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第2431回 純粋な力は悪ではない 使う者の心次第で善にも悪にもなる [授業・雑記]

 今回は純粋な語り系の話ですね。世界が平和を望まないから平和を願う者たちによって弾圧に抵抗する秘匿性通話が生まれていくけども、それと同時にその秘匿性は犯罪にも使われてしまい、使う人の心次第でいくらでも善にも悪にもなってしまう。
 世界における力の数々もそれ自体が悪で危険である事はほとんどない。大量破壊兵器と言われる核兵器だとしても正しい方法で使おうと考えた場合、地球に迫りくる巨大隕石の破壊の為と考えれば非常に有効な地球防衛兵器にもなる。ただし現状は悪意ある人の形によって人に対して向けられている事が多いから危険で地球上から無くすべき兵器だと言われているが、兵器自体が危険ではなくそれを使おうとする人の心が危険だからその兵器も危険な物にされるというだけであり、兵器自体の本当の危険性というのは実際にはそこまで大したものではない。
 安全に処理解体できれば無害化もある程度できるというのなら、それを悪意持って使おうとする人の方が最も危険な物であり世界から排除すべき物であるという事である。現状物は物であり、物自体に善も悪もなく、安全な物と危険な物の区別もあまり無い。全てはそれを扱う人の形によってすべて変化していくのだから。
 だから本当に危険なのは人の方であり、そういう事で悪事に使わないようにする決まりを世界的に作る事の方が物を規制するよりも重要なのに、その事を現状の世界各国は放棄しているからこの無法状態が続くのである。

 世界各国は平和を守ろうと動かずにただ自分たちが平和であれば世界が平和になる必要はなく、世界で争いが充満していても無視する姿勢が世界に危険な人を作り出し続けて被害が拡大していくという負のループに陥っているだけである。
 世界の輪を乱す存在が現れたら優先的に排除して平和に努めるように世界が出来なければ、これからも世界の安全は脅かされ続けるだろうし危険な人は絶え間なく現れて多大な被害をもたらす戦争は続き、危険な人達による危険物の脅威も一向に消えないでしょうね。それらはすべて世界が平和を守ろうとする事を放棄しているからである。
 経済制裁をするだけでは人の命は救えないのですよ。人の命を救えないという事は平和は訪れないという事であり、平和を願わない者がやる策が経済制裁という温い手という事ですね。
 経済的な行動に対して経済制裁で対抗するならば効果もありますが、武力軍事力で行動し世界に危険と争いを振り撒く存在には同じ力で対抗しなければ人も命も平和も守る事は出来ないのですよ。
 全てを破壊しようとする人に対してまずは話し合おうと言った人から殺されていく状況で話し合いに意味はなく、まずはそいつの武力を封じてからでないと話し合いは出来ないという事を知るべきです。

 今の世界で平和的交渉を行なう為には、まず相手と同じかそれ以上の武力軍事力を持たねば話し合いにすらならないのですよ。相手が危険な思想を持っている状況では弱ければ問答無用で襲って奪えばよいという考えで動くので、弱い奴が話しかけようとしても撃ち殺されるだけです。力があって初めてお互いが全力でやり合えば双方のダメージが大きい状況でなら話し合いは可能だが、弱い奴が話し合いというのは無条件降伏で虐殺される事すら認める行為でしか受け取られない。
 基本的な力が無ければ何も出来ないのですよ。力は危険だという人はいても、力自体が危険なのでは無く使う人の心次第で危険性はいくらでも変わる物でしかないのであり、持たない者は持つ者と同じ土台には載れないのですよ。
 様々な検定や試験などにもそれに準ずる力は必要になります。それを持っていないのにそれを認めてもらう事は出来ないのと同じように世界の軍事武力での平和の形もそれを持たなければ、認められず話し合いにもならないという事です。本場アメリカ人に対して日本小学校で1ヶ月ゆったり英語を習い始めた人が同じ会話を出来ると思いますか?

 そして世界に暴力が蔓延する状況で放置されるから人は秘匿性が高い物を例え犯罪者が使うと便利な物でも作って行かねばならず、それらが普及していく状況こそ世界が平和をないがしろにしている証拠という事ですよ。世界が平和の為に本気で活動支援していれば、そんな秘匿性の高い通話技術はそこまで必要とされず、それを犯罪者も使う事は無かったはずですからね。
 つまり世界が平和を望まない状況が続く限り無限に使う人によっては危険な兵器が量産されまくり、犯罪にも使われる便利な道具が量産されていくという事です。既に世界は平和を望まない行動から負のループに陥っている。

 打開策はただ1つ。世界で起きる蛮行を決して許さず早期の解決を目指して物を危険な扱いにする者達を排除していく事である。悠長に構えていたら危険物は量産されて平和を望む一般人は殺されまくるのだから。
 積極的に争いを仕掛けようとする危険な思考の集団を排除していくのが大切である。争いを起こそうとする者たちを積極的に排除して行けば、話し合いの土台を作りやすい環境になって行く。
 何せ争いをしようとしたら世界から優先的に排除されに掛かられるのでは、まずは話し合いでその後は必要な力を得てからの再度の話し合いの方向性で平和的な形で物事を進めやすくなるのでね。
 力にはそれに対応する力で対抗していくのが世界平和には必要な事なのですよ。
 戦争を止める為にはそれ相応の軍事力が必要です。起きてしまった後では話し合いで解決される事は無く、まずは力による優劣を決めた後でしか話し合いにはならない。まあそれも暴君や何が何でも奪う事だけを目的とする集団には話し合いの必要性すらないけどね。ただ排除するべき必要のある人災でしかないのだから。
 台風や吹雪に話し合いが通じないのと同じように言語はあっても話し合える相手ではないのならただの災害として排除するのが正しい行動である。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 力や物よりも人の方が危険~終了~世界が平和を望まないなら世界は危険になる





























 危険な人を野放しにする事は世界の危機にも繋がるという事ですね。主に悪政独裁者を世界で野放しにすると、世界で犯罪者が活動を活発化しやすくなるという事です。
 あとは無用な対立などを発生させないように民族や宗教事等できっちり国を分けていく事も必要でしょうね。その上で他者を認めず力で無理やり変えようとする者には世界が瞬時に鉄槌を振り下ろして行く。争いを起こそうとする者を優先的に排除して行けば、世界は比較的平和を維持していく事が出来る。 END
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