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第550回 中東の平和を成す為の方法 戦争の起こらない国作り 禁忌の法 !閲覧超絶危険! [世界問題]

 さて昨日に引き続き中東方面の問題解決というよりも問題の本質自体の解決方法を今回は紹介していくが、はっきり言ってこれまでの常識全てを破壊する方法による解決法なので、本当に世界平和の為ならどんな大事でも行えるという覚悟のある方もしくは、この問題が深刻になった未来の人に向けてこの方法を紹介する。この方法であれば、今のような戦争や内戦の勃発は限りなくなくなり、互いに相手を一方的に憎んだり存在を抹消しようと侵略戦争を引き起こそうと考える輩が出ない限りは、限りなく平和な環境を整える事が出来るようになる。そんな夢みたいな話の解決方法があるのですよ。今の国際社会における常識を完全破壊するこの方法でならね。まあその常識も元は自分勝手な野心家たちの決まりによって作られた常識だから、今のこの問題彷彿な状況が繰り返し起こされているのだけどね。 この方法であれば、非常に大量の難民たちが国を追われたり逃げなくてはいけない状況になることは無くなる方法でもある。中東平和において最強の方法であるが同時に禁忌に近い方法でもある。
 さて、タイトルの方でも載せているが、今回もかなり危険で過激すぎる内容になる為、精神の弱い方や現在疲労している方は閲覧をしないでほしい。(明日の仕事などに影響を及ぼす危険性もありうるので。) それと方法は分っても通常の常識の範囲内では到底受け入れられることは無い方法なので、今は参考程度に未来のどうしても解決を目指したい人は世界を平和にして困る人を居なくするために世界の常識に立ち向かえるだけの国際的な繫がりを持った上での実行としてほしい。それだけ禁忌である手段なのだから。

 それでは本題に入っていくが、この中東で現在日夜繰り広げられている内戦や戦争などの戦いは主に民族間の対立や宗教間の対立や不満などによって引き起こされている結果である。これはその国々が独裁国家だからとか民主主義国家だからとか関係なく引き起こされている事である。そもこれの事の始まりは、まだこの地域が正確な国々として位置付けされていない時まで遡る。その時は各民族間の集まりや宗教間の集まりだけでの行動において何かしらにおいての野心や偶然の接触などにおいて戦いが繰り広げられるだけで、今のようなドロドロとした悲劇が繰り広げられることは無かった。この状況を悪化させた1番の原因と言っても良いのが、世界で国際的な国作り及び国としての境界線を引いていく作業において、この中東方面に関しては各民族や宗教的な垣根などを完全に無視して、当時のその辺りで強い力を持った国の初期の者共が勝手に線引きをして領土とした事が後の大きな問題となる。当時は世界各国で国の形成が急務だったから勝手気ままに線引き(これに国際社会も加味しているらしい)をしたという事だが、これによって多民族同士や他宗教同士が国という決まりによって、無理やり集められたり無理やり引き離されてしまう現象が引き起こされる事になった。だがそれでもその当時はまだそんな事情にあまり詳しくない者達も多かったのでそこまで酷い状況になることは無かったのだが、それからの国毎の政治において一部の民族や宗教を優遇したり差別的批判的に捉える政策を打ち出す政権が増えて、それによる国家内での紛争や不満が高まっていく事となった。これは独裁国家の場合はその政権が何らかによって潰れるまで引き起こされ、民主主義においても同様の事が起きるまで引き起こされて、その国において虐げられる者が出る限り同じ事が繰り広げられる常識となってしまっている。どちらの場合においても虐げられた者の気持ちが分かるから同じような事は起こさせないという事が毎回起きるが、結局少し政権が長引けば同じことが繰り返される事は既に歴史が語っている現実である。 つまりどんな真っ当な政権が悪と位置付けされる政権を倒した所で、その支持をより集める為に同じ考えの人々を優遇しようとする姿勢はいつになっても変わらず、それは民族や宗教の違いで謙虚に表れて、必ずと言っていいほどにいつかは少しでも驕った政権によって一部の民族宗教人だけが不満を覚えるような政策が出されて内戦や戦争まで事が引き起こされていくのである。この現状の常識ではいつまでいや、数百年経とうが何千万年経とうがこの問題は永遠に解決されることは無く、人類が滅びるその時まで繰り広げられ続ける問題と言えるだろう。 どんなに共存できる道があるとか多民族他宗教間で普段は仲良く出来ると言っても、それをまとめる国の代表と言える者共がどこかの民族や宗教人であり続ける限りこの問題は終わりを見せる事は無いという事である。ここまで言えば、現在の中東において必ずどこかの民族又は宗教に位置付けられている人々がこの地域を平和にする力が無い事に気付いていただけるだろうか? とくに宗教においては1つの宗教の中にも派閥が存在して、とくに有名なのがキリスト教とイスラム教だろう。これらにおいては特に同じ宗教であるにも拘らずかなり違った解釈で考えられていて、また違う1つの宗教であるという位置付けで考える事も出来るぐらいだろう。(派閥の数=宗教の数) この状況でこれらが乱雑に入り組んだ国家というのは何かしらにおいて衝突が発生する事はもはや常識でもあり必定でもある。そしてそれが内戦や戦争の引き金になる事も重々分かり切った常識だろう。 これを国の中においては同じ人間として民族宗教関係なく考えられる者が国の代表になれれば、まだまともな正常な平和の国にしていけるだろうが、それに該当する人物は最低条件が無宗教又は全ての宗教の事を認められる宗教でなければいけなくなり、この世界で見てもほぼ該当する人物がいなくなるという状況となる。まあ一部の例外として神様の存在における考え方が緩いというか多数神の存在があると信じる宗教人達は例外として該当しやすいがね。(日本の八百万の神(一応神道。八百万の方が知名度としては高い。)を何気なく信じている人は宗教的においてもルーズというかあまり気にしない人が多い。あと仏教においても多数神みたいな状況でもあるので割かし気にしない人が多い。(日本だけ八百万の影響が強いという事も影響しているのかもしれないが。)他にはギリシャなどの神々の神話で出てくる多数神とか。)

 少し脱線したが、結局のところ現状今のままの状況では、その地域に住んでいる誰が国の代表に新たに就こうとも悲劇の連鎖は繰り広げられることになる。昔の常識において国の線引きが勝手に成されている現状ではね。 そしてここまでの導線で次に私が言う禁忌の法が何の事であるか大体理解できると思う。常識を完全破壊すると言い、紛争や戦争の原因を引き起こさせない為に必要な禁忌の方法は、中東の国々を1度完全に崩壊させて新たなルールの下、国を再構築していくという方法である。 そもそものこの地域の動乱の下が昔の国の線引きによる勝手な合流や分断が引き金となっているのなら、その線引きを完全に1度無効化して、各民族や宗教間で問題が起こらない方法の国作りを再構築させれば、複数が集まる事によって引き起こされる優遇や差別や不満は発生しなくなっていく。そうなれば同じ国の中で起きる衝突や紛争はほとんど発生しなくなっていき、あとはその出来た国同士が勝手に戦争を引き起こさせないように国際社会が見守っていき、同時にその国々でも全体的な話し合いが行われるような場所を用意すればよい。そしていざ始まるような戦争においては国際連合や社会が本格参戦して、戦争起こせば世界が敵に回るという状況にすれば、むやみやたらな戦争は発生しなくなり、かなり平和的な状況へと持って行く事が出来るようになるだろう。 そこで世界がその戦争を起こそうとしている国に対して起こす全面的な介入とは、相手の国に何らかの攻撃を行なっている国に対して軍事経済両方で国際連合がその国を攻めるという方法だ。つまりどんな理由あれど相手国を現在攻撃している国を国際連合が全力を持って叩くという方針で行けば、各国は攻撃自体を躊躇う状況になっていく。そしてあとは国際的な話し合いや周辺各国での話し合いで問題解決まで持って行く流れに出来れば、かなり平和的な状況にする事が出来るようになる。 さてその新たなルールというのは既にこの時点で理解出来ていると思うが、各民族ごとや各宗教の派閥ごとでそれぞれある程度納得のいく形で平等に土地を分けてそれぞれの国と成すという形にするという事だ。それぞれがそれぞれ同じ者同士で集まる国であれば、その代表は同じ国の中で別段その民族や宗教において優遇や差別する必要も無くなり、国一丸となって行動していく事が出来るようになるだろう。このルールにおいて大事な事は、たとえ少数民族だからと言ってどこかに一方的に組み入れるなんてことをしないようにするという事だ。それは戦乱の火種にしかなりえないのだから。 そのルール作りと話し合いからの国の割り当てに関しては、力を持った国際連合の中東の真の平和を作り上げようとする国々や人々によって成し遂げればよい。
 だがこのルールだけではまだ欠点が残り、これに該当しない人々が弾かれる事になるのでさらに1つ加える事になるのだが、その人々は違う民族や宗教の人同士の結婚により誕生する家族たちや恋人などだ。今のルール上では同じ民族や宗教でしかまとまらない国の体制としているが、それ以外で家族で違う民族や宗教の人同士が存在する人々も存在するだろうし、その後発生する事が出てくるだろう。その人達に対しても同じ志を持って違う民族や宗教でも家族になれているという共通点による国を与えて、その人達にとっての安心できる国を作る必要がある。ただしこれで今の政治体制では確実に今のような戦乱が引き起こされる事になるのは分り切ったことなので、ある特殊な民主主義によって国の代表とするという方法によって悲しい悲劇の連鎖が繰り返されないようにする。その国においては他の1集まりの民族や宗教国家とは違い、様々な民族や宗教に属する家族が出来て住む事から、その状況での1人の国の代表では問題しか起こらなくなるので、その国においては各民族や宗教の代表者が必ず1人はその国の共同代表として存在するという国の決まりを作り上げる。そしてその国の運営においては、その共同代表たちで意見を合わせて執り行っていく体制を作り、その共同代表たちは永遠に同じ立場で同じ権力の下存在するという事にする。たとえその民衆の数が多かろうが少なかろうが関係なく同じ立場である事を義務付けるとすれば、偏った政治によって国内での対立に発展する事は少なくなるだろう。まあ政治が動かしにくい現状となるので、政治家と民衆の対立が引き起こされる可能性が少し高いという難点は残るもののね。 だがこの方法でなら、一部優遇や差別により引き起こされる悲劇の連鎖の発生を食い止められて、なるべく平和の時を長引かせる事が出来るだろう。

 以上 これが私の考える究極の中東平和における禁忌の法である。ここで発生する問題を解決へと導きたいのなら、私のこの考え方をベースに考えればまだ平和への可能性は希望が持てる事になるだろう。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 中東の平和~終了~禁忌の法
















 ちなみにこの考え方は大体どの国や地域においても言える考え方であるが、移民の国や多民族国家の場合は国の面積分割が最低条件な話となるので、平和を取るか生活の安定や国の財力関係を取るかの選択辺りになりそうだね。まあ今のアメリカにおいても今回と似た考えで行けば、今引き起こされている問題や対立構造などはかなり解消されて幾分平和になれるだろうけど、経済などにおいてかなりの弊害を引き起こしかねないから、かなり考え所な話となるだろう。 これにおいて日本が割かし緩いのは、日本人の基礎の部分に八百万が影響している事も多くて、いろんな宗教が仲良く共存出来ている状況にあるから、問題が発生しにくいのだろう。元の地盤が八百万の神の存在を信じるという事だから、そこに他の神を信じる人達がいても何もおかしくは無いという考えに出来るのだろうから。それで他のキリストやイスラムは元の地盤が唯一神や絶対神扱いだから他の宗教とは仲良くしにくいという事である。 他を認める宗教か認めない宗教かにおいて、国が平和になれるかどうかが決まるのだから、こういう考え方が平和の為には必要な事なのであろうね。
 ENDING
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