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第63回 警察の取り調べの透明性を上げるには [政治経済改革]

 今回は今日のニュースでちょろっと話に出てきた東住吉放火殺人に関しての話題になるのだが、これで警察の取り調べの方法が酷かったという事で、自白は強要じゃないかと疑われて、犯人にされていた人がやったのかやって無いのか分からない状態に戻ったので、無罪になったという話で、今は警察や国に対して刑務所に入れられた事等に関しての訴えを起こそうとしているというのが今の状況みたいだが、私は今回警察の取り調べ方をこういうふうに変える事が出来たら、警察が捕まえた人物は必ず犯人にするという事や、容疑者に対してあまり無理な事はできなくなるのではないのか?という事を話していきます。

 取り調べの透明性を上げるについて、今は間に弁護士も一緒になってするべき等の意見が出ているのですが、これだけでは不十分だと私は思います。(なにせ弁護士1人だけだと、警察側に回るような形で行われる可能性も無くはないでしょう。今の状況であの警察の取り調べ室という空間は、完全に警察側の独壇場という事なのですから。これに弁護士を1人2人入れたところでそれが和らぐことはあまりなく、透明性も低い状態のままになるでしょう。) 取り調べの透明性を上げる一番簡単な事は、カメラの持ち込みを許可されたマスコミや記者の方々を取調室が見える部屋に配置する事ではないでしょうか? こうすればほぼ確実に容疑者を追い詰めて精神不安定にさせた上での行動などはできなくなるでしょう。(やってみろ!警察が批判の的にされるだけになるから。) とはいえ、全ての取り調べに対していちいちマスコミ等を入れなくてはいけなくなるから、あるルールをつけようと思う。 そのルールは、マスコミ等がその事件について調べている時は、必ずマスコミを取調べが見える状態にすること。(なお、マスコミ不在で取り調べを行ったとしても、それらは全て裁判等では使えない物とする。(要は証拠にはできないという事。) なお、マスコミ等が少し経ってから調べ始めた場合でも、マスコミ等の不在での取り調べは全て無効にする。) 次に、調べているマスコミ等の数が多い場合は、最低2記者(同じ所の記者ではなく、別々の場所の記者(同じ局でも番組等が違えば可能))以上で最大は部屋に入る上限までの数に絞ること。(1記者だけでは、透明性が薄くなるために必ず2記者以上が取り調べを見る必要がある。(もしも1記者のみの場合は1記者でも可能とする。ただし不正な方法で1記者にした場合は、その取り調べを無効とする。)) そしてマスコミや記者の側は、裁判が始まる前の捜査段階の時は、取り調べの内容で警察に一部の重要なキーワードについて流すのを止めてほしい(他に共犯者等がいた場合に、共犯者が逃げるきっかけになるようなことを防ぐ目的の場合。捜査妨害の防止)というようなことを言われたら、裁判が始まるまでは止めること。(裁判が始まれば流してもよし。又はその共犯人物が逮捕されれば流して良し。) それ以外は基本映像も含めて全てを放送したり記事に書くことの許可をする。(これで警察も容疑者もあまりおかしな真似が行えなくなり、全ての様子をマスコミ等が見る事で、警察の取り調べの透明性が約束される。)
 今はいろんな事件で警察の取り調べに対して疑念が生まれていて、警察の信用度が落ちてきているので、このマスコミ等を取調べに必ず入れる事をすることが出来れば警察の信用と名誉が回復されるのではないのか?と私は思う。(そのうえで警察が余計な隠ぺいなどを行えば、余計に信用されなくなるなど不名誉な事ばかりになるからな。 また、こういう事を警察が嫌がれば、警察が人を守る象徴的存在ではなくなり、警察という組織自体の存続が危ぶまれかねなくなる。)

 ついでに今回の事件でもある事なのだが、完全自白だよりの判決は、その内容が完全な場合を除き全て無罪にするとかの方法も必要ではないのか? 自白だよりという事は、警察は特に何もしていないことの表れだと私は思うのだが。(状況証拠の1つや物的証拠の1つでもあれば別なのだが。) 自白だよりの判決で今のまま行けば、日本にいる全ての人を警察が捕まえれば確実に犯罪者に仕立て上げる事が出来てしまうという事になる。(つまり警察官が私怨で嫌いな人が凄い聖者のような善人だったとしても、勝手に罪を作って捕まえれば犯罪者にできるという事になる。つまり今のままだと警察官の感情1つで全ての人を犯罪者にできてしまうという事だ。) 今回の事件で警察側は、自白の事を書く行為は本人の意思がなければ書くことはできないから、自白の内容が真実だと言っているが、本人の意思などコントロールすることは可能であるから、全て真実である可能性が無いという事になる。(良く言うマインドコントロールとか、催眠術とか、恐怖や暴力で一方的にすれば、本人の意思とは関係なく書かせることが可能となる。(本人の直筆で。) なので、こんなことを言ってのける警察は、すでに正気の沙汰ではないと見える。歩く人全てが殺人者に見えているのでは?) ここで私が言いたいのは、自白で言っている内容に少しの不備も無い事が証明されたときは自白の内容を信じる事にして、少しでも矛盾するところがある場合もしくは、書いた後に無罪を訴える場合は無罪にする必要があるだろう。(自白以外の証拠ではっきりするのがあれば別ではあるが。 そうしないと冤罪が必ず起きる結果にもつながる。)


 今回の話は警察の信用が少し悪くなっているという今の現状にも関係して、こういう内容で取り上げてみた。これだけの内容を実行できれば、透明性は飛躍的に上がり、警察の常軌を逸した行動(捕まえたら全て犯罪者と決め込む事)は無くなっていくだろう。さらに冤罪で刑務所に入れられることも無くなるだろう。(今までのほとんどの冤罪は、自白によるものから来ているからな。要は、自白=冤罪の可能性が凄く高いという事になる。 皆さんはこれから自白が主の裁判等があれば、一度冤罪の線が無いかどうかも疑ってみてください。 これだけ警察が冤罪を普通に行っているのですから。) それではここまで見ていただきまして誠にありがとうございます。  透明性~終了~上昇↑↑↑
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