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第767回 たかじん委員会 教育編 あれっ? [教育]

 今回は久しぶりにたかじん委員会が本題なのですが、今日の放送分の話の大体の事はかなりの部分において私が話に挙げていた事ばかりなのですよね。私の教育に対する考え方は、たかじん委員会出席の専門家たちと大体似たようなところが多いという事なのでしょうかね? ちなみに元大阪府(市)知事(市長)の橋本さんとは、基本的な事に関して考え方に共通点は多いですね。私の考え方の方がもっと先に進み過ぎている面はありますが。 広く浅い無駄な授業は今の子供たちに必要無いのです。それよりももっと特化していく授業スタイルに切り替えた方が、子供たちの学習意欲の向上と今の社会に対応適応して行ける必要な技術を学ばせる事が出来るでしょう。今の授業の方針では、AIロボット以下な普遍貧乏な能力しか得られないでしょう。そんな奴らはこれからの社会に向けて仕事にありつけない事は分っているはずなのに。学力が低下しているのは子供たちの責任ではなくて、教育の方向性を定める行政や教育委員会などが子供に勉強させないようなカリキュラムに変えているせいであると言える。国が本気で子供を潰しにかかっているのだから、学力が低下するのは当然の話でしょう。それを学校側がどこまで守りながら子供たち本意に教育が出来るのか?という問題になっているわけですからね。まあ守ろうとしない学校や守り切れるほどの力もない学校がかなり多いのもまた事実ですがね。それは行政がまず先に教師陣を虐殺してから、その次に子供たちを殺そうと考えている上の行動でしょうね。ちなみにここでの殺すというのは、教育の質ですね。(教師陣に対しては物理的意味合いも含まれますが。現状365日休み無しの人もいる状況で、さらに基本授業を増やして過労死に追い込もうと政府が行動しているわけですからね。これを虐殺と言わずして何を虐殺というのかレベルです。)

 で、話が長くなりそうなので一旦ストップの時事行きますけど、教育関連の方では日大のアメフト問題からなる理事長の責任追及に関して、理事長が大失言を外部外した会議の場所でやらかしたようですけど、あれは完全に殺人タックルの指示は何も悪い事ではなく、むしろ理事長も肯定しているかのような感じでしたね。そしてここまで問題が大きくなったことも全部報道陣等が悪いとして、自分たちの責任の非を一切認めないような態度であり、大学を子供たち等に対しての教育の場ではなく、単なる金稼ぎの為の場所であるかのような発言にも見て取られますね。もうこれは大学としての本質を完全に忘れ去ったと見て良いでしょうね。単にお金を効率よく稼ぎたいのであれば、他の事で事業を成せばよいでしょうに。という話で、さっさと辞めた方が良いのではないでしょうかね? いくら学業とはあまり関係がないとはいえ、全くの無関心でいるのは子供たちを金としか見ていない教育機関には完全に向いていない人物であると言えるでしょうね。 まあこの辺りの話に関しては、大学の在り方でも話す予定ですがね。
 ついで今回の大雨災害に関しての追加話ですけども、現在水不足も問題ですけど、大量過ぎるごみの問題も酷い有様ですよね? これは人命だけを優先し過ぎる現在の体勢では確実に回避不可な話と言えるでしょう。ゴミの問題は深刻な被害の1つでありますし、同時にその所有者たちにとっては大事な思い出や資産等の家財を失うという事でもあります。この問題を放置するのはもったいないの精神にも反しますし、大量生産大量消費の問題にも繋がっていく事になるので、もっと物を大事にする考え方に変えなくてはいけないという事です。だからこそ私は散々家の強化策による災害対策をアイデアとして出しているのですからね。まあ水害に関しては、街の排水能力や水の誘導能力や一時貯水力を上げる事によって回避可能ですけど、部分的な話では完全回避も無理な話になるでしょうから、なるべく家の方にもそれ相応の強化対策を基本設計として施せるようにしていくべきでしょうね。 でないと災害レベルの事が起きるたびに大量のごみ問題からそれに繋がる地球環境の悪化にも繋がりかねないでしょうからね。水害によって大量のゴミ等が海に流されたらさてどうなるでしょうかね? こと災害においてはそこら辺まで考えられれば賢い人でもあると言えるでしょうね。まあ普通はそこまで頭が回らないでしょうけど。

 では、たかじん委員会教育編の話に戻っていきますけど、今回の話は大まかに大学・いじめ・授業辺りの話でしたかね。 大学に関しては私基本的にあまり関心が無いのですが、専門的最終教育の場所以外に必要な場所でしょうかね? というのも、何やら学生として楽しめる最後の場所とか遊びの場のような感じで見ている人が多いような気がします。 まあ真面目に専門教育で励んでいる人も当然いるのでしょうが、本来はその目的のはずなのですが、時代のニーズというか教育の在り方や社会の在り方によって大学の基本精神が歪んでいるような気がします。 まあ私の教育の考え方が小中高の頃から特化型教育で、高校の途中からは大学に片足突っ込むレベルにまで一部入らせる方法なので、そういう風に考えているせいかもしれませんが。基本的には勉学に励む場であるべきでしょう。まあ資本主義によって学業卒業したらすぐに働かなければいけない事を強制させている状況なので、それの避難場所として考えられている事も多いのでしょうけどね。それは社会が悪いのですがね。まあ私は既にそれを回避出来る衣食住最低保障制度の話も出しました。 そして教育にかこつけてビジネス目的も兼ねて大学経営に乗り出す企業や団体も多く出てきていますが、大学としての基本理念を忘れて経営が第1になってしまえば、最早それは基本的な体を成していないと言えるでしょうね。だから淘汰されていくのでしょうね。何が大切なのかを忘れて大学経営に参加するから。 公立で行なう場合は教育目的で、私立で行なう場合は主に企業や研究機関との提携や開発等に対しての高度な学習の場やそれの事前準備目的の形に変えて行く必要があるのではないでしょうかね?

 次にいじめ問題に関してですけど、これの対抗策も今までに結構話に挙げていたり、どうするべきかを話に出してきましたが、問題自体が根絶される事は永久的に不可能であると言えるでしょう。人が人である限り全ての人と完全に分かり合えることは無いのと同じように。ですが減らしていく事は可能です。たかじんでも取り上げられていましたが、別に無理に直接学校に通う必要はどこにも無いでしょう。そこが嫌な場所であるのならば、行かなければ良いのです。そして制度としてネット環境をフルに活用して、行政が取り扱うのは公立だけ(私立は自費)で良いので、行政が支払う形で全学校(小中高)の各授業を行なう場所にネット環境を繋げて、自宅やその他の場所から遠隔的に授業に参加できるようにすれば良いのです。基本的に現状の場合であれば、PCやスマホから学校の授業に入れるようにするのですけど、パスワード等によって個人毎の入退室の状況が分かる形のシステムは必要でしょうね。 そして時代をもう少し進ませれば、VRバイザー型デバイスからの直接視覚視野から直接学校に行っているのと同じように受けられるようにも出来るでしょう。そして、気の良い友達などからは視認されて言葉などを交わせるように出来て、苦手な人や嫌いな人とは、互いに視認できずに声も聞こえないようにする事が出来るようになるでしょう。こうすれば自分にとって最適な環境下で授業を受けて行けるように出来るでしょう。
 さらにこれらのシステムにおいて、基本的に全ての学校で取り入れた場合には、アクセス自体は学生であればどこにでも行けるようにすれば、いろんな人との交流や自分にとっての分かり易い授業の場所へと自分から選んでいけるように出来るでしょうね。そして仕組みとして、自分が決めて所属する学校では、質問などが行なえて個別に対応が出来るようにして、それ以外の場所においては、授業を聞く事だけが出来る形にすれば、基本的に先生の負担も増えすぎたりしない様に出来るでしょう。まあそれに+して各先生ごとに担当できる生徒数に上限を設けたりする必要が出てくるかもしれませんがね。 まあこのシステムを機能させれば、基本的に学生が各地域などにいる授業を行なう先生を選べるように出来るので、自分に合った授業スタイルを選べて行けるようにもなるでしょう。 ついでにそのシステムを応用すると、クラス単位などで授業を合同にさせたりも容易に可能になるので、先生1人辺りの負担も減らせるし、担当の先生がいない地方などでも普通に授業を受けられるように仕組みに出来るほか、直接その場に先生がいる必要は無くなるので、離島等でも離れることなく本土等と同等の授業が受けられるように出来るので、より仕組みの幅等を広げられるでしょう。 そしてVR系のアバターとの遊びも行なったりできるようになるので、子供の寂しさも少しは減らしていけるのでは?(離島や山奥等の近くの子供が少ない地域等においては。)

 そして授業においては、広く浅くでは無駄な授業内容が非常に多くなるので、未来に向けた教育として完全に役立たずな教育方法であると言えるでしょうね。これならまだゆとりの方がましなのでは?(笑) というかこれだけ無駄に詰め込んでも本当に社会に出て役立つ物は1割程度では意味がまるでない気がしますからね。まさに子供の時間の無駄遣い。この辺は今までに散々語ってきているので、私が勧めるのは特化型教育スタイルだという事にまとめておきます。 各分野の新教科に関して、使わない人には全く関係ない物も多いので、何を教えたいのか分からない形になっていますね。というか無駄な物ばかり詰め込ませてまともな大人になる事を妨害しているとしか思えない行動ですね。将来のスポーツ選手にプログラミングは必須ですか?日本に住んでて日常会話に英語スキルは必須ですか?そして英語ばかりに気を取られて日本語すらまともに話せなくなったら、それは日本人として良い形なのでしょうかね? そして道徳に関しては、改めて思いますけど、半分以上は教育勅語の内容が入っていると思いますね。秘かに安倍政権が推し進めようとしていた教育勅語が森友問題によって下火になったから、道徳と名前を変えて押し進めてきたという事でしょうかね?もしくは最初からそれも込みで進めていたのかもしれませんが、安倍総理自体は戦前の時代にとても関心が強くリスペクトしている節が多く見られますから、その教育体系である教育勅語も高く評価している可能性は高いでしょうね。 その証拠の1つに安倍総理妻は森友学園の方針に良いという事を思い、当時はそれに総理も賛同していたのですから。 そうやって少しずつ日本が戦前のような戦争が出来る国作りを目指して行動している最中なのでしょうかね? 教育勅語によって国に盲目的な忠誠心を植え付けて洗脳教育にして、お国の為に死んでくれる使い捨て兵の教育を広めようと行動している最中なのでしょうかね? その為に教育の質を浅く広くしてバカにしようとしているとすれば全ての話に繋がりが付くのですが。 私にはその様に思えるという話ですけど。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 たかじん委員会 教育編~終了~道徳=教育勅語









 子供の為にもいじめ問題を減らす為にも特化型教育は確実に効果がある形の教育方法だと私は考えます。自分がやりたい事に集中して勉強が出来るので、基本的な集中力は高いでしょうし、勉学に勤しむやる気も高い事になるでしょう。その上でその他の基本的な所は最低生活レベルに止めておけば、基本的生活で苦労する事もなく社会に羽ばたいていけるでしょう。 ついでにこの方法ではそれぞれに進むべき道や勉強する方向が千差万別になるので、子供毎の平均点数等で差を認識できるようにする事が難しくなるので、その辺のいじめ等の心配は減るでしょうし、各個人の長所が生かされる形で自信を持ってもらえれば、基本的なメンタルの部分も少しずつ成長していくでしょう。その上で全体的な学びの自由時間授業を導入すれば、社会性やその他基本的な授業では得られない事を勉強させていくようにも出来るので、いじめの発生率も減らしていけるようになるでしょう。というか、この方法では基本的にクラス単位での人のまとめ方があまり無くなるので、閉鎖空間がほとんど無くなってしまうという効果もあるのですがね。 END
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