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第31回 明日は参院選挙 皆行く? 私は行かない 理由? [政治経済改革]

 今回はなぜ私が選挙に行かないかの理由を詳しく解説する方向で行きます。先に簡単に言うと、私が定めた選挙の立候補者に求める最低ラインの一番下にすら届いていないからです。(ちなみにこれは社会人なら誰もが負う事だと私は思いますがね。) あと一つ忠告を乗っけて置きますが、私の価値観に感銘を受けた場合を除いて皆さんは選挙に行ってくださいね。(私が言えた義理は無いのですが。(笑)(笑) それに私は最初の回の辺りからも言ってますが、一度今の政治のやり方を無に帰すべきだと思っていますからね。)(期日前の人には関係ないでしょうが、これからの選挙に対してもと言う意味も込めております。)

 行かない理由の一番初めに来るのは、立候補者が自分が発言した内容の責任を取る気が無いという事だ。 この責任とはどういうものかと言われると、選挙期間中に発言した内容又は選挙の公約をもし果たせなかった時はどのようにして国民に謝罪をするのかという事だ。(今現状は公約等が果たせなくても何のお咎めも無しに悠々と政治家を続けられるというのはおかしいとは思わないのか?) 謝罪とはどのような形にするべきかは、それは立候補者が自分で決める事ではあるが、その代表的な例えはあるので紹介する。給与の一定期間の分を国に返す。(一定期間とは、その発言や公約で国民が納得できる期間) 目に見える形で、国の仕事を終えた残りの時間を町のボランティアや被災地区等の片づけの手伝い(これもボランティアだっけ?)とかを自費で行っていく。 建設現場や介護の場などの人材不足の所に無償で手伝いに行く。
 こんな感じか。まだ考えればたくさん出てきそうだが。

 では今の事を普通の会社に例えてみよう。 一社員が仕事を任されて「大丈夫任せてください絶対にやり遂げて見せます」と言って仕事に取り掛かったというのに、その仕事を失敗してしまいました。その社員は「失敗しちゃった。許してね。後責任はこんな私に任せた会社が悪いから、会社が全部責任を負ってね。」と言う感じで言ってきました。 あなたが会社の上司や社長であれば、こんな人を許しておきますか?たとえそれが会社を傾かせる要因になったとしても。 もしくは失敗はしなかった場合でも、成功はしなかった場合でもそのまま放っておいた場合も同じような事になりますが。
 だから私は、そんな責任を負う事すらしないような立候補者には一票も入れたくはないのですよ。今のままでは誰に入れたとしても私は後悔の念にさいなまされるしか道は無いのですから。 ならば私はこんなやり方は前提条件が間違っている。これを正すために声を上げていこうとしているわけですよ。そしてこれを今実践している候補者がいるのであれば、それをもっと大々的に名乗りを上げてほしかったものですな。(既存のやり方を壊していく方面で!)

 この最低ラインの上にも1つラインがありますが、それもこれから政治を変えていこうとするならば国民に見せていくのは当然のことがあります。 そしてそれをやっている人も見たことが私はありません。それは、やろうとしていることや公約によっておこる負の要素、それによって何が失われるのかの表示です。私のブログの中の1つにも似たような事(あ、危険な内容の為に閲覧注意にしたんだっけ。)は書いた記憶がありますが、何かを成す為には必ず何かが犠牲になるという事です。例えば新しい事をするときは古い物を壊すでしょう?何かを移動すれば、移動した先には有り移動元にはなくなる。 政治で見ると、何かをします。財源は?又それによって引き起こされる負の要素はなんでしょう?物事を行っていくうえで何かしらの不の要素が発生するのです。例えば時間がかかるや、その土地の人に多少迷惑がかかるとか、その人達を救おうとしたことが別の誰かを不幸にすることに繋がるとかの事を語る政治家は、ほぼ私が見てきた中では存在していませんね。(まあ見たとしても記憶にも残らない事かもしれませんが。(私が0歳の時とか(笑)))
 人と言う存在は必ず一長一短が存在する者なのですよ。そしてそれを人が行うのであればそれにも存在するという事。ならばそれを示すことは国民の上に立つものであるのならば絶対に行なうべきことであると私は考えている。(現に私のブログ内ではそれにより引き起こされるであろうことなどの不の要素などを、書いていることが多いのはその為だ。 もちろん今私が発言している内容にも負の要素は存在する。簡単に言うと私の言っている内容を政治家達がやることが決められた場合、選挙公報の字数が飛躍的に増加してページ数が増えるであろう。つまり読むのに時間がかかると!)
 この負の要素を社会人の場で説明すると、就職試験の時に負の要素になるかもと履歴書の提示を要求されたがそれをせずに、今書けと言われても書く気がない人とかな。 負の要素を言ったら選挙の時に票をもらえなくなるかもと言うのは分かるが、逆に良い事だけを延々述べているだけの人は気味が悪く信用してもらえるのは難しいと思うのだがな。

 とまあ、こんな感じの理由が存在していてそれに見合うだけの存在が見られないから私は選挙に行くことが無いという事だな。(個人的な感覚でどの党が少しは魅力に見えるかと言われたら、おおさか維新だろうかな?やっぱり議員の給与を下げるとか言っているのが良いと私は思うが、この政党が果たして本当にその公約を果たすことができるのか疑問に感じている。そのやり方が大阪でできたのはその政党の人達が主導でかつその政党が大阪を率いる立場だから出来たことであり、今の政府に訴えかけるような今の立場でそれをかなえる事が本当にできる事なのかが疑わしいばかりであるのだ。たぶん自民党の人達から見た時それは絶対に行なうことは無いかもしくは、実行したとして1万円下げましたこれでいいでしょ?とかのふざけた内容にすることが予想されるためである。つまりおおさか維新の公約で足りない事は「わが政党は政府の中で与党になることをいつまでに達成できるかを表示することである。」これぐらいしないと信用には値しない確率が高い。)

 あと一つ今回の選挙から可能になった「18歳可能選挙」の事になるが、これは選挙に行ける年齢を下げて数を増やそう的な事なのだが、この18歳という年齢制限そのものを疑問に感じている。いや18歳に下げる事等の理由は良いのだが、なぜ18歳と言う決めつけにして高校3年生の年代ではダメなのであろうか? このことに疑問を抱いたのは、同じ高校生だとしても生まれの月日が少し違うだけで同じ年代だとしても選挙に行ける人といけない人が出てきてしまう事になる。これは不公平な価値観だと思わないですか! この日本では平等や平和というものが大事という事になっているのに、これは明らかな差別、年齢の違いによる差別という事になるのでしょう。この差別はお酒にも似たような事が言えますが、20歳になったら飲めるとは言っても、同じ学年や幼馴染とか言っても生まれの月日が違えば飲める人と飲んではいけないとされる人が出てくることは明らかな事でしょう?(成人式を迎えたらとかの統一正は無いのでしょうか?) つまり今のこの国は民主主義国家ではなく年齢差別主義国家と言ってもおかしい事ではないですよね。 (ちなみにこんなことに気付くことは誰であっても可能な事なのではないでしょうか?要は皆さんがこの既成概念にとらわれ過ぎているという事に気付いてもらいたいものですね。前の回の授業でも出しましたが。(私のブログですよ。))


 今回は選挙の私の考えを話しましたけども、皆さんは私の言う事はもっともだと思ったとしても、私と共にこの世界を変えるために努力をしていこうと思わない限りは、「皆さん改めて再度申し上げますが選挙に行ってくださいね。(私が言える義理ではないですが。(笑))」

 さて今回の回を作る前にMBSで報道特集(5:30)を見ていたのですが、そこで飲酒運転0にするとか言うのをやっていたのですが、私の考えた内容を実行すれば本当に0にすることが可能ですよ。100%確実に飲酒運転0にすることができる案を考えることに成功しました。ただし、変える事には時間がかかることは言うまでも無しに、ある安全を大事にした場合の致命的な欠点もあるという事を覚えておいてください。(人命第一の結果と言えるのですが。 ちなみにこれは今の技術力で絶対に可能な事です。) この内容は話しの筋書きを考えて近日公開する予定なので楽しみに。

 今回もすごーく長ーい話を聞いていただきまして本当にありがとうございます。 あと、第26回でコメントをくれた方へ、コメントの内容は同回のコメント欄で返信をしておりますのでチェックをお願いします。初コメントありがとうございます。 ちなみにコメントの内容は皆さんにも考える機会が与えられることになるかもしれない今の既存のシステムの紹介になっておりますので、皆様も関心がありますればどうかご一読をお願いいたします。 それでは終了とさせていただきます。 終了
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