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第70回 68回の続き [政治経済改革]

 今回は未完で終わった第68回の続き兼補完等を行っていきます。(興味がないなら今回はスルーしてもいいよ。学校教育編の続き的内容になるから。 ポイントとして挙げるのは、受験について軽く、先生の負担軽減、子供に若いうちから個性を求めさせる、学校という場から溢れた子供の対応、運動や芸術・音楽等の特化について の項目をそれぞれ完結形式で出す予定です。)

 受験に関しては、一般的な高校は小・中までの基礎の部分を出す事と各個人が伸ばしている(選択している教科)所の基礎や応用系の問題を出すこと。(私立等はそこの基準でも良いが、あまり全般的に無駄と言えるような問題は出さないようにすること。一般の会社員が絶対使わないような問題とか)
 高校では、小・中のように基礎をしっかりというのではなく、応用系の選択を重視するので全てが同じような選択を用意するのではなく、各高校でいろんな違うような選択を出来るなどの個性を出すと良いだろう。(大学とか専門学校を選ぶような感じだな。 私的には高校というものをその意味合いにまで持っていきたいと考えているし。つまり高校卒業でも今の短大クラスの専門的な知識を身に付けさせるという感じで考えている。 無駄な基礎を減らして、より個性を求められるように。(「若いうちから個性を」とかぶってきたのでここでいったんストップする。))

 次に先生の負担軽減に繋がる事について説明していく。 今までは主に1人の先生が考え方や知性が異なる生徒たち全てに対応した授業を教えていかなくてはならず、負担も増大していると思う(なにせ先生でも再勉強しなくてはいけないようなことまでが範囲として合って、それを子供たち全てに教えなくては行けなかったからである。)が、小学生の内の基礎の範囲を簡単な物(最低限の知識)にさせるとその負担が少し減り、選択式の内容により難しくなっていった時の授業についていけなくなって先生の負担が増えるという事も減少傾向に繋がると思う。(ある程度得意な子と苦手な子供で分けて、問題解決に向けた対応頻度を下げる目的もある。) 中学や高校でも基本を選択式にするために、クラスの授業内容による落ちこぼれ等の発生をしにくくさせる事(個人個人で基本的に得意な科目を勉強できる環境であれば、そこまで差が出る事は少なくなるからだ。)も出来、それらによる対応や相談も出来ないからどうしようでは無くて、どうすればもっと出来るようになるか?と言った感じで軽い感じになる可能性が高くなり、今よりも負担軽減につなげる事が出来る。
 また授業での「自由時間」を取り入れれば、先生たちが子供たちを見守っていく環境が整っていく(触れ合えたり、お互いを知りあったりすることができる時間となる。)と思われるので、少し前にも挙がっていた子供の事を学校がちゃんと把握していなくて、心のケアやイジメ等(傷害事件・暴力等)を見抜けない状況での自殺や殺人事件などの子供が亡くなる事件の数を減らす事にもつなげる事が出来るだろう。(つまり「自由時間」とは、基本教科の時間を削る代わりに、学校にゆとりと平和をもたらすことができる授業になりえるという事だ。(別にゆとり教育を取り入れなくても、これを導入すれば十分にゆとりを取り入れれたはずなのに。))
 だから今の教育現場は、古いのだという事だろうな。(今を考えていない。もっと新しき風を!)

 子供に若いうちから個性を持たせることの説明に移ります。 今までは、子供に必要不必要問わず、ただいろんなことを覚えさせてそれがどれだけおぼえられたかによる量により順位付をして競わせていたのですが、それだと一部の分野が得意なだけの学生は落ちこぼれ扱いを受ける事になり、全てのバランスが良い学生が褒められているような状態で、社会に従順な歯車を育てるという独裁教育のそれと何か違うことがありますか?な感じで教えられていた(大体ゆとり教育が始まるまでくらい?)のですが、民主主義の国でかつ今は万能性よりも即戦力となれるような、その職業に特化した感じの人材を求められるような社会に変わりつつあります。 それなのに今、個性を育てるゆとり教育はただ勉強の質が落ちるからと言って昔のような無駄をいっぱい詰め込んだ社会の従順な歯車を育てようとは、今の社会と矛盾を感じませんか? 全体的な学力だけが全てなのでしょうか?全体的な学力が高いだけの学生全てが大学を出て望み通りの場所に行けているのでしょうか?(その望みの場所の勉強はあまりできていなかったとしても) 答えは違うでしょう?その職業で働ける力を得た者だけがその場所で働くことができるのです。それは大学に出たとか、総合学力が高いからとか言う理由ではなく、その現場にどれだけ近づいた勉強をしているかどうかではないでしょうか?
 だから私は、歯車を育てる教育方針を辞めて、若いうちから個性を育てて必要な事本人が楽しいもっと勉強したいことをさらにどんどん与えていける環境を、子供たちに与えられる環境づくりをするべきだと考えるわけです。その為の今回のこのアイデアというわけです。どうか未来の日本を育てるためのご一考を。

 次は既存の学校という場になじめなくなってしまった、いろんな都合により行けない状況になった子供たちの集まる場所について話していきます。(と言っても今回は、その場所の教育内容に関してだけの話になるのですけど。全体的な話についてはまた別の機会に。) そこでの内容は、基本的に「自由時間」主体で小・中の内容の基礎的部分を抑える事が基本で、選択に位置する部分は自由時間で先生たちや他の子たちと一緒にあくまで自主的に考えて勉強していくような感じで行くと良い。(基本授業はその子たちのペースで。)
 そういう場所も国が管理する場所で全国にまんべんなく存在させるべきだと考えるがな。(今は個人運営や民間団体などが主になっているから、これに頼るのではなく国が主体になるように頑張らなければ、1億総活躍とか地方創生などは絵空事の虚空を掴む話にしか見えてこなくなるな。(※注 熊本の話の時に詳しく解説するが。政府はその言葉すでに忘れた頃だろ。))

 最後に運動や芸術・音楽等の特化についての解説に行くが、こういう選択性を実施していけば、こういう分野のスペシャリストの育成も今よりもさらにしやすく、夢に近づける若者が増えていく事が出来るようになるだろう。(今までは無駄な知識も含めて余計な時間の使い方をされる人も多いと言うふうに感じるが、今回のアイデアを採用すれば、さらにその分野の勉強や練習に費やせる時間が増えて強くなることが出来るというもの。今の状況では、基本の勉強に加えて無理をしたり(塾や何々教室等)しなくてはならず、それでは怪我や病気などにも繋がりやすくなりかねないと思うので、子供に余裕を持たせるという意味でもこういう感じで行くと、より良い環境でのスペシャリストを育む環境にもなるのではないのかと考える。)
 「好きを力に」だな。(子供には楽しいと思える時間を多めに取らせることが必要なのだから。)


 と、こんな感じで大体の事は完結したかと思う。(疑問や詳しく等があれば質問どうぞ?)
 2部構成にはなったが、前回と併せて読んでくれるとうれしい。(第27回がいかにボロボロだったのかがうかがえる内容量という事にもなるが。) (ちなみにカテゴライズがなぜ政治系かというと、教育というのも国の大事な政治の1つに入ると言うふうに考えているからだ。)
 さあ次回は「忘れられた存在熊本&福島」1億総活躍や地方創生という言葉は幻か?というような題名で行こうかな? それとも何か重大と思えるような情報がニュース等で聞けるかな?それとも以前言っていた内容の1つをやるかな?と言った感じで終わりとさせていただきます。
 ここまで長い事読んでいただきまして誠にありがとうございます。
                 ↓
 変える(変化)という事は破壊と再生(創造)~終了~だから世界の破壊者
タグ:教育 学校
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