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第2818回 本当の民主主義には与野党は存在しない [政治経済改革]

 さて一昨日予告していた内容とそこまで委員会の話の組み合わせ版ですね。
 法律が狂っているのは政治が狂って正常に機能していないせいである。与党だけに任せる政治は政治が歪む原因であり、民意を正しく反映できない政治である。さらに言えば、国内で大きく対立するような与野党争いがある状況では、国を1度分割して見つめ直した方が良いとも言える。無理にまとまろうとした所で争いしか生みださない。
 政党で志が大きく違うというのなら、見ているその国の未来が違うというのなら、国を1度分けてから考え直していく方が良い。無理にまとめようとして争い続きの中やっても変わる事は無いのだから。

 本当の民主主義があるというのなら、そこには与野党の違いという物は基本なく、大概の政治家が同じ目標の国の未来の為にその道に至るより良い道で議論しあうのが正しい政治の在り方であり、真っ向対立するという事は国を同じくして政治をやる事は無理だという表れでしかない。
 多様な意見を汲み取りながら政治をするというのであればあるほどに与野党で分けた場合多様な意見は潰されやすくなり、政治家に託された1票の重みが軽くなっていく事になる。
 民意が反映されにくい政治は民主主義ではなく、民主主義に似せた独裁とかと呼ばれる政治の形と変わらない。むしろ王政独裁でも本気で民意を聞きながら政治をやっている国の方がよほど民主主義国家と言えるでしょうね?
 与野党争いははたから見れば内戦のようにも見えて、戦争しながら政治をやっても良い政治は作れず、与党野党の括りで分けてしまうと政治は腐りやすく法律も腐った政治家を守る為だけに改悪されやすくなる。

 適切に民意を反映する政治の形としては、日本においての直接の政治家という職業の者は今の10%ぐらいでも十分よく、そこに専門家や民意を集めてこれる者などを集めた形で少数で集中的な政治を司っていく形がより良い政治に繋げ易く、政治家になっても国会の場で1度も発言しないような政治家など不要の存在でしかなく、発言の機会すら与えない形もそれは無駄な政治家が多すぎるという形を表している事になる。
 大なり小なり民意を受けて政治家になった者たちに発言の機会がない政治は民主主義ではない。発言無しに賛成反対の意だけを伝えるというのは一般国民でも普通にできる事であり、政治家で代用する必要は微塵も無く、そんな存在が出始めている時点で無駄な政治家が多すぎるという事の表れである。

 政党の為に選挙に勝つとか言うのも完全に民主主義選挙を無視した発言ですよね?本来であればその政治家に期待する国民の民意の為に政治家として思いを代弁し政治を司る者のはずなのに、政党の為にと言っている時点で民主主義の基本原則を忘れている証拠である。
 こういう形が続けばそれは独裁に変わりやすく、与野党政治は基本的に仮初の独裁政治と何も変わらないという点で、本当の民主主義が取れている国は民主主義国の中でもフィンランドなどの北欧が近いぐらいで、さらに言えば、本当に民主主義に近い国はどちらかと言えば、王政国家での国民の幸福度が高い国であると言えるでしょうね?
 民主主義率が高い国は基本的に国民がその政治に満足しており、その生活に不便などが少なく幸せに暮らせる状況こそが一般的な民主主義や独裁との区別なく本当に民主主義に近い国であるかどうかの指標となる。
 国が荒れている状況や混乱に貧困が普通にある状況は民主主義の度合いが低く政治が機能していない証拠でもある。うまく機能していれば不自由なく安心して暮らせて民意が反映されやすく不満が少ない国へと自動的になっていくからである。
 与野党でに国を巡って争いをしている時点で、国が大きすぎるか同じ方向目指して国家としてやっていけない証拠であり、さっさとその対立政党同士で国家を分けた方がその後の関係もうまく機能しやすくなる。

 だって国家が違えど国民同士の繋がりまで分けられるという事はないでしょ?民族的宗教的対立関係などが無いのであれば、国際グローバル社会は世界との繋がりで持って成長していくのだから、国を分けたから全てが分かれるなんてことも無く、どちらがその人たちによって住みよいかを改めて見つめ直す良い機会となるでしょうね?

 日本で見た所でも政治が既に正しく民主主義で機能していないのは言うまでも無く、政治家がまとめた内容に逐一関心のある国民が判断をしていく形で政治をうまく機能させていくのが正しいでしょうね。政治の骨子や方針を決めるのは政治家の仕事ですが、それを本当に通しても良いのかどうかは関心のある国民の総意によって決めていく形で、政党は提案するだけ決めるのは関心ある国民で関心ある国民の7~8割の賛成がなければ、どの法案も実行に移せない形として、国民が納得できる法律などを作れない政治家は不必要として遠慮なく選挙で落としてやっていく形なら、不正や政治家優位な法律などはほぼ作られなくなり、国民目線で国民の為に政治が出来る人中心での本当の民主主義政治が出来ると思いますね。
 最終的に判断するのは権力者共ではなく、関心ある国民の総意と民意によって決められるべきである。 ちなみに私が言う内容の独裁的民主主義はその民主主義に近い内容で、独裁者を置く中で法案などの最終的決定権は国民に委ねる形である。なのになぜ独裁者か?と言えば、おバカな政治家の集いの中で作る形だから、圧倒的な権力を持った状態で政治のバカさ加減を叩き潰しながらその状態で本当の民主主義に持っていく為にはこうする必要があるという事です。
 ただ単に今の状態から本当の民主主義に持って行こうとしても反発する悪徳政治家が山ほどいるでしょうし?それらの動きを抑える役割として独裁者の役割が必要という事ですね。まあ一般的な独裁者とは基本的性質が違いますが、独裁者が国民に最終決定権を任せると言えば、それはそうするしかなくなり、本来の民主主義に近づけやすくなるでしょ?


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます
 本当の民主主義の在り方~終了~法案の最終決定権は関心ある国民たち



























 私が言う独民の独裁者は法案作成に1番積極的な意見を言う審判という辺りでしょうかね? そして私である場合は、賛成に頷きやすい方向に説明誘導していくという辺りですかね。ちなみに反対を出す人には何において反対なのかをきちんと意見させて、反対の為の反対は切り捨て、賛成においても理解せずに賛成する人の意見は切り捨てます。
 きちんと言葉を届けて理解してもらった状態で賛成してもらい多くの賛成が得られなければ意味なんてないですからね。 きちんと法案なども含めて説明する責任が政治家にはあるのです。説明責任は政治家として1番大事な仕事です。それが出来ない奴は政治家に非ずEND
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