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第618回 休み 特に無し [休憩]

 ネタが切れた。未完成ならいくつかあるけど… 既存報道が最近特にオリンピック中継かオリンピック一色に再度染まっている状況で、それ以外がほとんど無い為、やる気すらも切れた。
 なので今回は休みというか雑記にもならない雑談程度です。 どこの報道番組探してもオリンピックばっかりというのは、非常につまらない。ついでに言っては何だが、どうやらそこまで良いメダルはあまり獲得できていない模様のようですし、大体の報道ニュースであと一歩とかもう少しとかの発言をよく耳にするけど、最下位とか10位以下の選手にその言葉を告げる判定というのはいかがなものでしょうか?4,5位辺りならその言葉の意味も正当性を持つでしょうが、相当下の順位の選手に対していらぬ気遣いは余計なお世話にしか見えないのですけどね。内部点数とかでは少しの場合もありますけど、実際の順位計算でみるとそうでもないのが多いので、報道記者の語彙集(ボキャブラリー)の低さが表れているというのでしょうか? オリンピックでメダル目指して、普通に届かない状況でいらぬ気遣いをしても、選手にとってみればいい迷惑かもしれませんよ? それが本当にあと1つな状況や1つのミスが無ければメダルを取れていたレベルならまだしも、それ以下であるのならば、慰めよりも問題点に向き合わせて改善させていくエール(応援)の方が良いのではないでしょうか? まあ今回の政治の道具オリンピックでは、選手よりも政治の状況や競技開催の方を優先する体制で選手が競技に対してフェアに向き合える環境では無かった事が一部の競技でありますけど、完全屋内系の競技で全力を出しても勝てない選手に対してあと一歩的発言は無難に穢している言葉になるでしょうし、全力を出していないと見られたかのような心象で取られる場合があるでしょう。
 まあメダルが取れる事がそれだけの意味で良いという場合もありますけど、あと少しでより上位を目指せた選手に対して、2位や3位で良かったですねと賛辞を贈る事もまたどうかと思いますね。まあレベルが離れている場合や、初めて辺りなら別でしょうけども、それを狙える状態で狙えなかった選手に対して、銀や銅辺りで大拍手を送るのは、選手の気持ちを考えていない行動と言えるでしょうね。 2番手や3番手で大きく褒められても、その上が狙える状態では選手にとって微妙にも思える心境でしょうから。 (まあそれというのも、当たり障りのない拍手などでは、本当に自分の競技を見ていたのかと内心思ってしまったりするでしょうからね。どの部分が良かった悪かったを先に告げられてからの評価と言う辺りの発言が出来れば、選手にとってはいろんな意味で嬉しいと思えるのではないでしょうかね。 ま、私があれこれ言う権利は無いですが。)

 ちなみに、今回は特に何も考えずにこの記事作成しています。なので、内容の信憑性はあまり気にしない程度に思ってください。個人的感想系の話ですから。

 (脈略何も無し)それにしても、長時間労働と過労死をめぐる働き方改革の件について少し昨日も取り上げましたが、この資本主義社会においてその本意がどこにあるのか不明だから問題が大きくなっていっているのかもしれませんね。給料というか賃金の考え方に現在2つのパターンがありますが、1つは成果性という実力に見合った分の賃金が支払われる形ともう1つは時間制という現在アルバイトやパートで主に取り組まれているその名の通り時間で賃金が決まる形ですけど、どちらにおいてもその金額を決めるのは雇用主です。ならば、どちらにしても長時間労働の危険やブラックな状況はそれだけで回避する事が出来ないでしょう。この意味が分かるでしょうか?時間制に関しては基本賃金を減らして長く働かせるという意味合いで分かりやすいでしょうし、その他裏技的に時間外労働などが例として挙げられていますけど、成果性ではそのようなことは無いと見る人がいるようですが、こちらもその成果に見合った賃金を決めるのは雇用主なわけですから、それを不当に低くする事ももちろんできるというわけです。もちろんそんな会社とはおさらばするという方法が取れるでしょうけど、今の働き方において会社側にある種の絶対性がある状況下においては、この法則はどれだけ外部から変えようとしても不可能に近いという事です。その絶対性というのは、もちろん立場的な意味合いというのもあるのですけど、会社にとってみればその人が必ず欲しい人材であるならば、対等な関係を保てるでしょうが、他に変わりがいるような状況においては比較的低く扱いがちになるという事です。そして会社側にとってみれば、その賃金の関係は生きる為ではなく、次に進む為や自分や会社の稼ぎを上げる為という事で、上からの見方に成りがちです。逆に普通の働き手側から見れば、夢を追う為の資金とか自分のレベルを上げる為とかありますが、まず基本における生きる為のお金が最低限必要になってきます。そしてその生きる為に必要なお金は何かしらで働いて稼がないといけないわけですが、その生きる為に働くという意味での最底辺に位置する普通の人などは何かしらでたとえ低めの条件提示をされたとしても、生きるためには仕方がないというようなマイナスの状況があります。そしてこれを蹴る様な事をすれば、生活保護に頼るか死ぬかの選択肢を選ぶ事になります。つまり相対的にこの雇用主と働き手の上下関係がはっきり分かれていて、上は好きなように出来るが、下はたとえ悪い条件でも生きる為に仕方がないという環境が構築されている中では、この長時間労働などから来る問題は絶対的に解決されないという事です。資本主義社会においての賃金の物の見方が、会社側は支出でありマイナスであるからなるべく抑えようとする一方で、働き手から見れば無ければ生きていけないものであるからあればあるだけプラスに見れるのだが、それがこの社会の矛盾を生み出しているのでしょう。つまり最初から対等な環境構築がされていないのだから、それを会社の利益追求だけに見て1人勝ちしようと資本主義社会で見据える人が多く出る状況は普通であるという事です。働き手も大事に考えるという会社体系は、今の資本主義社会から見れば異端分子であるでしょう。 昔よく言われた社会の部品やパーツになるというような言葉は、資本主義の為の勝ち組の為に捨て駒に成れという言葉です。誰にでも夢を追える理想の主義であると謳ってはいるが、実際の所資本主義と言うのは他社を蹴落とす事であるブラック企業が普通である事を指しているので、今それとは異なる動きで目指している動きは、実は資本主義社会から見れば異なる行動でもあるという事である。働き手も大事という考え方は、どちらかというと共産主義に近い考え方に基づくのではないだろうか? それで私が掲げる自由主義(衣食住最低保証)においては、働き手側のマイナス要素であった生きる為に必要な事が無くなる為に、常に対等な関係において雇用関係や賃金の関係が見られていく事になるでしょう。 つまりそれにより、ブラックなどでよくみられる低賃金で長く働かせるという仕事は見向きもされなくなり、実力に合った賃金体系や稼ぎ用の賃金体系を双方が判別して選び合っていく環境になるという事である。(まあさらにそれでマッチするのが無ければ、保証システムからお金を対等に稼いでいくシステムを活用すればよいわけになるからね。) お互いがよりよく良い関係の構築がしやすくなるため、経済的なスピードや発展の効率を上げやすくなるでしょう。その状況下においては、最低賃金の設定も必要無くなるでしょうね。(外国人労働者対策は別にして。)もとより最低賃金の設定とは、その仕事に置いて稼げるお金で生きられる事の最低を保証するような金額設定において作られた制度でしょうから、生きる事において最低を保証される制度がある状況下では、これの意味合い性が無くなるでしょうからね。(むろんそれで低い金額設定をしても、見向きもされない可能性が高いわけですけど。夢職業とか技術系においてはまた別の使い方で選ばれていくでしょうけど。)
 今の日本の世の中では、生活保護では最低の生活が保障されなくなってきていて、老後の為の年金も支給額が低すぎる状況で、最低が保証されなくなってきた生活保護よりも低くなってきているようで、どうしても働かなければ生きていけない社会になりつつあります。それにおいて資本主義社会という状況下においては、生きるために死ぬまで働かなければいけないという意味の無い構図が出来上がっているから問題が発生しまくるのでしょう。これでは結局何のために人生を送っているのかわかりませんからね。死ぬために働くのですか? だから少子化も加速するのでしょうしね。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 報道~終了~死ぬための労働?
















 中ほどでも言いましたが、今回のは雑記にもならないほどの個人的雑談ですよ。まあ為になる話があったりなかったりするかもしれませんが、納得がいったら信じてみる程度で思ってください。
 私は後の未来の為に、社会構造の歪みを正したいだけですから。人が人という生物で生きていけられる環境作りの為のね。 あと、若い内に働いて稼いで、老後にのんびりというのは、資本主義社会を維持する為の人生の考え方の押し付けです。若い内にしかできない事も数多くある状況下において、その考え方の矛盾であり間違いに気付く事が出来る人はどれほどいるのでしょうかね?
 私は概念や前提の破壊者です。 END
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