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第1428回 休息 教育体制超改革雑記 [休憩]

 さて今日は休息しながら今日放送のミヤネ屋にて、橋本さんが出ていろいろしゃべっていた事に感化されての斜め100度越えの教育改革の話を思い浮かんだので、それの軽いまとめですね。正式な形はまた別の回にまとめる予定ですけど、とりあえず今考えている内容を雑記ペースで載せていきますね。
 橋本さんが見てもぶっ飛んでいると思ってもらえそうな内容ですね。まあ私の基本形の特化型教育の時点で、斜め60度以上は超えていると思いますが。それにさらに+40度と。内容自体はそれすら超えているかもしれませんが。
 それで社会主義のような形というのは、私の方でも前から組み合わせた独民式自由主義を出していますので、いろいろと考え方の方向性は似ている所もありますかね。ただし発想のぶっ飛び度は私が越えますが。
 さすがに年金も生活保護もぶち壊して新たな社会主義系でありながら、資本主義の要素も取り入れた仕組みを考える所までは行かないでしょうからね。あくまであちらは現状の仕組みから少し手を加える程度の発想レベルが限界であり、私はその枠を軽く突破しての次元を超えたアイデアを作り出して行きます。

 それで、今回のぶっ飛び教育改革は、今日の橋本さんが言っていた事での授業を受けての子供が受けるレベルは千差万別なのだから、それぞれに合わせたスピードでやって行くのが良いというような内容はまさにその通りで、枠に当てはめ過ぎては、せっかくの子供たちの学習意欲を無駄にそぎ落として、覚えが早い子も遅い子も共に本来の性能以下の力でしか学習が出来なくなっているというのは、子供全体の学力を落として、未来の活躍のチャンスを奪っているに等しい状況ですね。
 これは学校を社会の歯車工場として教育していた今までの体制でのエリートを作り出しにくい欠陥でもあるでしょうね。本来磨けば光る原石すらも、大半を碌に磨かずに放置して不十分な加工で社会に出していたとするのなら、それは相当な損失のはずであり、それが普通の会社等なら速攻で倒産確実ですよね。まあ現状その影響的に日本の経済発展力が落ちているのは、その影響かも知れませんけどね。

 だから私は、特化型教育で長所をより磨いていけるような形の教育体制が良いと考えたわけですが、さらにそれに加えて、学年の縛りも取っ払って、必ず小学6年で中学3年で高校3年で必ず全て万日通う必要は無いという形にします。
 要は、海外のような飛び級制度ともまた違って、学年での年体制で授業体質を変えていくのではなく、もう完全に個々人の習得スキルレベルの状況に応じて、どんどん学年が上げられていく形にして、初期の小学生入学年だけは固定で、後は全て学生たちの習熟レベルによって千差万別に学年の上がり方が変わって行くような形にします。
 そしてクラスの形は、基本のそれぞれの1学年では同じ時期の入学生がまとまる形になりますが、2学年以降は特化する科目や種別によってバラバラで、その特化科目ごとのクラス編成に分かれて、上位学年は混成方式というか、科目における習熟度だけで学年が変わるという形だから、単純なレベル判定の条件だけに使われる形になりますね。
 それで学年の上げ方は、基本的な社会に出る為の最低限の知識を覚える事と、自分が楽しめて学習したい科目で一定レベルをクリアする度に学年が上がって行くという仕組みとして、最低限の知識の方も学年が上がるごとにレベルアップされますが、一気に必要最低限全部覚えて、特化に集中するとか特化に集中しながら他も気晴らしながらに徐々にやって行くのかは自由という形にして、とにかく学年は単なる習熟度のレベル判定の物だけに使われるようにして、1年やろうが2年やろうが、習熟度が変わらなければそのままだし、習熟度が上がりまくれば1年間で一気に3年生以上に上がる事も可能という形にすれば、学生達個人毎の学習の覚えるスピードに合わせる事も可能になります。
 ただし、入学卒業に関してだけは、4月9月もしくはそれぞれの学期毎の分け方での4・9・1月の形で、入学&卒業が出来る形として、その形を小中高大全てで併せられるようにすると、勉強学習面では、子供たちの不要な壁を取り払って、個人毎の学習スピードに合わせて長所となる物を伸ばして育てていく事が出来るようになるでしょうね。

 まあ単純な学習面においての話は大体こんなものですけど、それ以外の所での要素的な物をまだあまり考えていないので、取り敢えずの学習スタイルの面だけの話ですね。
 学校行事とか部活動とかクラスメイト系の内容はまだ考え中になるので、その辺含めた完成版はもうしばらくお待ちください。
 それでもこの形での特化型でありながら、学年における分け方が思いっきり違うような形にすると、教育格差という物があまり発生しなくなって、こういう非常事態での教育の形にもあまり影響が与えられにくくなっていくでしょうね。

 あ、そうか、部活動方面は、特化の科目内に入るから、あまりそこまで気にする事も無いかな?
 学校行事も無理にまとめる必要もないかな?クラスメイト系も交流の機会や場が与えられて、それを1つの科目の形で最低限の知識の枠に入れるならばありかな? という方向性でアイデアを詰めていきますかな。

 特化型で、学年の分け方も習熟度や能力の程度で変わって行くのならば、学校内でのいじめの発生や教育レベル状況での差によるマイナス感情を生ませにくいように出来るから、いろいろと相乗効果は上げられると思いますね。
 それに、学年という事があまり大きく関係して来なくて、単純なレベル表記の形となれば、世界との教育の違いも付けやすく、留学等の形もよりやり易くなっていくのではないでしょうかね?
 授業開始日の違いなど取るに足らなく関係無くなっていくのだから。 そして卒業に関しては、早く基準レベルを達成できたら、より上位のクラスにすぐに上がるのか、それとも基本的年度における年齢までその場にいるのかも自由に選べるようにすると、勉強と遊びの両立もしやすいようにできたり、中には仲の良くなった友人たちと同じタイミングで上の学校に上がって行くなどの形も出来て、より切磋琢磨したり仲良く学校生活を楽しんだりしやすい形に出来るのではなかろうかね?

 うむ、いろいろ面白そうだから、もう少しよくまとめて改めて紹介していくとします。
 これこそが本当の教育体制の形になるかもしれませんね。私の革新的な遺産がまた1つ出来るのかな?(笑)


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございました。
 教育体制超改革~終了~習熟レベルが学年分け





























 こういう話で議論できる専門家とか橋本さんのような人と会話できたら、もっとより高みに上げていく事も出来るのでしょうかね? 私にもそういう事が出来る機会とかチャンスがあれば良かったのでしょうけど、現状運もそれを実現させるだけの可能性も私だけの力ではないので、そういう事が可能な運のある人は羨ましいですね。
 私は長文において、はっきりとした力を発揮できるので、短い文章でやり合うSNS媒体では発言力等での力を発揮できないのですよね。だからこのブログ形式でやっているわけですけど。
 私がこの感じでSNS媒体使っても、ただの痛い人で終わる可能性が極大でしょ? もしくはある程度私の活動を知っている人限定でしか使えませんからね。だから結局私は活動をここでやるぐらいしか今の所は出来ないのですよね。私の力をいかんなく発揮できるのは、このブログかマスメディアの前ぐらいしか現状無い。以上ご清聴ありがとうございます。 END
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