多い。しかし広い宇宙から見れば地球に住む人というのは宇宙に存在する人という定義に分類される事になるので、これを明確に分ける事をしてはいけないし、それを分ける考え方では地球に住む人という存在がこの世界で1番偉い存在であると勘違いするかのような認識であるという事だ。 そもそもこの世界の宇宙に昔から存在しているのは星であり、星が無ければ人という生物も誕生できなかったのだから、人が絶対にすごい存在であるという認識は止めるべきである。(現状星が死ぬときはそこにいる生物も全て死ぬことになるのだから、すごい存在ではないという事である。) そしてここでは異星人でまとめるが、異星人という言葉であっても人であるという可能性はほぼ無いだろう。そもそもの人という定義が地球で限定されてしまうような定義では、宇宙全体に住む生物にとっては完全に勘違いした認識という事になる。 言語を理解して言語を話せて文明を作れるほどの知性を持って存在する存在を宇宙の中では人という定義に分類すると異星人としての言葉の定義に付けることが出来るだろう。 ここでは必ずしも人型である必要や外見的特徴で似る部分が無くても宇宙に住む人であるという認識で考えるべきである。そしてそれ以外をただの生物として位置付ける。ただし星に関してはこれも生物の分類の中にはあるが、星という定義の中で全く存在のレベルが違う存在であるという事だろう。 とすると、この話の展開上では、猿が人語を理解して人語を普通に話せるようになればこれも別の人種であるという認識にするべきだし、イルカなどに関しても人という定義に限りなく近い存在であるという存在となるだろう。これらを人とは違う別の人種であると認識できなければ、宇宙の決まりでは通らない話となるだろう。 あくまで地球に住む人の言語変換の話だがな。


 それではここまで見ていただきまして誠にありがとうございます。
 人~終了~定義

















 まあ今回は何が言いたいのかというと、多少姿形が違っても話すことが出来て知性を有せる存在であればそれを人としてみなして同じような立場であると認識する事の必要性の話として人という言葉の定義とは?という話をしたのである。自分と多少違ったとしても同じような存在として認識できれば、人種差別や優劣などの差別などにも繋がりにくいだろう? そうでないとこの先の未来では、他の星の様子を見た瞬間などに宇宙観で戦争が起こる様な状態となるかもしれないぞ? まあ逆もあるかもしれないが。 それに星の表面等に必ず生命がいるならそこにいるなどの認識は捨て去るべきだ。地球でも地面の中で生活する生物や海の奥底の深海で生活する生物がいるだろう? その事も認識上で考えておかないと、今後の未来苦労するかもな。
 さてこの話が本格的に理解されるのは果たして何百年後の話なのだろうな。 END
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