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第1019回 たかじん委員会 反対の意見 そして斜め上を行く私の考え [政治経済改革]

 さてこちらも久しぶりにたかじん委員会の話ですね。 今日の放送内容では反対者の意見もしっかり聞こうという形での内容になっていましたね。 その中で私が取り上げるのは五輪以外の話に関してですね。 五輪はぶっちゃけ私的にはどうでも良いです。パネラーの1人も出していましたが、いまさら反対がどうの言っても、使われたお金が戻ってくるわけでもなしに、ここで止めたら借金だけが山積みになるだけでなく、国際的な信用やオリンピックを汚した事による世界的な恨みを買ってより多くの負債を叩き出す事に繋がって行くでしょうから、反対によって止まる事自体がより大きなマイナスになって、その責任を反対派は取れるのか?という話で、大体逃げるでしょうから、それで逃げる奴らの言う意見は聞く必要も無いという所ですね。
 そもそも、反対の為の反対で特に根拠もなくただ反対を掲げたり言うだけならバカでも無能なサルでも可能なので、そんな人類未満な奴らの批判を素直に受ける必要はないと思いますがね。 今回取り上げられた様々な反対意見の中にも無能な内容がいくつか紛れていたりしましたし、それで反対を掲げるというのは、無能なバカである事を自分から宣言しているだけにしかすぎませんね。 せめてきちんとした根拠ある言葉や、対案に打開案や回避案の策なども示せなければ、反対としての言葉の意味はほとんど無いと私は見ますね。 五輪反対してその負債分をほとんど補う事の出来る対案等が出せるのでしたら、反対の声高らかにしても十分良いのですがね。基本的に工夫すれば対処可能な反対意見ばかりで、本当に能無し揃いの反対意見ばかりなのかと思いましたからね。

 さて本日は時事無しの代わりに本題に挙げない所を少し長めに話しましての本題のたかじん委員会の話に移って参ります。
 それで私が取り上げるのは、働き方改革に、商業捕鯨に、安楽死の有無に、学校ケータイの4点ですね。ただこの中で学校ケータイ以外は既にほかの回で詳しく話している為に、内容は短めになりますけどね。
 それでまずは働き方改革に関しての反対意見からの内容になりますが、私は賛成反対飛び越えて、明後日の方向での解決案を目指している感じですかね。 現状での問題は少子高齢化での人材不足での長時間労働残業性での人殺し労働環境から脱却しようとして、主に中小企業の経営に問題が生じる形での悪循環に、物価賃金率での低水準でのマイナス状況でどちらも向上できない悪循環に陥っていて、現状のどの対策においても、企業を守るか人の命を守るかの争いに陥りつつある状況という事ですね。それで現状でも改革案でも実質上は、人の命なんて殺せ殺せの労働状況で、使い捨て労働上等で組まれていて、生産性はより上がらず、人材不足はより深刻に陥るこれまた悪循環で滅びを待つような形になっているという感じですかね。 まあこれに対して言う事は、全て人に任せようとするその考え方が時代遅れで、石器時代以前の類人猿ですか?というような知能レベルという感じですかね。 人がいない状況で、女性活躍や老人活用での方向に力を傾けても良いには良いのですが、それは単なる一時凌ぎの現実逃避の考えに他なりませんよね? 結局その未来に待ち受けているのは、日本全体一生労働必須の状況による労働過多の国になるだけで、未来はどこにも残されなくなり、少子化はさらに酷くなるしかなくなります。 つまり今の安倍政権がやっている政策のほとんどは日本を将来滅ぼす内容しかないという事ですね。今さえ凌げればそれで良くて、50年後に日本が滅ぼうが関係無いという考えに基づかれた内容ばかりです。
 それで言う事は、人類の偉大なるパートナーというか単純スペックでは人以上のAIやロボットに任せる方向で促進させていく他に現状の道はないと思うのですがね。人がいないならかき集めてでも外国の奴隷を入れてでも人に頼ろうという考えが古すぎるのです。既に単純作業能力では人を遥かに超える仕事能力のAIにどんどん任せていく社会形態にしていければ、人手不足の状況は容易に改善されて、労働環境で残業酷使な事にしなくて済む形に変えて行けるでしょう。 現状でも書類仕事関係や事務仕事に製造業などにおいては、すぐにでもAI任せで人の作業量を大幅に少なくさせる事は可能で、それにおける人材の全体的な不足状況と仕事の量自体を大幅に改善させる事が可能でしょう。 それにおいて国側が小中企業においては、それらにおけるAI設備の導入に補助金や支援の形を作り出して、その設備導入を国主導で押し進めさせる形に出来れば、小中企業から大幅に状況を改善させて、問題の状況を大幅に取り除いていく事が可能となるでしょう。
 あとは私の独民における衣食住最低保障が実現できれば、物価の最底辺に位置する物等を国が最低生活水準として保障する形に出来るので、それらの実質的な購入の必要性が少なくなり、ついでにそれにおけることで基本的な生きるにおいての最低限が保障されるので、それ以外の必要部分以外にお金を使っていける事による高品質の物に注目が集まって行くようになり、必然的に物価は上昇方向になり、ついでにそれにおいての労働環境で生活に該当する部分は支払う必要はなくなり、賃金形態は余暇の部分におけるお金稼ぎの形態でブラック以外の職場に人がどんどん集まって行くようになり、賃金体系での上昇率は高まって行くでしょうし、長時間労働などの発生も自然と無くなって行くでしょうね。なにせ必要最低限の生活環境が自動的に保障されているのなら、無理に必要以上に働く必要性が無くなるわけですからね。なのでそれにより低賃金体系は自然と基本の形から消滅して行き、稼ぎ目的の形においては高賃金で好条件の企業が勝ち残っていく状況となるでしょう。 そして衣食住最低保障では誰でも稼げる仕事も広く用意されているのだから、ブラック低賃金に人は自然といなくなっていく。 それでも企業経営したいなら、人よりもAIや機械を使った方が良い。

 それで長くなりまして次は商業捕鯨に関する事ですけど、こちらは私は反対と言いますか自由漁業においては反対の立場で、前にも言いました完全養殖業の形で全部行なっていくように出来れば、商業捕鯨も需要がある分には良いという考えですね。 そして司会者の人も完全養殖スタイルに賛成派の方と言っていましたね。自由に世界の国々と資源を争って乱獲して行くのでは、その先に待つのは資源の枯渇でのさらなる乱獲合戦での魚がいなくなる事で、またその果てに国同士の大戦争が待ち構える危険性も控えているので、早めにそんなバカの繰り返しは止めて行く方向性にするのが賢いです。というかそれはいつの話ですか?という感じですかね?これまた石器時代や食料が少ない時での戦乱時代で、少なければ相手に攻めて奪えばよいという思考では、人類的に大幅に退化していると言わざるを得ませんね。 その先に待つのは人類の口減らしや間引きが無ければ、行けない状況になって真っ先に日本が滅ぶしかなくなるかもしれないですし、無能な考えは止めるべきでしょうね。養殖業の活性化によって、自分達が食べる分は自分たちで育てて確保する形が1番賢いのですよ。
 それでクジラの話ですけども、パネラー陣の猛烈捕鯨賛成派の人は、何が来ても言い返せると言っていましたが、その捕鯨賛成が世界を助ける為に必要だと言っているのであれば、そんな必要で日本が犠牲になる必要はないと言いたいですね。 現実的にクジラでの一部種類の数は大幅に増加していて、人間が食べる資源が少なくされている危機だとしたら、それを何で日本が無理して世界から批判を受けてまで世界の為に行動する必要があるのでしょうかね? 世界はそれを必要無いとしているのなら、その状況を放置して日本は自国の魚の消費を全部自国で育て上げる完全養殖で賄う状況にして、他国の漁業状況には介入しない方向にして、もしも危惧されている問題が起きているのなら、それによって被害を受ける国を現実に増やさして、己の認識が間違っていたと気付かしてから、世界的な商業捕鯨一部賛成の動きに進めて行ければ、その方が手っ取り早いと思うのですがね。 要は問題ないとしている国々に、その危険における問題の被害を与えさせていけば、自分たちの考え方を変えなければ自分たちの漁業が破綻するという形に気付かせていく方向にすれば、自然と日本批判はなりを潜めて行くのではないでしょうかね? それで世界が危機的な状況になったら、日本が行なっていた完全養殖業の体系を高額で売って行く形で広めて行くように出来れば、日本の貿易ビジネスとしても魅力を持たせたり、それを口実に商業捕鯨を認めさせる方向にも持って行きやすくなりますからね。 いくらバカでも反対だけで食べて行く人々でも、それによって自国の漁業が壊滅的な状況にされるのであれば、考えを直す必要に迫られますからね。そしてそれによって世界に輸出できるほどの日本の養殖業となっていれば、それは日本の強い魅力の1つにもなりますからね。 それを否定する事は出来ないのではないでしょうかね? 日本が将来苦しむ道が良いとかいうバカな考えでない限りはね。(安倍総理のような)
 その上で日本の防衛能力を高めておくと、日本が海洋大国に躍り出る事も可能に。(奪おうとする輩国を全部迎撃できればね。)

 それで次は安楽死の有無に関する内容ですけども、これには私は元から賛成派ですね。死ぬ権利を国が現状奪っている状況にあるのだから、自由に死ぬ道を選ぶ権利を国民の手に戻す事に何の不利益がありますでしょうかね? これは現状での自殺の問題にも踏まえての話ですけど、安楽死の薬を使えるという環境が出来れば、わざわざ苦しい死に方を選ぶ社会にも迷惑な自殺の可能性を限りなく減らす事が出来るようになります。それによる無理心中の可能性も減らせるとしたら、それにおける命を救う行為にも活用させられる事となり、それらを道連れで殺す事が正しいとは誰も言いませんよね? あとは動けない状態で苦しみながら死ぬ形を強制されたり、家族等に疲労を押し付けて共倒れするような形になる事を強制されるというのも、人権として間違っていると私は思いますし、本当に命を魂を救おうと思うのであれば、本人が望む形においての安楽死の形は認められる必要があると私は思います。 まあそれで死が迫って逃れられないような人以外の場合は、安楽死の薬の代わりに仮死の薬を与えて、全く別の環境下においての別の生き方を提供できる形に出来れば、それも一種のこの社会からの安楽死として出来るのではないでしょうかね。それによる自殺等を止める為の安楽死の薬としての活用をする為にも、これの必要性があると思います。 つまり自殺者の命を救う為の安楽死の薬(厳密には仮死薬等ですが。)の使用という事ですね。

 それで最後は学校ケータイの持ち込みに関する事ですけど、持ち込み禁止とか防ぐ事とかは現実的に不可能な状況で、今の日本の治安の低さ的にも緊急対策用として持たせる必要性がある所もあるでしょうから、それ自体には賛成なのですが、やはり問題視されるのは学校授業での使用や問題行為等に使われる例ですけども、これに対してはある方法で簡単に学校側が対策を施す事は出来るでしょう。
 その方法は、各携帯会社等のシステム系に学校の授業時等に使われる特殊な機器によって、緊急時の携帯対応機能以外は使用不可にする事が自動的に行なわれるシステムにすれば、学校側が指定する授業時間帯には、基本的に携帯機能が使用不可にされて、隠れて見る事等を自動的に防止させる方向に出来て、持ってきたとしても緊急性のある受信以外には使えないように出来るでしょう。
 つまり学校時における携帯への機能制限機能を自動的に発動させられる機器を各携帯会社合同で作り上げて対策すればよいという事ですね。 この合同協力作成には、国が主導する形で行えば、各携帯会社も嫌とは言えないでしょうよ。 むしろそれのおかげで学校に携帯を持って行く事が合法的に出来て利用者拡大の可能性が見込めるとかなら、喜ぶような話にもなりそうですけどね。
 あとそれに加えて、学校側に古い機種の携帯を複数常備させて、非常通信用として携帯を持っていない子供に貸すような形にしても良いかもですね。機能としては電話にメールに限定的使用のSNSツール等ですかね。 ちなみに古い機種の携帯というのは、中古でも売れる所が無いほどにして、GPS系発信機が埋め込まれている仕様にしたら、バカでも買い取り手のいない安全な携帯としてレンタル使用できる状態になるでしょうね。
 持ち込みが防げないのなら、学校での自由使用を出来ない方向性にすれば、問題など無くなる。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 たかじん委員会~終了~反対の意見





























 いろんな事に対して枠を思い切り飛び越えて行くのが私の考え方です。 社会の仕組み自体の大破壊に、世界が反対ならそれで苦しむが良いという形に、安楽死の薬で命を助けようという形に、持ち込みを防ぐのが無理なら使用を強制的に封じる方向にすればよいとか、あまり普通の枠では考えつかないような内容ばかりでしょ? END
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