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第2265回 そこまで委員会 学校教育の問題 [授業・雑記]

 さて今週のそこまで委員会では学校教育の問題に対しての話でしたね。
 まあ教師陣に対するブラック労働も然りですが、学生に対する児童虐待に近い教育の形に問題視されて改善しようとする子供とそれを妨害して苦しめようとするいじめっ子の大人たちの攻防があったりしているようですね。1番いじめを助長しようとしているのはまぎれなく大人たちですよね?
 成績至上主義で能力や特性もバラバラな子供たちを一纏めにして教育する事自体がいじめを生み出す仕組みに直結しているのですよ。

 さて時事ではなんか岸田総理自身が新型コロナに感染したとかで感染の波はついに総理にもという所まで行っているようですね。医療も崩壊していてお盆でさらにブーストさせて医療現場を苦しめる体制をこれからも続けますとかいう検討士になって、何も決められず脳内お花畑で頭がパーになって、そういうお薬を統一教会から手渡されて服用している影響じゃないのでしょうかね?
 人の話を良く聞く能力はあっても聞いた所で何もしないという無能であれば何も意味は無いし、総理という立場で贅沢したかっただけのバカ議員だった可能性が高そうですよね。聞くだけ聞いて、決断力0は無能でしかない。これなら河野さんに全て任した方がまだましでは?現状唯一統一教会の問題に対して自民党内でどうにかしようとしている貴重な人ですし。
 あの人は聞く力もあれば決断力も優れていますからね。まあ少々暴走しがちですが。麻生派閥に居ながら麻生氏無視した行動したりする所が…

 それではそこまで委員会での学校教育問題の話に行きますが、冒頭でのペーパーなんちゃら教師とか言うのは、必要ですか?としか言いようがないですね。
 というのも最近デジタル教育が進んできている所では、学校の先生は子供たちを見守りモチベを上げる事に主力を置き実質的な教育の形は全部子供たちの勉強習熟度に合わせてAIが自動的に問題を作って教えていく形が素晴らしく効果を出しているという報告も出ており、リアルの先生が頭ごなしに全体に向けて教えるよりもよほど学習効果が高く、学習意欲も上げやすいという状況になっているので、無理に人で持って教えるという形自体が不要になってきているというわけです。
 その環境では、学生個々人の得意不得意に合わせてAIが問題を作って苦手克服から長所を伸ばしたりできるようにして勉強しやすい形を作り、リアルの先生はひたすらに子供を褒めて褒めて褒めまくりモチベを上げまくらせて応援しながらどうしても問題で詰まって答えられない子供のサポートをするという形で、上手くいっているようですね。
 つまりメイン教師はAIに任せてリアル教師はサポート&応援に徹する形が今のデジタル教育の形では有効という形が見えてきているようです。そこに新たな要素の教育者は必要ありません。

 それで次の話でも似たような所で部活の担当は?という内容から外部委託で入れる選択肢が話されていますが、試合勝利至上主義にならない形ならばそれで良いのですが、きちんとした子供に合わせた教育等も併せての実現が取りにくいならば、こちらも教育+部活という所で、AIに任せていく形でトレーニングメニュー等を自動作成して覚えて行ってもらったりした方が効率的で先生の負担も削減できるし、あとは見守りの大人たちを保護者の中から選んだりするぐらいで良いのではないでしょうかね?
 基本的な部活としての形はほぼAIに任せる形で、子供たちの状況を見守りサポートするだけの形であれば、保護者達やさらにその親の高齢者たちに見守ってもらう形で簡単なアルバイト形式でやってもらうようにすればサポートする側の金銭的不安等も少しは解消されると思います。仕事が忙しい人達もいるでしょうし、アルバイト感覚にした方がより見守る事に対する責任感も作りやすいでしょうからね。

 その次の話が子供が神から授かったとされる特別な能力でギフトと呼ばれる贈り物の力に対して、その力を優先的に高めて行けるようにする教育体系に関しては賛成ですね。まあ基本的に子供たちの個々人の能力に合わせて進みたい道に進めて行けるように成長をサポートしていくという形においては、基本的な形ですし、今のような集団教育で未来の可能性ある子供たちの未来を潰すような教育体系では育ちきれない子供も多くいるのは事実ですからね。
 そういう子供たちは集団教育主体ではなく、VRからの特別学校とかである程度の社交性ある学校の形を得ながらも自分の特性を高めて行ける教育を受けられるようにした方が子供の未来にとっても社会の未来にとっても良い形になり得ていくと思いますからね。
 AIやVRを最大活用して、最新のデジタル教育にて個性を高めて子供1人1人に合った教育の形で自由に成長できる形を作る事こそ本当の教育の在り方だと私は思いますね。

 そしてその次の話で、あだ名は使わずに必ずさん呼びで学校社会を作り出す事という事の賛否に関してですが、私は反対派ですね。○○さん呼びでは、本当の親しい関係を築いて行ったりする事が難しくなる子供もいるでしょうし、何より呼び方の強制は子供の自由な成長を阻害する要素でしかなく、それでいじめが防止できるかと言えば、声で高圧的に言えばさん付けであってもいじめの形に出来てしまうし、嘲笑しながらであってもいじめに出来てしまえる。
 何よりデジタルでのSNSが普及しまくった状態では、そちらでいくらでもあだ名呼びとかが出来てしまえるので学校で強制した方が余計にいじめ助長するとしか思えませんね。間違った事をしていじめをしている子供たちをきちんと叱れる教育の方が大事なのではないですか?
 あるいは他の子供を虐めたら虐める子供たちが集まる学校に強制編入されるとかで待遇が少し悪くなるとかで、虐められた側がその分待遇良い形で傷ついた子供たちが通える学校に行けるようにするとかの方がよほどいじめを減らして行けると思いますけどね。誰かを虐めると損をするとなれば、虐める意味合いも無くなりますからね。
 いじめがある環境で放置はそのまま犯罪に向かうだけなので、早急な対策は必要です。

 それで最後はランドセルが重い事での子供たちの対抗策がさんぽセルという内容で、キャリーのコロ付きで引っ張って行けるランドセルにしたらよいという内容でしたね。それに批判するダメな大人たちも居ましたが、尽く開発者の子供たちにボコボコに返されていましたね。
 というか重たいランドセルで子供に苦痛を強いるというのは普通にそれ児童虐待ですよね?
 つまりそれで批判したダメな大人は児童虐待で苦しむ子供の顔が見たくて批判した犯罪者気質な奴という事でさっさと逮捕すればよかったのにと思いますけどね。(笑) 筋力トレーニングならもっと子供に合った形で行なうべきだし、昔はそうだったからというなら、大人たちも昔の方法で黒電話を使って抗議をしなければ言っている抗議に説得力は微塵もありません。デジタル使ってアナログ強要はただの児童虐待でしかない。
 まあだからと言ってさんぽセルに全面賛成かというとそうでもなく、そもそも重たいランドセルを持って学校に通う形自体に私は反対という立場であるので、デジタル教育の普及と共に子供に重たいランドセルに教科書などどっかり乗せて運ばせる行為自体がアウトだと思います。
 運ぶ物は教科書類はほぼ全部タブレットでの電子データに纏めれば良いと思いますし、給食等も学校で用意して場合によっては体操服とかも学校で管理するとかすれば、子供が学校に持って行く物はかなり減らせると思います。
 そして、基本はデジタル主体の教育の形から紙の本などを家に持ち帰る必要がある場合にのみ学校管理での教科書を借りるという形式で1日1教科分で複数借りる事は禁止にして、なるべくデジタル端末の方で出来るようにする方向でやれば良いと思います。
 あとはランドセル指定も撤廃して、自由に入れ物は選べるようにしても良いかとは思いますけどね。
 どうせランドセル業界を儲けさせるためだけの仕組みなんでしょうし?


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 そこまで委員会~終了~学校教育の問題





























 とりあえず今後の教育はデジタル主体にAIやVRに任せていく方向で行なって行けば昔より格段に良くなりますよ。 END
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