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第603回 不倫の定義って、どこからでしょう? [授業・雑記]

 さて今回は不倫の判定定義における論題的回です。最近でも有名音楽関係者や相撲問題の最中に加えて、昨年もこの問題が大きく取り上げられてきましたけど、どうにもマスコミや報道各社の判定定義の基準がおかしくなっているような気がしてきているので、今回は不倫の定義に関しての自問自答論題形式で展開していきます。どこまで行動すれば不倫なのか?どこまで行動しなければ不倫ではないのか?の話です。

 さて今回は時事の方を少し話していきますけど、児童などの列に車等が突っ込む事件が多発しているようですね。それで死亡者も出ていると。集団行動をしていてもこういう事件を防ぐ事は無理に等しいのですよ。車の完全自動運転化の完全普及となる社会が構築されるか、登下校時にバスや車などで守りながら移動させるなどの方法でなければ、守りきる事は不可能に近い内容でしょう。他のどんな政策を用いようとも、車の運転者が自由に出来る環境の中では、歩行者などを完全に守りきる事は事実上不可能なのですから。 あとは私の電磁バリア系の技術仕様であれば、また別かもしれませんが。
 ついでもう1つですけど、北海道の札幌辺りで自立支援施設の火災報道がありましたね。これは主に生活保護受給者で高齢者向けに提供されていた格安の衣食住環境の場所だったみたいですけど、スプリンクラーの設置が成されていなかった為に、火災が発生後に木造建築だったことも相まってかすぐに燃え盛って結果11人が亡くなる火災事故になったという事のようですね。なぜそれの設置が出来なかったのかに関しては、それの設置義務が無かった事と、施設側の金銭的な面で設置が出来ない状況にあったという事のようです。それもそうでしょうね。施設運営の為の資金というか維持管理費は生活保護の人から最低限受け取る形にしていたようで、もしもそんな環境を整えようとすれば、今いる入居者を全員追い出さなければ成り立たなくなるという矛盾を抱えた状況だったようです。つまりこの事故での多くの死者が出た問題は、この施設側の問題というよりも生活保護システムを構築する政府側に多く問題があるという事です。それらの支援をおざなりにして放置している状況や、生活保護の人が安心できる居住環境に住める仕組み作りを放棄して半ば見殺し状態にしている事が、この問題の根幹にあると言えるでしょう。今の実情でも生活保護のシステムは欠陥だらけで既にシステムの限界を超えているというのに、問題を解決させようという意思はなく、さらに殺しに掛かろうとするのは、弱者に対する虐殺行為です。既にこのシステムが法律違反状態であるにも拘らず変化できないのは、政府が貧困者たちを虐殺しようとしている事と同義となるでしょう。 それにしても私の考えに少し似た活動をしている所はいるみたいですね。ただまあ政府が国民を見殺しにしようと行動しているからの民間での救済策なのでしょうが、それに対して政府はさらなる見殺し策を続けるというのは、既に日本の政治家としての最低限の資質すら放棄していると言ってよいでしょうね。

 さてここから不倫の定義に関しての話ですが、不倫というのは一般的に既婚者が別の異性に対して親密な関係になる事を相して称される言葉ですけど、似たような言葉に浮気という言葉もあり、ほとんど同一の言葉の意味合いとして持たれています。ついでに言えば、浮気に関しては主に既婚者ではないけども恋人がいる人が行なう行動として使用されているようで、既婚者であるかどうかによって言葉が少し変化するというようなものでしょう。まあそれでも浮気よりは不倫の方が程度が重いという認識が一般常識ではあるようです。 さてこの不倫問題に関しては最近でも大きく取り上げられていて、昨年も有名人や政治家など多くの人がマスコミや報道に取り上げられていて、様々な問題を生み出していましたが、疑惑で確定させるというのは犯罪法律上で言うと疑いがあれば全員有罪としているのと同じ状況で、少々やり過ぎ感が伴う状況になっています。さらに言えば、どこまで親しくすれば不倫という定義に当てはまるのかも最近のマスコミメディアの行動によって判別が難しくなってきています。というのも、仲良く2人きりで居たり一緒に行動や食事をする事が即不倫確定行動だというのでは、高確率で不倫に該当されてしまうのではないでしょうか?これを既婚者や恋人がいる人に該当させていったとしても、職場の同僚や仲の良い友人と一緒だった場合でも不倫に該当してしまうのでしょうか?たとえ仕事の打ち合わせとか久しぶりの出会いに記念してとかの場合でも。異性との関係はたとえどのような状況であっても全て即不倫確定となってしまうのでしょうか?さらには親しくする事や一緒に行動したりする事等も不倫確定要素として取り上げられるのであれば、例題として、異性の弁護士に不倫問題で相談する事自体も確定的な不倫行動になってしまうでしょうし、異性の医者に掛かる事も不倫行動に該当してしまうでしょうし、異性との仕事関係での話し合いや交流をする事も不倫判定になるでしょうし、たとえそれが友人でも異性のなら同じになるでしょうし、極論とか挙げれば、散髪での異性へのサービスを行なう事も不倫に該当されて、いろんな店での買い物などでも同様判定となり、また客引きに捕まっている状況を見られていても即不倫確定判定にされるというような判断基準であれば、ほとんどすべての日常行動が不倫行動にしかならなくなると思います。このような状況では、既婚者などが不倫判定されない為には、同性の人としか付き合わない差別社会にしてしまうか、既婚者は外に一歩も出てはいけない社会にしなければいくらでも発見される状況になるでしょう。今挙げた例え話の中にそれは行き過ぎな話だろうという考えを持つ人が多くいるでしょうが、現在のマスコミメディアの不倫確定基準から判断していくと、少しの期間でも一緒に仲良くしている状況であれば、それが不倫であるというような状況になっています。さらに最初のような例え話の中では、異性の弁護士に相談するというのはよくある話ではありますが、大体が2人きりの状況になる事や回数を重ねて話し合っていく必要が仕事上必要になってくるでしょうが、それは同時に普通の不倫関係の判定基準と照らし合わせれば、十分不倫確定要素になってしまうでしょう。たとえそれが仕事の依頼者と請負者の関係であると双方が考えていたとしても、不倫の定義判定上の中ではその行為は十分以上に不倫に該当してしまう内容となるという事です。これは医療の現場内においても十分言える話でしょうし、普通のサラリーマンなどでもよくある話ではありますが、ひとえに不倫にその行動が該当するか否かの判定だけをすれば、十分どれも該当してしまう状況となりうるでしょう。それがなぜ該当していないと判断されているのかと言えば、ひとえにその職場状況による信頼などなのでしょうが、その判断基準も今の不倫確定と同じく非常に曖昧で結局はその状況を第3者が見た時にどう感じるか否かになってしまっていて、今の加熱するマスコミメディアはそれらすべてを少しでも疑いがあれば不倫確定として行動しているという状況下から、数多くの不倫報道が出ているのでしょう。実は自分達も同じような行動をしていて、十分よそから見れば不倫に準ずる行動をしている人達が不倫報道ネタを追っているというおかしな状況が展開されているのでしょうね。
 さらにこの不倫関係の判定に関して言うと、双方1対1の状況だから不倫であると判定する事が多いのでしょうけども、1対多でも多対多でも不倫の状況下に該当する事は出て来る事でしょう。となると、今のマスコミメディアの不倫判定状況下から見た不倫に該当する行動は、異性が人数関係なく行動していればすべて不倫行動であるという極論にまで発展させてしまう事が可能という事です。異性と仲良く会話する事自体がすべて不倫に該当してしまうというのであれば、この世界は不倫や浮気だらけで構築されているという事でしょうね。それほど今のマスコミメディアの判定基準が緩くなりすぎているきらいがあるという事です。そして不倫報道があれば、中身の質に関係なく世論が不倫確定的な状況で見ているというのは、それ自体が間違えている行為ではないのか?という事です。疑わしきは全て犯罪ですか? 確実な証拠関係なく、疑いさえあれば全部犯罪確定ですか?だとしたらこの世は冤罪だらけの壊れた社会であると言えるでしょうね。それに今のマスコミメディアの行動からすれば、何気なく同じ店に異性たちが入れば、それらは全員すべて不倫や浮気をしている事と同じであると言っている状況をおかしいと感じませんか? 要は全ての判断基準が緩くなりすぎて、普通の日常行動だとしても不倫該当させてしまえる環境が構築されていて、世論が疑いがあればそれは確定であるという疑わしきは罰せよという考え方の原理に不倫を該当させているから、この問題はややこしさが増加して行っているのでしょう。

 不倫の定義とはどこからが判定基準なのでしょうか? 親しく会話をしているだけで判定していては、この世の中のほぼ全ての人が簡単に該当してしまうでしょう。では何度も複数回会う行動でしょうか?これも仕事や依頼の過程でほぼ全ての人が該当してくる話となり、これも間違いであると言えるでしょう。では一緒にどこかに行ったりする事が不倫に該当するでしょうか?ラブホテルなどに一緒に入ったりすれば確定かもしれませんが、普通のホテルや店に入っただけで該当させれば、偶然の可能性も考慮すればこれまたほぼ全員が該当する話になってきて、これまた間違っていると判断できるでしょう。まあその場合で宿泊施設の個人情報を入手していて確定的な時などは、確定させてもいいでしょうが、入っただけで該当させていては、報道記者たちが同じように入っただけでも同じことをしているという事になるでしょう? だとするならば、本格的な不倫判定の基準とすると、やはり性的関係などがあるかどうかや結婚の意識があるかどうかという話になってくるでしょう。これらの確定的な証拠がない状況で、疑いで確定させるような事をすれば、全ての日常的行動で全ての人類が不倫をいつも普通に行なっている事と同義になってしまうので、その認識は今一度改め直してこの問題の鎮静化を行なうべきでしょう。 そして性的関係に関しても、日本人同士であれば問題とされるかもしれませんが、頬にキスを行なう事は外国の普通のあいさつとして認識されている国がありますので、それを性的行為に該当させないようにしないと、外国人は日本で母国あいさつをすれば即不倫だというおかしな状況になるので注意しましょう。 まあこの場合の不倫確定というか疑いが強い状況というのは、どちらかが恋や愛の感情で好きになっている時や、唇同士でのキス以上の性的関係を行なっている場合ぐらいでしょうね。あとは一般的な恋人関係であると思わせる行動を普通に行なっている時などでしょうか? それくらい限定して確実性のある疑い状況から不倫の疑いという判定基準にしなければ、今普通に皆さんが日常の中で仕事している状況やお買い物などをしている状況などほぼ全てが疑わしき不倫であるという判定になりかねないでしょう。 つまり今の問題は不倫の定義基準がおかしいのです。
 そして不倫は一概に悪であるという決めつけも良くない考え方でしょう。そりゃ悪い不倫も数多く存在しているでしょうが、夫婦関係がうまく行っていない状況や分かれたくても相手が許してくれず暴力などを行なう場合での不倫もあるでしょうし、不倫を行なう事で結果的に今の相手と関係が前よりも良くなるケースもあります。これらの諸事情の関係を考慮にも入れずに不倫がすべて悪いという風潮は良くない意識でしょう。不倫というのは片方の身勝手な行動によるものも多いですが、そうしなければ自分の精神が維持できない場合や、殺されそうな状況にいる人の行動まで悪だと決めつけてしまえば、それは行き過ぎで不倫という行動の本質全てを理解していない上での間違った認識であると言えるでしょう。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 不倫の定義~終了~行き過ぎの判定
















 ちなみに極論にはなりますが、悪い(身勝手な)不倫を少なくする方法に男女平等ハーレムという考え方もあります。まあ本質の使い方とは少し違うのですが、この方法によって不倫の在り方自体を変えていけるような事も出来るかもしれません。多様性を持たせられるという意味でね。まあ誰か1人しか愛さなければいけないというような頑固足る意識の人には到底受け入れられない考え方ではありますがね。一応これは少子高齢化対策の方法です。 END
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