SSブログ

第485回 民主主義とは? 闇のその先へ !閲覧危険! [授業・雑記]

 今回はかなり危険な内容が含まれる話となりますので、今の民主主義や今の政治体制で満足や納得している方は極力今回は避けてください。知らなければ幸せでいられたというのが今回の話となりますので。この世界で形作られている民主主義の深淵の一部を垣間見ることになるかもしれないある意味怖い内容ですので、覚悟の無い方または今の民主主義の知識で十分納得出来ている方は閲覧を直ちに止めてください。今回のこれより先は後戻りの不可能な闇のその先に当たる内容ですので。(まあ信じなければ回避可能ですが、そもそも信じないと決めている人は見る必要性が皆無なので、どちらにしろ来ないほうが時間の使い方として良いですよ。) まあこのタイミングだからこその意味のある話ではあるのでしょうが、闇を全て晴らした後は全部綺麗とは限らない事が現実です。それでもあなたは闇の先の現実を知りたいですか? 知らなければ良かったと後悔はしませんね? どんなに忘れようとしても心のどこかにこの真実が突き刺さったままになるとしても、あなたは知りたいですか?


!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!/////////////////////////////////////////////////////////////////

 それではこの世界の民主主義に潜む闇の話をしていきましょう。
 今この世界で民主主義と呼ばれている主義がありますが、これが本当に民主主義であると言えるのでしょうか?民主主義と言いつつも半ば独裁体制で包まれている国が大半を占める状況で、本当に言葉本来の民主主義が出来ている状況にある国は存在するのでしょうか?(世界全てを探しても1つ2つあれば良いぐらいでしょうね。)民主主義とは何でしょう?言葉としては民を大事にする事の主義で、民を1番に考えて政治を行なっていく主義のはずです。それを真に実現して行動出来ている国は現状ほとんどなく、全て国民から選ばれた代表が成り替わって、その人の考えの下に政治が執り行われています。それは本当に民主主義と呼べるものでしょうか? 民衆の言葉が声が大事な主義であるはずなのに、それの代表者が国民の総意と勝手に叫んで政治を行なって行く事は民主主義でしょうか?はたまた国民からの代表者である政治家達が国民からの直接の声を政治の中心において政治を執り行っている国はどこまであるのでしょうか?そしてそれは本当に国民の声を大事に考えた内容なのでしょうか? 政治家と言えども人であります。人は必ず間違いを犯すものです。それでいて国の代表が1人だけで民主主義と言えるのでしょうか?今の民主主義では複数の政党が選挙で国民の信を問うてそれで選ばれた政党がその国の代表を決めて、それで国民の民意を聞く国の代表となる形で政治が執り行われていますが、その政党がその代表が間違いを犯したときにそれらを止められる存在は居るのでしょうか?その存在がいないとすれば、それは民主主義ではないと断言できます。 今現状でその存在は与党政党とは違う野党だという事となっていますが、その野党に与党が間違いを犯したときにそれを正せるだけの力は存在しているでしょうか?それが無ければそれは民主主義ではないと言えます。さらに言えば、国民の全てが国の行動に賛成もしくは反対を決める事は出来ません。必ず意見が分かれるものです。そして支持政党が与党であるのか野党であるのかの違いもまたあるでしょう。しかし民主主義とは国民の意見を聞いて政治に取り組む事だというのに、国民の意見を聞かずにその代表である政治家だけで話し合って決めるというのは真の民主主義と呼べるのでしょうか? まあ国民の全部が全部意見を聞いて政治に取り組んでほしいという事はないでしょうが、大半の国民は自分たちに直結する問題においては自分たちの意見を政治に反映してほしいと思うでしょう。しかしそれらもすべて現状政治家達の集まりの中だけで政治が行なわれています。これでも民主主義と呼べるのでしょうか?直接国民の声を聞かずに政治家という国民の代表だけで話し合う事が。さらに言えばその政治を直接動かせるのは与党政党が大半であり、野党は口をあまり挟めないという民主主義が大変多く存在しています。それで他の人の意見を聞かずに大多数の与党だけで話し合って決める事が民主主義と呼べるのでしょうか?その行動に批判する人たちの意見を聞かずにまたその行動で影響を受ける人たちの意見を何も反映させずに一方的に決める事は本当に民主主義と呼べるものでしょうか? 大多数の民意の方が強い意見であるという事は民主主義で言える事なのですが、いつもそればかりではそれは強い人たちの民意しか聞かない民主主義となり、本来の民主主義の形から離れる事になります。 そしてそれは政党間においても言える事です。与党だけが政治の決まりを決められるというのは、それは民主主義ではなく独裁体制です。与党内部だけで話を決めてあとは国民に報告だけして政治を執り行っていくスタイルは昔の王政スタイルそのものであり、民主主義とは全く違う存在です。民主主義で大事なのは民にも分かる議論の状況が公開されていて、民も一緒になって問題解決に取り組んでいけるスタイルの事です。その為に政治家達で話し合う国会が存在しているわけですが、この存在だけでは昔の王政スタイルとあまり変わりありません。この話し合いの議論の状況をいつでも国民たちが見られて問題に対して共に考えていける状況でなければ、それは民主主義とは言えないでしょう。そして大事なのはそれにおいて討論を各政党が繰り広げて国民に政治をよく理解してもらいつつ進めるという事です。ただ単に内輪だけで話し決められた内容だけを語るというのでは、それは民主主義の使い方ではなく独裁国家のやる使い方と変わりません。そして政治や問題に対しての話し合いや議論を交わしていって解決まで持っていく流れを共に国民が理解して初めて民主主義の事となるのです。
 そして今日本でも行われている選挙は、本来の意味での民主主義による選挙ではありません。それは政治家の為による民主主義の選挙であり、国民の為による民主主義の選挙ではないのです。そしてこのような与党を決めるような選挙は等しく、政治家の民主主義による独裁体制を決める為の選挙です。本当に国民の為の民主主義だというのであれば、与党野党の区分けをすること自体が民主主義から逸脱しているのですから。だってそうでしょう?1回の選挙において立場の優劣を決めてそこから政治の中心を務める政党とそうでない政党と分けるというのは、単なるどの王様にするのか?と国民に決めさせているだけなのである。つまりは今の民主主義は独裁者を国民に選ばせているだけの民主主義なのである。人は必ず間違いを犯すというのに、独裁者を決めさせる為の民主主義の選挙というのは、非常におかしい構図である。 これぞまさに政治家の為の民主主義で、国民には独裁者を決めさせたあとは何も参加させずにあとは全部独裁者が政治を決めていく事にしている国が大半である。そもそも民主主義というのに、1人の国の代表が立つというのは民主主義の観点からしてあり得ない話である。民主主義では本来複数の意見が必要な話で複数の人によって話を決めていくスタイルであったはずだ。それがいま世界にありふれる民主主義は、1人の代表が話を取りまとめる構図になっている。なぜ数が複数から1人となっているのに民主主義とそれを言うのだろうか?それまでに話し合いを複数人で決めるから民主主義である?それならそれら複数人が代表であれば良いはずなのに、なぜそれらをまとめる為の1人の代表が民主主義で必要なのだろうか?民主主義とは数をもって複数人で意見を戦わせてより良い形へ昇華させてなるべくみんなが納得できる形にしていく事が民主主義である。それなのにあらかじめ決められた代表が存在してその人の意見が強いという状況は本来の民主主義からしたらおかしい流れである。だってそれは、王政独裁の方法と変わらないからである。 そして言える事は今の民主主義の基本形は王政独裁を基本とした偽りの民主主義であり、その本質は民主主義という皮を被った現代の王政独裁スタイルが現代の世界に普及している民主主義という事だ。 民主主義の初めは王政独裁からの脱却を唱えた民たちが意見を出し合ってみんなで決めていく形だったのだろうが、それからすぐにそこでの立場を手に入れようとする人たちが画策して、民主主義という看板を付けた王政独裁を作り上げたのだろう。いつの世も人は権力を強い力をそして楽を求める生き物であるから。 古い王政独裁は民主主義の名の下に次々と潰されていったが、本来の民主主義では大変だと考える者や地位や権力を欲する者たちがその希望を叶える為に作り上げたのが、その潰したはずの王政独裁を今の民主主義の形になるべく当てはめるようにしたのが、今の民主主義の形である。だからそれは民主主義という名前の物だが、本質は基本に存在する王政独裁であり、現在また古い王政独裁の状況に戻りつつあるというのが現状である。
 そして最後に言える事は、今の民主主義は民主主義に在らず、民主主義を希望する人たちが嫌う王政独裁であるという事だ。王政独裁は未だに潰えておらず、それによって得を得たいとする権力者たちによってその存在は今もなお守られ続けている。そしてそれは内部の力では絶対に変える事は出来ない。なぜなら大半の人という生き物はその性質上毒に侵されて王政独裁を守ろうとする事になるからだ。今一度民主主義を取り戻そうと考えるなら、彼の名高き革命のように民衆が一致団結して今の政治家達に立ち向かっていかなければ、本当の民主主義を再度取り戻す事は出来ないだろう。民の為の民主主義を。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 民主主義とは?~終了~闇
















 つまり今この世界に存在する政治の主義というのは、古い王政独裁か現代の王政独裁の2種類に分けられるという事だ。本来の民の為の民主主義を取っている国は世界に2,3ヶ国存在するらしい(最近は知らない)が、民主主義としての制度体制があまり簡略化できていないために、政治の速さは遅い状況のようだ。(これは本来の民主主義の最大の欠点である。) そして本来の民主主義の政治では、各政治家は政治の内容ごとに立場を逐次変えて問題に対処していかなければ、民主主義とは呼べない。少なくともそこに政党の意思が介在するだけで、民主主義ではなく王政独裁の状況となるのである。だから現在のような政党が出来る事自体がこれが民主主義ではなく王政独裁の様を擁していると言えるのである。 もし政党を作り上げるのなら政治家で寄り集まる形でなく、各政治家達をその政党の代表として、その下に政治に詳しい国民を入れて国会で議論を戦わせていく形にするべきである。今で言うと連立無しで、政党が政治家の数だけ存在して多数決で決めていく形という事だ。想像するだけでめんどくさそうだろう?だから王政独裁の復活を企む者がが出てきて、ついでに権力や地位を求める者も協力して、現代の王政独裁を作り上げたのだ。その方が悪い奴らの利害が一致するから。
 だから私は今の民主主義の皮を被った王政独裁を破壊して、本来の民主主義に移行するための準備期間として独裁的民主主義の形を作り出したのだ。 そしてこれを元に現代の民の為に存在する民主主義を作り上げる為に。

 さてもう少ししたら再度新装版の独裁的民主主義の形の公開と行きます。まあ基本の形は昔のままで、一部追加や更新の情報を公開するという形です。 ENDING
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感