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第790回 LGBTと恋愛&結婚の自由について これを見て批判者や差別者はそれが行なえるかな? !閲覧大危険! [授業・雑記]

 さて問題作行きます。 まずLGBTと恋愛&結婚の自由は密接な関係にある。一見関係性が無いように見られるかもしれないが、LGBTの有様自体は恋愛と結婚の自由によって成り立つ状況であり、これを批判するという事は自由な恋愛や結婚を否定して強制的で無理やり嫌々なものこそが正しいという論調になるのである。今回はその事に関して深く語っていきます。主に批判者や差別者に向けての叩き潰しに行く語り口になるので、遊び感覚で見に来ない事が賢明ですよ。1度でも見に来たら回避や逃げる事不可能な状況に捕らえますからね。まあどの主張を選んでも良いのですが、辿り着く先はいずれも地獄行きですね。(批判者や差別主義者にとっては。) また、この話は現在批判者や差別者達に虐げられているLGBTの人やその支援者等に対しては言論防衛の材料にも使う事が出来るので、その観点で見たい人にも良いですね。(ただし、中身では結構な暴言的な言葉が吹き荒れる内容なので、精神面で弱い人は来ないように。)

 さて本題に行く前に時事のアマチュアボクシングの方の話ですけど、どうにも会長が解任されそうな状況になっているようですね。スポーツ庁やらオリンピック関係者なども連盟終身(独裁)会長と暴力団の密接な仲という明確な状況において、この問題を放置する事は出来なくなったという状況でしょうね。というか省庁や行政の方でもあの会長との関係において法律違反が噂され始めている状況になっているので余計に積極的になっているとも言えるでしょうけどね。もしもその会長と暴力団での何らかの繫がりを知っていて黙認していたという状況が何らかの形で出てきたりすると、法律違反に抵触しますし、もし知らなかったとしてもあれだけ公言しているような状況を知らずに放置していたこと自体にも相当な問題があるという事で、立場が怪しくなっていくでしょうからね。それにこの現状では、あの独裁会長がその場に居続けることでほぼ確実に東京オリンピックに関してアマチュアボクシングの存続に関わる重大な状況になる事は確定的なので、これ以上の失態を増やさない為にも必死になるでしょうし、今回解任に追い込もうとしている理事たちは、アマチュアボクシングと選手たちの未来を守る為にも自分たちの問題を少しでも軽くする為にもその方向に必死になっていくでしょうね。 それにしてもこの状況で自分は絶対に解任されないとか思っているあの会長はどれだけ箱入りで甘やかされたお坊ちゃんなのでしょうかね? 分かっていて嘘つきまくっているならともかく、今でもまるで分っていなければ単なるアホの大将ですよ。

 さてここからはLGBTと自由恋愛&結婚に対する密接な話の地獄の1丁目です。本気で全部閲覧できるという方以外はここでお帰りください。その中でLGBTに対する批判者や差別者達はLGBTを取り巻く人たちに対して怯えを抱く弱者でしかないという事になりますがね。小型犬のような者?
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 さてこの話は主にLGBTに対して明確な差別対象として見る政治家集団がいる事に対しての話と、それらに同調して強い差別心や批判をする人たちもまた多くいる事に対しての強烈な攻撃回ですけども、LGBTや結婚後の子供の状況に対して生産性が無い人への支援やお金を掛ける必要は無いといった自民党の女性議員がいますが、その人の発言は恋愛や結婚の自由に対しても痛烈に差別的感情を抱いていると言えるでしょうね。要は結婚というものは子供を産み育てる為の1つのプロセスであり、それを否定する人たちは日本に必要無いと言っているも同然の言葉になるのですからね。(未だにその発言での謝罪や撤回等はありませんしね。) つまり日本人である以上結婚したら子供を産み育てることは義務でありしなければいけない決まりであると法律で決まっているとか思っている発言でしょうね。それでいて女性は子育てだけに専念すればよいのだとも思っているようですけど、今の若者の一般的な生活状況から鑑みると、そのような家族は普通に死んでしまえと言っているも同然の発言でしかないですね。そしてそれは低所得者層や貧困層に対して死んでしまえと言っているも同然の発言になります。そして恵まれない子供に対しても明確に死ねと言っている事になります。

 さてそちらの批判はここまで(閲覧危険回でないとここまで言えませんからね。)としまして、LGBTと恋愛&結婚の自由との密接な関係性の詳細説明に入っていきますが、まずLGBTの解説として、Lは女性同士での恋愛観ですね。Gは男性同士での恋愛観ですね。BはどちらでもOKな恋愛観ですね。Tは心の病気の一種ですけど、肉体的に見ればLGと同じ形の恋愛観になりますね。(精神面では普通なのですがね。) つまりこれらは総じて自由な恋愛観や結婚観があるからこそ成立できる話なのです。というか誰だって好きな人と恋愛したり結婚したいと思うのは当然の価値観ですよね? これを否定して無理やりとか嫌々とかで、生理的にどうしても付き合えない人と無理やりに結婚させられるとか地獄の苦行でしかありませんよね? まあ心と人間性を捨てて物として生きる道を自分から選ぶのであれば別ですけど。まあそれは既に人間として生きていない物になるので、それでも良いとかいう人はすぐに死んだ方が良いでしょうね。(もしくは誰かの奴隷として何も得られない生活に従事してください。) それで、LGBTに対してその恋愛観や結婚観は普通の人間としては間違っているとか認められるべき事ではないと言って差別や否定をする人たちは、同時に自由な恋愛や結婚に対しても否定をしている事と同義になります。 そしてLGBTを元の道に正すとかする行為はその人達にとって強制的な人では無い物としての扱いで人として生きることを辞めろと言っている事と同義という事です。それでも批判者や差別主義者の皆様は自分から不幸になる事がこの世界では正しい事だと胸を張って断言できますか? もしくは、好きでもない相手と結婚を強制させられて子作りを強要させられることが正しいと胸を張って断言できますか? そこに人としての自由は一切与えられずに人は単なる子供を作るだけの低能な動物でしかないと自分から発言をする事が出来ますかね?
 それとも?LGBTやそれに与する人たちは人では無い異質な別存在として、完全な差別の対象として捉えて考えますか?それは人であって人では無いものとして見て、一方的に虐げても良い存在であるとしても良い存在ですか?かつてのナチスのヒットラーのユダヤ人に対してした大虐殺のように。異端であれば自由に殺しても良いと考えるのですか?それは普遍的なテロリストと同じ考え方になりますね。 それにその考え方で見て見ると、国は当然自由を与えない独裁国家しか存在してはいけない状況になりますし、それらを誕生させた人達もまた処分の対象になって、常に疑いと殺し合いな日常へと変化していくでしょうね。なぜかと問われれば、異端者を見つけて差別をして行く為には民主主義は不要ですし、LGBTは生まれた時からや生活環境で幾重にも変化していく物ですから、どこで突然発生するか分からない混沌の状況になり、そして知られたら処分されると分かっている状況では、殺される前に殺すという殺伐な日常戦争の環境へと変貌していくでしょう。 事は人種的でなく精神的な物ですから、どこでどう価値観等が変化するか分かりませんからね。 さらに殺伐な状況として、LやG等の同性愛者の発生を防ぐ為には、同性同士が気軽に触れ合える場所は全面禁止にしていくしかないでしょうね。基本的な付き合いもそうですし、学校に関しても男子校や女子校は全面廃止で混合のみになり、トイレや風呂に電車なども全て混合にして、基本的に同性同士で仲良くする事は禁止となり、異性とのみ仲良くする事が認められる環境へと変化するでしょうね。全てはLやGのような同性愛者を生み出さないようにする為に必要な事となるでしょう。 そして基本的な牧場等の様に管理されて子供を作るだけの人間牧場での生活が正しいという一部の権力者の為の奴隷施設として生きることを強要される世界になっていくでしょうね。 これが正しい人間の世界の形ですか?批判者や差別主義者の皆さん?

 そもそもそれらは人間が人間である事を否定して、型に填めて物として見るのが正しいと思う独裁的な考え方ですね。 LGBTを批判したり差別するのであれば、それを人種の違う人間であると見た時同じ人間である以上、生理的に拒絶する相手と結ばれる事を強制される事は正しいという事であり自分たちもそれを望む状況で、一生を地獄で過ごす事は仕方のない事として捉えられるのか、それともLGBTは完全に人としても違う別存在で、他の動物たちと同じように監視して管理していき、それらを生み出さない閉鎖的で自分達すらも物として扱われる社会を望むのかの2択になりますね。

 人が人を好きになる事は自由であるはずなのに、それを強制して正しい異性との付き合いでなければいけないという理論は人間性を否定する発言となる。 それにそれは人の個性や好みすらも否定して、誰かが定めた模範的な行動以外は全てダメという人間が人間である行動原理そのものを否定する言葉である。 そもそもそのLGBTのような恋愛観や結婚観がダメだという定義は誰が作り上げたものですか? 明確に言えますか? まあ代表例はキリスト教なのでしょうけども、それだとそこの存在するかも分からず認識する事も出来ない存在の為に自分が人間らしくある事すらも平気で否定する事が出来るのですか? その教義では、人間は神の僕や子供であり、そのキリスト神の為に正しく生きる必要があるという事になりますよ? ああその観点においては、今の批判者や差別主義者たちが全員熱心なキリスト教信者であるというのであれば、私としては何も言う事はありませんが、同時に何も語る必要のない存在として扱うだけです。 そしてそれを貫き通す限りキリスト教と差別の無い平和な世界を望む人は決して分かり合えないという事も確かです。何せお互い引けぬ所で絶対な対立になるのですから。

 ではここまですべてを閲覧し終わって、今LGBTの批判者や差別者に皆さんは3択の内どれに当てはまるでしょうかね? そしてその状況下で私に対してそれは間違っていると明確に対立できる方はいらっしゃいますでしょうかな? 駄々っ子な反論でも高圧的な反論でも何の意味もありませんよ。ついでにキリスト教関係者はこの件に関して論外です。既に明確に分かり合う事は不可能だと判明しきっていますからね。(人間が人間である事を認めない限りは。) まあその上でバカな反論は楽しく全力全壊で叩き潰しに行きます。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 LGBT~終了~恋愛&結婚の自由
















 まあ要は恋愛や結婚の自由に友達関係や仲良くなる事に明確な基準が必要ですか?という話ですね。そしてそのLGBTが生理的に嫌というのであれば、その生理的に嫌な事を相手にも強制させようとするのはいかがなものでしょうかね。自分が不幸だから相手にもそれをさせようとか駄々っ子な意見でしかないですよ? 存在が間違っているとかどこの何様ですか?という高圧的なバカでしかないですしね。 法律で決まっているとかは、その法律はどこの誰が作りになりましたか?それが人である限りは、結局はその人達の固定観念による自由への抑制束縛でしかない差別により作られた差別法律でしかありません。それはヒトラーや独裁者の思考の下作られた法律と何ら大差ない代物です。それに何の強みがあるというのですか?人間性を否定する法律に何の意味があるというのでしょうか? まあそれが独裁国家で独裁者の絶対であるというのなら別な見方になりますがね。キリスト教と扱い同じ。 人間的な自由を認める事こそが、世界平和に繋がる一歩になります。それらを否定したり差別する人たちは平和を望んでいない存在で、平和な世界にとっての敵でしかないという事でしょうね。 END
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