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第8回 犯罪擁護の国 日本 [犯罪対策]

 今回は今の日本での犯罪者に対しての対応(刑)が軽いのではないのか?と、このままでは誰かが気付くであろう日本での命の軽さについて話していこう。

 いつの時も犯罪というものは無くならず、こうしている時でさえ誰かが犯罪に巻き込まれている(行っている)時だろう。 その中で私が言いたいことは、日本の法は殺人に対して刑が軽すぎるのではないのか?という話である。理由はというと、故意で犯罪者が1人を殺したとしても、大体重くても10~20年くらいで世の中に出てこられるだろう?(2人以上の場合で無期懲役になったとしても、中でおとなしく反省してれば出てこられる可能性がある。)また、過失などの場合は2~4人くらいなら長くても20~30年くらい(短いともっと短い)で出てこられるしな。 この例から見てみると、殺人という罪をした人は20~30年(早ければまだ早い)おとなしくしていれば、また再度幸せを掴む権利が発生する。逆に、殺された側は幸せは2度と得られず、さらに被害者の家族や親族は一生苦しみを感じながら生活することになる。(割り切れればいいけど、大体は苦しむ生活になる。) この文を見ると、犯罪者は人を殺しても幸せになれるが、殺された側や関係者は一生の苦しみを得ることになる。 このことから、犯罪者の命の方が被害者の命よりも重いという事がわかる。(犯罪者>被害者) で、過失の時は複数人がまとめて犠牲になったりすることが多く。その場合、人1人の命は百万~1千万円位の価値しか無いのかとさえ思えてしまう。(大体、重要な建造物等を故意で壊したのと同じぐらいでは?)

 この犯罪者に対しての裁判の時に、犯罪者を守る立場として弁護士が出てくるわけだが、完全に物証が出そろっている事件や、現行犯等で誰が見ても犯人だとわかるような者には、犯罪者も人として守られる立場にあるというのはわかるのだが、完全に人を殺してしまったと分かる犯罪者の弁護をしている(仕事だから仕方ないのかもしれないが)のを見ていると、被害者や関係者に対して言葉の暴言で危害を加えているように見える。(刑を軽くするのが仕事だが、逆に見ると被害者たちよさらに苦しみを味わえ的な感じに見える。)
 だからと言って、弁護士はいらないと言っているのではなく、犯罪者がほんとに犯罪者かどうか疑わしい場合等には、必要であることは言うまでもなくわかる。
 法律の話であるのだが、上記の部分で言うタイミングが無かったのだが、殺人(過失も含む(ただしその場に残り救助を手伝った場合は別。いけないのは、逃げた時))の場合の懲役を最低でも40年位にした方がいいのではないのかと思う。その場合、早くても懲役が終わるのは人生の後半の始まりになるので、再犯率も減るだろうし幸せも掴むことが難しくなるので、殺人の中で軽くてもその位にした方がいいのではないのか?
 そういえば最近は、若者の殺人者もちらほら報道されている(やり方があくどい的な感じで)が、若者の殺人の場合はさらに命の重みが軽いように思う。 重くて少年院(懲役の場合もあるが)で、子供の命は大事というのに殺した子供は守られて、殺された子供及び関係者は報道に載るというのは、どうなのでしょうか? これでは、若者(未成年)であれば殺人は許されるものだと思う子供たちが出てきてもおかしくはないでしょう。これを分かってか知らずか、命の重みが軽く見られているから今までの残虐に見える事件が発生しているのではないでしょうか? 私的に見れば、中学に入った年齢から成人と同じ罰を適用するぐらいでもいいのではないかと思われます。(これがやりすぎというのならば、最低でも半分の期間(懲役刑)は欲しいところですね。)
 裁判の中で、犯罪者がとにかく反省をしている風に見えたら、良心で刑を軽くすることもどうかと思います。(裁判長たちから見れば良心で、犯罪に対して重く受け取っているから軽くしようみたいなことでも、被害者たちから見たら、その場で謝りさえしたら刑が少し軽くなったりするのは、被害者達よりも犯罪者の方がかわいそうに見られているのではないかとの疑いを持ちたくなってくる。つまり今の被害者よりもこれから罪を償う人が大事(犯罪者を守り、被害者などどうでもいい感じじゃない?(一瞬でも)))

 次に刑務所の話に移るのですが、今の刑務所は実際ホームレスや食べるのに苦労する貧困者に比べたらものすごい良い待遇で暮らしているのではないでしょうか?(刑務所の外に出られないとはいっても、雨風を凌げてご飯と布団付きで、仕事や時間の決まりはあるもののテレビがあったり、運動できたり本を見たりでき、話し相手にも事欠かない状況で、年一回でいろんなイベントがあるのって、今の生活困窮者よりも快適に過ごせているのではないでしょうか?さらに、病気になればまあまあ自由に暮らせる病院に連れて行かれて治療してもらえる。(無料)生活困窮者は、病気になったら死ぬのみ) このような場所になっているので、犯罪を犯した人が世の中に出るよりもこの刑務所の中の方が楽だと言って、住みつくようなことをしている人もいます。 これは果たして、犯罪者が得られて良い状況なのでしょうか? 殺人等重罪を受けても反省する気にはなれない人も出てくるのではないでしょうか? 何かもう少し厳しくしないと、再犯率の増加にも繋がりそうだし、反省の気持ちも薄れてしまいそうなので、例えばこんな案はどうでしょうか?
 刑務所に入っている人全員に、畑作業(大規模な)をしてもらう。それで出来た作物等を刑務所の食事にもとりいれて、一部を市場にも出していくようにする。で、まともに仕事をしない人には食事抜きで行く。で、頑張る人には部屋の中でもできるタイプの鉢植え型も渡していく。(要は自給自足をさせること。 大量に作って残りを市場に出せば、日本の自給率の上昇や罪を償った後の仕事場(農作業)にも簡単に送り出せたりする。 それにもし、仕事を雑に扱えばいずれ自分に返ってくるものなので、悪い事もしにくくなるだろう。)
 まあ、まだ案にはいくつかあるが、取り敢えずそれは別の時にでも話そう。

 以上で今回を終わらせていただきます。 要は、今の日本の法律や犯罪者における状況は軽すぎで、命の重みがとても軽くなっているかなり危険な状況という事です。 私的に見たら、死刑というのも犯罪者を守るために存在しているのではないかと思いますね。(理由は出られない刑務所生活はいやだろう。なら楽になった方が早く世間の目から逃れられる。 ずっと出ることも変わることもできない方が一番苦しいものだから(だから死刑のないところでは、一番苦しみの与えられる何百年の懲役を与えるのであろう。))
 今回も長い話を聞いていただきまして誠にありがとうございました。 終了
タグ:法律
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