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第2789回 報道特集雑記 裁判と刑務所の在り方 半強制更生 [犯罪対策]

 さて今回は報道特集雑記という所で、重大少年事件での更生の問題から無理と判断して死刑が言い渡された内容からの被害者側と加害者側の家族にスポットを当てた内容になっていましたが、現状の裁判や刑務所の在り方では誰も幸せになる事はできず、また犯した罪に対するしっかりとした反省や更生の機会を与える事も出来ず不十分な形に多額の税金を投じて、再犯率40%超えで京アニ放火殺人事件などの凶悪事件に至る事もしばしばという所で、存在意義がない状態と言えます。
 それも単に刑務所の在り方や存在意義が間違っており、その間違いを元にして裁判が組まれるから誰も幸せになる事も出来ず本当の反省も更生も促す事の出来ない欠陥法律に成り下がっているという状況です。

 そして私は毎度言っていますが死刑反対論者であり、本当の厳しい罰は死刑を超えた先にあるという考えの持ち主でもあります。罪に対する罰として死刑はまだ生温いのですよ。その罪を清めようとしてもその方法が殺す事や単なる暴力による拷問では意味がなく、本当に清めるべきは体ではなく心にある。
 心の反省と更生を促していく事が出来なければ、それは本当に法で裁く形にはできない。

 今現在の判断では、ただの懲役刑や禁固刑として年月だけ過ごさせる形の反省と更生のさせ方になっているが、それで受ける形は時間によって経過する身体だけの形にしかならず、心に作用させられる状況は極わずかしかない。それでも犯した罪と向き合える人たちはそこからしっかりと更生する事も出来るのだが、そんな欠陥式で救える心はわずかでしかなく、本当に必要な罪に対する反省と更生の形は時間では測り切れない心を清めていく事にあり、それを本人自体から望んで行わせていくようにしていく事が大事なのである。
 それが犯した罪に対する反省の気持ちや更生の心へと繋がっていくのだが、そこに時間だけ長くさせた所で効果はほぼない。本当に必要なのは、その罪に対して適切な罰となり反省を与えさせ心に訴えかける物が必要なのである。

 どんな鋼の心で頑なに閉ざした心だとしても、犯した罪に対して本人が1番嫌だとする方法で死刑以外の方法で持って、素直に殺してくれと思わせながら殺さずに罪に対する反省を強いていく形は、死刑よりも拷問よりも本人の心に強く作用していき、反省や更生に繋げていきやすくなる。
 しっかりと反省や更生がし終わっていれば、再犯に陥る事は少なくなり、アフターケアもしっかりさせれば、再犯の可能性を完全に潰えさせることも可能である。
 今は全部が不十分なのである。

 だからこそ私は罪に応じた反省のさせ方で罰を行なっていき、そこに対して試験を課して、合格できない限りは永久に刑務所から出る事はできない学校教育施設に変えるべきという形で考えているわけだ。
 罪に対して問うのは時間ではなく、本当にしっかりと罪に対して反省し、更生の心を持ちて生まれ変わる事が出来たのかどうかを厳しい試験で判断していく形にすればよい。反省の形や更生までの時間は罪と本人の意識によって十人十色千差万別であり、全て簡単に決める法律懲役刑で推し量れるような物ではない。
 故に裁判で決めるのは、刑務所にて反省と更生をさせる必要があるかどうかを判断する形で、実際の期間は罪を犯した人次第という形で反省と更生をしっかりできるのが早ければ早いほど出る事がしやすく、全く罪と向き合わずに反省も更生もする気がなければ一生を掛けた所で出る事叶わないという形なら、それこそ罪に対しての向き合い方などが見えてくるという物である。
 結局裁判では騙しきれれば勝ちという面もあり、本当に反省の心を持ち罪と向き合おうとしているのかどうかなんて裁判で見極める事は永久に不可能であるからだ。だからこそそれを見極めるのを刑務所で行う形とし、裁判はそこに行かせる必要があるのかどうかだけを判断する形なら裁判も短くしやすく、本当の更生に向けた心を見極める形にしやすい。

 加害者が罪と向き合い苦しむ状況は、被害者側にとっては少しは救済になるでしょうし、本当にしっかりと反省と更生に繋げられるのだとしたら、それは安心にも繋げられるのでしょう。反省していなければ出る事はできないので、その意味での安心もあるでしょうし、加害者側の方としても裁判ではなく刑務所内で見極めていく形なら本当に罪と向き合おうとしているならば希望は捨てられずにいるし、全く向き合おうとしていないなら遠慮なく断ち切れるでしょうからね。
 もしくは、向き合わさせるように心掛ける事も出来る。

 罪と向き合わせる事は時にその罪によっては、死刑よりも物理的拷問をも超える苦難となるでしょうからね。簡単に上げられるのは、酒豪とか依存者たちに対してその対象物を目の前に吊り下げられて取らないように我慢させる事ですね。 依存していればいるほどに死ぬ事よりも物理的拷問よりも心は悲鳴を上げ続けるでしょう。依存していない人にやっても全く効果はない平穏な物ですがね?
 お酒が嫌いな人の目の前でお酒を掲げた所で興味などなく、無視すればよいだけだけども、依存している人にとっては並の死刑よりも拷問よりも心に与えるダメージは少なくないでしょうね?

 また、痴漢に対しては、それが異性からの物である場合、同性からそれを行なわれる事に対しては強い拒否感を示すでしょうから、痴漢犯罪者にはそれが心から嫌がる方向での反省と更生に繋げられるでしょうね。拒否する事も可能だが、拒否すれば一生行える事はできず、外に出ようと思えば人格も性癖すらも塗り替える必要が出てきて、人生の岐路に立たされるでしょうしね?
 ま、拒否し続けた先には強制地獄が待ち受けているだけですが。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 報道特集~終了~裁判と刑務所での罪に対する反省と更生の在り方



























 心に作用させる物としては、軍事面で空腹兵士に対するご馳走防御なども似たような物であり、あれは生き残り何かを守る為には生きる為の食糧などは不可欠であり、その状況で空腹という心にご馳走で訴えかける方法は、最高に理性を失わせて食欲に屈服させる事が出来る方法である。
 その上で睡眠薬を混ぜれば、満腹感と睡眠薬の相乗効果で大半の兵士は抗いきれずに無抵抗で崩れ落ちる事になる。
 何事においても物理的な打撃よりも心に作用させる事の方が人相手では重要である。 END
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