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第718回 たかじん委員会雑記 何においても一定の基準は必要 +地獄とは? [犯罪対策]

 さて今回はたかじん雑記です。あまり新しく語る内容が少ないので雑記という事になっています。まあとは言え、それなりにはありますが。今回は世の中の様々な基準についての特集でしたけど、大体の出来事においては基準が無ければ困るものが多いですけどね。基準というよりもルールや決まりといった方が分かり易いかと思いますけど。特にスポーツはそれが無いと成り立ちませんしね。

 というわけで時事はアメフト問題に関してなのですが、まあ日大から関学大への返答が変わらずなのはいつも通りという所で、そろそろ日大のアメフト部の選手たちが元監督やコーチたちに対して反旗を翻すべく行動を練っているような情報が入ってきて、いよいよ全方向からの集中砲火状況になってくる形になりそうですね。この活動が続けば続く程、長引けば長引くほど日大にとってマイナスイメージ全開の流れになっていきますが、それほどまでに日大の独裁者共は権力にしがみつきたいのでしょうかね?たとえ自分たちの生徒を切り捨ててでも学校の歴史や名誉を貶めたとしても、それでも権力だけが大事だというのであれば、危機管理云々言うよりも人として最悪な奴らが日大を牛耳っているという大問題となるでしょうね。というかこの構図って、韓国の大財閥とほぼ同じでは? 結局は権力と金が人を汚して腐らせていくのでしょうね。

 されでは本日のたかじん委員会の基準特集について雑記ペースで話していきます。 さて今回の特集の中では5つぐらい候補がありましたが、アメフトはまあこちらではよいとして、籠池夫妻の拘留問題に関しても少し前に話したので良しとして、最後はどうでも良いので別としてセクハラと犯罪関連に関していつもの持論交えて話していきます。
 セクハラの基準の話では結構議論が交わされて私が危惧の要点として挙げていたこともいくつか話に出ていましたが、男女ともにセクハラ問題は共通事項として存在するし明確な定義が無い為の混乱状況についても話されていましたね。その中で何人かとは基準の設け方によって話が合う人がいましたが、私が基準として設けたいのは罪の方ではなく、一般的なセクハラの対象範囲に関してです。そうしなければ何でもかんでも人の感じ方で全部セクハラにする事も普通に出来てしまう状況ですからね。特に今の女性に対しては、男性からは褒めてもダメで注意してもダメというのでは、女性と何も関係を持たずに永遠に無視し続けるのが最適と考える人も出てきてしまうでしょうからね。そしてそれは女性の地位向上の妨げの1つにもなってしまう。何せ理解を得てもらう機会を女性たちが自ら捨て去っているような状況となりますからね。ルール無用の感じ方で勝手に決められる状況では、そんな荒廃した世界も普通になってしまうでしょう。罪になる一発アウトなセクハラの基準はある程度存在していますが、普通のセクハラに該当する要項の方で基準が設けられていないからこのセクハラ問題は混迷の混沌状況になっているのです。まあ政治家や議員の方々の行為はほとんどが一発アウトですが。まあ権力によるハラスメントの部分も大きい故の状況でもありますけどね。 まあ結局の所は相手が嫌がっているかどうかを認識した上で、それでも行い続けるかどうかが一般的なセクハラの基準の分け所にする辺りがお互いにとっての妥協点として妥当なのではないでしょうかね。 初見で言うのは、社会的に理不尽対応というものに当たるでしょうしね。(一般的なタイプでは。)そんな女性が一歩的に男性を見下す社会が女性の望む男女平等の社会ですか?そう考えている女性がいる場合は、結局の所男尊女卑を考える男性と根は同じという扱いになるでしょうね。わざわざそんな最低の部類に行きたいのですかね?

 さて次は犯罪の基準に関してですけど、殺人においての相手の殺害人数の数というのは、現行法律の中では刑罰内容の質にあまり変化を与えないと言う辺りが必要な感じでしょうかね。詰まる所は人数云々よりもその犯罪の状況や手口の残忍さなどをより重視する形にするべきなのでしょうね。まあその辺での裁判所員たちは人の心が無い政権の犬ばかりが多くて、犯罪者の肩を持つ犯罪者予備軍が多いから今のような民衆の心とは乖離し過ぎた判決ばかりを繰り出すのでしょうね。だからこそ裁判員制度もあまり有効に機能出来ていない状況となり、それ故にボイコットの数も徐々に増えてきている模様です。民衆の判断を裁判官たちが簡単に切り捨てて不要と蔑むから。何の為の裁判員制度なのかを裁判官たちが全く理解出来ていないままにこの制度を始めたからの状況だと考えられますがね。結局の所は司法も裁判所も現政権と同じく腐りきっているという事ですよ。今の状況は人の安心安全な平和を弄ぶ仕事になっていると思える状況ですね。まともな人が内部から変えようとしても、日本の政治と同じくすぐに腐敗させられて普通の人の考え方を奪われるのですから無駄ですよ。現状は外部から破壊しなければ何も変わらず進む。まあ変わったとしても100年200年単位の話しかならないでしょうし、早期の期待解決はするだけ無駄ですよ。今の既存方法だけでは。
 そして私は死刑制度反対派の1人でもあります。これは人としてこの死刑制度はおかしいからとか人命は尊ぶべきだとかの理由ではなく、死刑よりも重い罰は存在するからです。それはこの世で生きている事があの世の地獄よりも恐ろしい状況になる方法ですから。すでにそれでいくつか話として出していますが、死というのはこの世の苦しみから脱出するという考え方にも出されるように一種の罪から逃げる為の道にもされます。死刑というのは一見最もきついように思えますが、犯罪者が思うこの苦しみから早く解放されるという点では、それは救済の方法にも受け取られてしまうでしょう。つまり外面は最もきつい罰だが、内情は実は犯罪者にとっての救いの道にもなり得る罰になるという事でもある。私はそれに疑問を感じて、残忍な犯罪者に救いを与えるような状況にしてはいけないという事で死刑制度の反対でいる。そしてこの世に生きている状況で味わう最大の苦しみの方が、死刑よりも犯罪者にとって最も重く罪を一生償っていかなくてはいけないという状況下において被害者たちの気持ちを少しでも理解させようという事にできる。死ぬ事よりもきつく苦しい生き地獄の罰である。ならばそれは死刑以上の事にでき、被害者たちにとっても少しは気が晴れる事に繋がるのではないだろうか?まあそれはほとんどないでしょうけども、この死刑よりも重い罰によって人を犯罪によって殺す事にためらいが生まれやすくなる事は言えて、それによる死者数の減少には繋げられ、結果として不幸な人の発生数を減らす事に繋げられるでしょう。 ちなみに、この死ぬ事よりもきつく重い罰は、基本的に死刑の上位に存在するだけでなく、全ての犯罪に対象されるというのが私の基本的理論方法ですけど。死刑の上位版においては、人権を剥奪した上で行ないますが。(どちらにせよ死よりもきつい事は人権必要無いですからね。実際刑務所での人権剥奪だけでも普通に死刑よりもきつい罰に出来そうですが。私はそれに+で生き地獄をプレゼントという形にする究極の苦しませ方になっていますが。)
 知ってますか?痛覚や味覚等の感覚器官や何かが失われていく喪失感というのは、人や生物に普通に備わっていますが、これらの極限到達点は一般的な人が考えるあの世の地獄の状況になるのです。そして基本的に人がこの世からあの世に行くときは感覚器官を含めた体を捨て去るという事になるので、普通に考えるところあの世に地獄のようなものは存在しない事になるでしょう。そしてそんな地獄をあの世に作ろうと思えば、この世の状況と同じように作らなければならなくなる。つまり、この世が地獄の表裏一体として見られるという事であり、死刑としてあの世に送るよりも、この世での地獄において生きている限り苦しめ続ける事が、普通の人が思うあの世での地獄相当に準ずるという事になるでしょう。だから死刑よりも生きる事での地獄を味わわせるという意味も込めて死刑制度には反対の立場という事です。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 たかじん委員会~終了~基準
















 さて、些末な事ですが、私が現在使用しているSNSはLINEなのです(Twitterは潰された。もしくは数代前の携帯だからバージョン系の話かもしれないけど。昔の話ですが。)が、基本的には旧友とたまに話す程度の利用です。 で、ここから本題というか雑談なのですが、一応LINE IDというのを今頃作ってみまして、個人毎で興味がある方は私のID解析にて個人対話の窓口を開いてみようかと思います。ただしその場合は、そちらからコメントも付けて話す意義のある人だと思わせてくださいよ。それ以外は基本スルーのままで通しますので。 まあ最初の段階で個人対話での興味のある人など0に近いとは思いますがね。 まあ一応と言う辺りでしょうかね。 で、IDヒントはブログのプロフィールにも一応載っけましたが、軽く ブログ名であり称号‐私の真名に英数1文字という構成で、全15文字以内で1発許可の内容です。 まあ私の個人的な行動の一環だと認識してください。ついでにさらに詳しいヒントは、次の記念日にでもしますかね。 ま、一発で分かる人は皆無でしょうね。全部私のブログ等にまつわる物で構成されていますがね。(笑)(普通のパスワードでは基本的に使ってはいけませんよ。) END
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