第2967回 オウカハル式民主主義の形 選挙投票率を上げる為の教育 [政治経済改革]
さて今回の話の大部分は多分つまらないし面白くないでしょうね。基本真面目に政治の事を話す回ですから。どうすれば民主主義の中で独裁者を出さないようにするのかと選挙投票率を高める為にはその為の教育が子供たちだけでなく大人たちにも必要でどうしていくべきかという政治の今後に対する真面目な話中心です。
今回は現政権などの批判とかも少なく、純粋に民主主義政治で国民の声が反映されるようにして独裁者が生まれないようにさせる為の仕組みについて考える話です。 現状において誰かに任せきりとか政治家に全て仕事を任せるとかしてもうまく機能せずに国民が放置されたり独裁政治で苦しむ事になるのは今の民主主義政治が間違っているからと言えるわけで、それを正しく変える為に必要なのは固定概念の破壊であり、任せきりで強い権限を与える事での危険性という所での話です。
さて時事の方では昨日は日本でも大騒動で東海道新幹線が補修作業をする車両同士での衝突からの脱線にて大事故となり、1日がかりで修復作業に追われて終日運休になって多数の移動者に不便が出たとか。
まあ1日で修復し終えられたのは流石の仕事の速さとも言えますが、1日かかったという所での大打撃もあったという所で、車両形式は事故からの復旧などが大変ですね?という所ですかね?
安全でも早くもない交通だけど、車輪で多数の無駄経済が活性化されるからそこだけを頼りにやっている交通という感じですかね? この車輪交通維持の流れはトランプ氏が思うラストベルト系と同じ思いでしょうかね? 新たな経済を未来を見る事が出来ずに過去に追いすがるだけの状況。それはただの周りも未来も見えない内向き経済。
さて今回はつまらなく真面目な民主主義と投票率に関する話ですね。
投票率に関しては、政治に関心がなさすぎる事が問題点の1つであり、その次に投票がアナログだけしか無くてすべてのニーズに応えられない状況になっている事と、実際問題投票した所で何が変わる?という所で1票での価値観重みについての状況が軽くなっている事が問題として挙げられるでしょうね。
その為投票率を高める為には、デジタル方面からの投票行動が出来るようにしつつ国民が政治の状況に日常的に関心を持てるようにスマホアプリなどの形式から手軽にポイ活などに繋げられるようにして、さらに町のイベントやソーシャルゲームなどとも組み合わせながら楽しくも投票をしながら政治にも関心が持てる仕組みを構築する事がまず1つ大事でしょうね?
最初の内はお金で釣るというのでも良いですし、結果それで動きが起こせれば、経済などの活性化に繋がるのであれば、十分に行う価値と意義は作られてくる。まあ現金を渡すとかいう必要はなく、ポイント付与形式からの特定クーポン発行などに繋げて行く形でも良いと思いますからね?
1票を実感しやすい物に変えつつ見た目の表現性を高めたり有効得票数が多いほど国民や市民などに返される物も多くなる仕組みなら参加率も必然的に高くなるのではないでしょうかね? 例えば得票数の段階に応じてもらえるクーポンの割引率が高くなる仕組みとか? 町の花火やお祭りに連動させて楽しめる物が増えていくとか?そういう実感しやすく目に見てはっきり分かる物で示していけば、投票参加率は確実に上がっていくと思いますね?
その上で政治に強く関心を持ってもらうようにする為には、国民も政治家に任せきりではなく、もっと国民が関心ある政治の形に触れて関わっていけるようにしていくべきだと思いますね。
政治を行なうのが政治家の仕事と言えばそうなのですが、それは民衆の声を聞き届けて改善させたりしていくという形も含まれているわけなのですが、どうにも政治家内での発言力や行動力に差が出てくる所が多すぎて、正しく民衆の声が政治に反映されない民主主義が多すぎる状況です。
それは果たして真っ当な民主主義と言えるのでしょうか?誰かに任せきりにして一般国民は政治と関心を持たないのでは、それは独裁国家と構図はほとんど変わらないと思いますね。そして政治と直接の関りが薄れるほどに政治への関心や思いが通りにくくなり、選挙公約なども嘘八百になり易いという状況が作られていく事になる。
全部政治家に仕事を任せきりにして権力を与え過ぎた結果、かえってそれは民主主義から離れていくような形に国が動いていくようになったとも言える。政治家に任せていても政治家が勝手な思いで国民の意思とは関係なく政治が動く事は民主主義国でも良く起きている現象であり、それは民主主義国家と言えるのか?という状況で国民が思う国の在り方と今の民主主義の在り方行ない方が違っているから起きている現象という事で、それを正していく為には関心ある政治の形には国民はもっと政治家に近くづく行動を取るべきだという話です。
政治家だからと言って全てにおいて秀でいるかと言われればそうでもなく、政治経験が無いから実力も無いと言えるような政治家も多い中で発言力が与えられないとかは民主主義ではあってはならない事であり、民意を正しく反映しているとも言い難いと言える。
そして政治家とは別に各々の分野で活躍する専門家などの方がベテラン政治家よりも話が分かる人である事も多いように政治家の仕事って何ぞや?と言えるような状況でもあり、政治の仕事と言いつつもそれは本当に多くの人員が必要な事なのか?という所で意見などをまとめると言いつつもそれは担当事務などが実際の作業を行うわけであり、政治家自体の仕事ではないとすると、政治家がそれでメインとする仕事はどういう方向にすれば改善できるのかとか問題が解決するのかを考えるアイデア出しの人たちという感じが強いと思える。
政治方面でのアイデア力の高い人が政治家に選ばれる方が良いわけであり、そんなアイデア力も無く考える事も出来ずに流されるだけの奴に政治家としての資質はないと言える。
実際問題政治家が実行役旗振り役となって問題解決に直接動くという事も少なく、のんべんだらりと議会に参加して少し話したらお金がもらえるでは、能力ないのに大金得ている詐欺師と変わらないレベルでの状況である。
だからこそ政治家の質という物が余計に低く見えて、政治への関心も落ちるという事に繋がるのだろう。なればこそ、本当に政治家としての仕事が出来ずにいるような状況の奴らに政治家は不要であり、大量失職させた上で、政治全般に興味があるではなく、問題事や改善すべきこと1つ1つに対して興味関心がある者たちにその政治のみ限定でスキマバイト式政治家という形を行なえるようにさせて、一般人からの限定的な政治家を大量に募集できるようにさせて、政治家の代わりに働いてもらえるようにすればよい。
まあ分かりやすく言えば、裁判員裁判の政治版ですかね? ただしこちらは興味関心ある政治に対しての募集の形であり、興味関心が無い物に関しては無視してもらってよいし、投票しない方向でも良いとする。
国などの全体に関わる形と一部業種などに関わる形では政治の関心関係を細かく分けていく形を実施していき、興味関心がある者たちだけでその専門的政治を細かくやっていけばよいと言える。
わざわざ興味関心の無い物までまとめて政治で一括りにしようとするから関心が無くなったりするわけであり、全員関心がある分野は違うわけであり、政治家だって全員が万能なプロフェッショナルというわけでもなく、専門家が全てに通じているわけでもないのだから分けて考えていき、政治家だけでなく一般からも話し合いに気軽に参加できるようにして、そこからさらにやる気溢れる者には解決などの実行部隊の一員としてバイト政治家として頑張ってもらうような動きにしていけばよい。
そしてその関連事が終われば政治家解任という流れとなる。
政治に関わろうと思えば色んな分野から関りに行く事が出来て、参加していく形から改善の為に動く流れで仕事としてやっても行ける流れが出来れば、確実に全体的な政治への関心度は高まっていくと思いますよね?
誰しもが短期的な政治家になる事が出来て、問題やら改善すべきことで政治に関わり仕事していける環境がそこにあるのなら。そこには子供だとしても関係なく参加可能で、当事者の意見として判断の1つに入れるべきだし、素晴らしいアイデアを打ち出せるのなら協力してもらう事は問題解決の一助になるでしょうからね?
国などで大事な事は国民全員で判断だけども、関係ある場所などにおいてはその人たちだけで判断する形で良いと思いますね。無関係の人たちに判断しろと言っても理解する事すら難しいでしょうから。
そして判断において意見が分かれる事も当然あるでしょう。満場一致とか全会一致でやる必要性はありません。それが全体型で行うならばなおの事であり、まずは賛成や改善を望む所で試験的にその仕組みを実験していき、それが確実な形で持って実証があり反対派も覆せるというのなら全体に渡って変えていく形として、反対派がいるから出来ないでは民主主義として不適当であり、賛成派の部分でまず出来る所を行なってから徐々に判断していく形にすれば、双方納得しやすい所に変えていけると思いますね。
反対する所はそこだけ変えなくてよい。でも反対派も羨む状況が賛成派で出来上がるならば、賛成派の数も増えて行き反対派も減っていく形から全体化させていく形はしやすくなるでしょう。賛成派が間違っていたならば、その動きはそこまでだけで済みますからね?
どちらの意見も尊重しながらどちらが良いのかは実験実証をしながら状況を見ていく形に変えていければよい。 まずは動き出してからそれが正しいのか間違いなのかを考えていければよい。全体ではなく一部からなら動かしやすいし、間違っていたなら取りやめればよいだけである。
反対が多いから一概に切って捨てるというのは独裁国家ではありがちな事であるからこそ、民主主義の政治を望むのならどちらの意見も尊重しつつ実験実証が出来る形を整えながらお互いの反応を見れる形を作り出していく事が良い政治だと思う。
これ自体が全て政治の教育でもある。
それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます
オウカハル式民主主義~終了~興味関心ある分野ごとでの政治教育参加
私が思う民主主義政治は国民全体が国民毎に関心ある分野で政治に参加していく国民全員政治参加型の民主主義政治がそれだと思いますね。 誰もがその気になれば政治家にすぐ成れるのであれば、政治に対する関心度は絶対的に高まっていくでしょうし、バカな政治家など選んであげない選挙が作り出されるでしょうね? それは投票率にも反映されてくる。
万能選手なんか求めていません。興味関心のある専門分野で輝ける政治家がいればそれでよいのです。そして全般的な政治家は少数で構わない。基本は民間採用のバイト政治家たちで政治を動かしていくから。 民主主義END
今回は現政権などの批判とかも少なく、純粋に民主主義政治で国民の声が反映されるようにして独裁者が生まれないようにさせる為の仕組みについて考える話です。 現状において誰かに任せきりとか政治家に全て仕事を任せるとかしてもうまく機能せずに国民が放置されたり独裁政治で苦しむ事になるのは今の民主主義政治が間違っているからと言えるわけで、それを正しく変える為に必要なのは固定概念の破壊であり、任せきりで強い権限を与える事での危険性という所での話です。
さて時事の方では昨日は日本でも大騒動で東海道新幹線が補修作業をする車両同士での衝突からの脱線にて大事故となり、1日がかりで修復作業に追われて終日運休になって多数の移動者に不便が出たとか。
まあ1日で修復し終えられたのは流石の仕事の速さとも言えますが、1日かかったという所での大打撃もあったという所で、車両形式は事故からの復旧などが大変ですね?という所ですかね?
安全でも早くもない交通だけど、車輪で多数の無駄経済が活性化されるからそこだけを頼りにやっている交通という感じですかね? この車輪交通維持の流れはトランプ氏が思うラストベルト系と同じ思いでしょうかね? 新たな経済を未来を見る事が出来ずに過去に追いすがるだけの状況。それはただの周りも未来も見えない内向き経済。
さて今回はつまらなく真面目な民主主義と投票率に関する話ですね。
投票率に関しては、政治に関心がなさすぎる事が問題点の1つであり、その次に投票がアナログだけしか無くてすべてのニーズに応えられない状況になっている事と、実際問題投票した所で何が変わる?という所で1票での価値観重みについての状況が軽くなっている事が問題として挙げられるでしょうね。
その為投票率を高める為には、デジタル方面からの投票行動が出来るようにしつつ国民が政治の状況に日常的に関心を持てるようにスマホアプリなどの形式から手軽にポイ活などに繋げられるようにして、さらに町のイベントやソーシャルゲームなどとも組み合わせながら楽しくも投票をしながら政治にも関心が持てる仕組みを構築する事がまず1つ大事でしょうね?
最初の内はお金で釣るというのでも良いですし、結果それで動きが起こせれば、経済などの活性化に繋がるのであれば、十分に行う価値と意義は作られてくる。まあ現金を渡すとかいう必要はなく、ポイント付与形式からの特定クーポン発行などに繋げて行く形でも良いと思いますからね?
1票を実感しやすい物に変えつつ見た目の表現性を高めたり有効得票数が多いほど国民や市民などに返される物も多くなる仕組みなら参加率も必然的に高くなるのではないでしょうかね? 例えば得票数の段階に応じてもらえるクーポンの割引率が高くなる仕組みとか? 町の花火やお祭りに連動させて楽しめる物が増えていくとか?そういう実感しやすく目に見てはっきり分かる物で示していけば、投票参加率は確実に上がっていくと思いますね?
その上で政治に強く関心を持ってもらうようにする為には、国民も政治家に任せきりではなく、もっと国民が関心ある政治の形に触れて関わっていけるようにしていくべきだと思いますね。
政治を行なうのが政治家の仕事と言えばそうなのですが、それは民衆の声を聞き届けて改善させたりしていくという形も含まれているわけなのですが、どうにも政治家内での発言力や行動力に差が出てくる所が多すぎて、正しく民衆の声が政治に反映されない民主主義が多すぎる状況です。
それは果たして真っ当な民主主義と言えるのでしょうか?誰かに任せきりにして一般国民は政治と関心を持たないのでは、それは独裁国家と構図はほとんど変わらないと思いますね。そして政治と直接の関りが薄れるほどに政治への関心や思いが通りにくくなり、選挙公約なども嘘八百になり易いという状況が作られていく事になる。
全部政治家に仕事を任せきりにして権力を与え過ぎた結果、かえってそれは民主主義から離れていくような形に国が動いていくようになったとも言える。政治家に任せていても政治家が勝手な思いで国民の意思とは関係なく政治が動く事は民主主義国でも良く起きている現象であり、それは民主主義国家と言えるのか?という状況で国民が思う国の在り方と今の民主主義の在り方行ない方が違っているから起きている現象という事で、それを正していく為には関心ある政治の形には国民はもっと政治家に近くづく行動を取るべきだという話です。
政治家だからと言って全てにおいて秀でいるかと言われればそうでもなく、政治経験が無いから実力も無いと言えるような政治家も多い中で発言力が与えられないとかは民主主義ではあってはならない事であり、民意を正しく反映しているとも言い難いと言える。
そして政治家とは別に各々の分野で活躍する専門家などの方がベテラン政治家よりも話が分かる人である事も多いように政治家の仕事って何ぞや?と言えるような状況でもあり、政治の仕事と言いつつもそれは本当に多くの人員が必要な事なのか?という所で意見などをまとめると言いつつもそれは担当事務などが実際の作業を行うわけであり、政治家自体の仕事ではないとすると、政治家がそれでメインとする仕事はどういう方向にすれば改善できるのかとか問題が解決するのかを考えるアイデア出しの人たちという感じが強いと思える。
政治方面でのアイデア力の高い人が政治家に選ばれる方が良いわけであり、そんなアイデア力も無く考える事も出来ずに流されるだけの奴に政治家としての資質はないと言える。
実際問題政治家が実行役旗振り役となって問題解決に直接動くという事も少なく、のんべんだらりと議会に参加して少し話したらお金がもらえるでは、能力ないのに大金得ている詐欺師と変わらないレベルでの状況である。
だからこそ政治家の質という物が余計に低く見えて、政治への関心も落ちるという事に繋がるのだろう。なればこそ、本当に政治家としての仕事が出来ずにいるような状況の奴らに政治家は不要であり、大量失職させた上で、政治全般に興味があるではなく、問題事や改善すべきこと1つ1つに対して興味関心がある者たちにその政治のみ限定でスキマバイト式政治家という形を行なえるようにさせて、一般人からの限定的な政治家を大量に募集できるようにさせて、政治家の代わりに働いてもらえるようにすればよい。
まあ分かりやすく言えば、裁判員裁判の政治版ですかね? ただしこちらは興味関心ある政治に対しての募集の形であり、興味関心が無い物に関しては無視してもらってよいし、投票しない方向でも良いとする。
国などの全体に関わる形と一部業種などに関わる形では政治の関心関係を細かく分けていく形を実施していき、興味関心がある者たちだけでその専門的政治を細かくやっていけばよいと言える。
わざわざ興味関心の無い物までまとめて政治で一括りにしようとするから関心が無くなったりするわけであり、全員関心がある分野は違うわけであり、政治家だって全員が万能なプロフェッショナルというわけでもなく、専門家が全てに通じているわけでもないのだから分けて考えていき、政治家だけでなく一般からも話し合いに気軽に参加できるようにして、そこからさらにやる気溢れる者には解決などの実行部隊の一員としてバイト政治家として頑張ってもらうような動きにしていけばよい。
そしてその関連事が終われば政治家解任という流れとなる。
政治に関わろうと思えば色んな分野から関りに行く事が出来て、参加していく形から改善の為に動く流れで仕事としてやっても行ける流れが出来れば、確実に全体的な政治への関心度は高まっていくと思いますよね?
誰しもが短期的な政治家になる事が出来て、問題やら改善すべきことで政治に関わり仕事していける環境がそこにあるのなら。そこには子供だとしても関係なく参加可能で、当事者の意見として判断の1つに入れるべきだし、素晴らしいアイデアを打ち出せるのなら協力してもらう事は問題解決の一助になるでしょうからね?
国などで大事な事は国民全員で判断だけども、関係ある場所などにおいてはその人たちだけで判断する形で良いと思いますね。無関係の人たちに判断しろと言っても理解する事すら難しいでしょうから。
そして判断において意見が分かれる事も当然あるでしょう。満場一致とか全会一致でやる必要性はありません。それが全体型で行うならばなおの事であり、まずは賛成や改善を望む所で試験的にその仕組みを実験していき、それが確実な形で持って実証があり反対派も覆せるというのなら全体に渡って変えていく形として、反対派がいるから出来ないでは民主主義として不適当であり、賛成派の部分でまず出来る所を行なってから徐々に判断していく形にすれば、双方納得しやすい所に変えていけると思いますね。
反対する所はそこだけ変えなくてよい。でも反対派も羨む状況が賛成派で出来上がるならば、賛成派の数も増えて行き反対派も減っていく形から全体化させていく形はしやすくなるでしょう。賛成派が間違っていたならば、その動きはそこまでだけで済みますからね?
どちらの意見も尊重しながらどちらが良いのかは実験実証をしながら状況を見ていく形に変えていければよい。 まずは動き出してからそれが正しいのか間違いなのかを考えていければよい。全体ではなく一部からなら動かしやすいし、間違っていたなら取りやめればよいだけである。
反対が多いから一概に切って捨てるというのは独裁国家ではありがちな事であるからこそ、民主主義の政治を望むのならどちらの意見も尊重しつつ実験実証が出来る形を整えながらお互いの反応を見れる形を作り出していく事が良い政治だと思う。
これ自体が全て政治の教育でもある。
それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます
オウカハル式民主主義~終了~興味関心ある分野ごとでの政治教育参加
私が思う民主主義政治は国民全体が国民毎に関心ある分野で政治に参加していく国民全員政治参加型の民主主義政治がそれだと思いますね。 誰もがその気になれば政治家にすぐ成れるのであれば、政治に対する関心度は絶対的に高まっていくでしょうし、バカな政治家など選んであげない選挙が作り出されるでしょうね? それは投票率にも反映されてくる。
万能選手なんか求めていません。興味関心のある専門分野で輝ける政治家がいればそれでよいのです。そして全般的な政治家は少数で構わない。基本は民間採用のバイト政治家たちで政治を動かしていくから。 民主主義END