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第2220回 寺・神社の危機? 受け身待ちだけでは人は来ない [授業・雑記]

 さて今回はある報道の内容で、寺や神社での管理者不足によって荒れ寺や荒れ神社になっているような状況が増えているという所での問題があるという報道見ての話ですね。
 ただ自然に人が来るのを待つだけでは、寂れるのは当然。何かしらのご利益やら観光名所でも必要という所なのでしょうけど、そんな物がホイホイいくらでも作り出せるわけでもないので、基本的に数は多くてもなり手が少ない状況の1つの要因にもなってきますよね。
 まあそもそも日本固有に近い神社と日本の状況に引き寄せられた現在の仏教寺で現在の形に合わせようとしてもそのままではうまくいかない事も多いですね。 こういう所も時代の波に乗り遅れて錆び果てるのを待つだけでは意味が無く、積極的に新しい風を取り入れていく方が良いと思いますね。
 たとえ従来の寺や神社のイメージにそぐわないとしても、大事にする物は寺や神社の固定イメージよりも祀る対象の神仏の想いの方なのではないでしょうかね? なんか大事にする方向をはき違えている感じが強いと思いましてね。寺社のイメージよりも神仏の想いの方が優先されて然るべきだと思うのですけどね。
 例えば、戦いの神に大人しく寝ててくださいというのはどうなのか?というような感じですよね。ただ祀るだけで大人しくしておけというのは、逆に神罰クラスの神への反逆にもなるのでは? 鎮め封印するべき存在でもないのであれば、神仏がなるべく喜び知名度が増える方向で寺社を盛り上げていく形が望ましいとも思いますけどね。
 逆にそれらをさせないというのは、本当の意味での神仏に対する罰当たり行為なのではないでしょうかね?

 さて時事は昨日の感じと同じなので今日は無視。

 という事で本題の続きと行きますけども、お寺に関しては仏教の本元が海外にあって日本に広まった先で来ているわけですけども、通常の形での日本の死生観には合わなくなってきている事もまた事実であり、今の檀家とかのスタイルももう少し経つと本気でいなくなっていくでしょうね。
 それは昭和明治スタイルをベースにしていて、現代令和の人達の価値観に合わない状況になっている。従来の形はひとまず置いといて、新しい方向にも対応出来るような仕組みを作り上げていく事も必要であり、家族形式に捉われ過ぎないような形を構築した方が良いと言えるでしょうね。
 ドローンと組み合わせて、空飛ぶお墓とか海の中を潜れるお墓とかの新しい形で持って、死後も自由になれるようなお墓の形もあって良いかと思いますね。
 まあそれとは別として、お寺での勝手なイメージとして、自給自足系統の暮らしをしているという昔のイメージがあったりするのですが、農業と組み合わせて考えてみるというのも1つの手ではないでしょうかね?

 そしてお寺にも通じる所での神社に関しては、主に様々な種類の神様を祀る場所という位置合いを持つ物ですけど、ただ祀るだけというのでは廃り果てるのは自然の流れでしかなく、祭りなどを行なうというのは行事形式の一環としてはありですが、それだけではビジネス面で成り立たないのは基本の流れ。
 その状態で神社を神様を祀る場所としてもビジネス面で存続させる為でも必要な事は、年に数回の祭りではなく、継続的な祀る神様に因むビジネスを展開していく事ですね。その為には神職はついででも良い形で作り出すとして、何よりも大事なのは神社のイメージではなく、祀る神様を大事にして神様の存在を忘れないようにさせる意味合いを強めるために、神様が何で持って祀られているのかのルーツに合わせて、ビジネスを展開していくという形で、独自の形を作り出して行くという方向で行くと良いと思いますね。
 祀る神様に因む形であるならば、それはビジネスの形であっても神様を喜ばせる儀式にも等しいと言えますし、神様としてもただ祀られて廃るだけの状況よりかは自分のルーツに合わせて盛り上がって行く方が良いと思うでしょうよ。
 信仰心という意味合いにおいても神様の気持ち無視してただ祀るだけよりも神様が喜ぶ方向で盛り上げていく方がより信仰心高い行動とも言えると思うので、何かしら人が集まるもしくは認知されていく方向でのビジネスを展開していく形の方が良いと思いますね。
 それはただのお金集めだけのビジネスでは駄目であり、きちんと祀る神様に沿った形で盛り上げる方向を決めていくのが良いと思いますね。

 例えば戦いの等の神様であるならば、各党大会や武術大会等をこまめに開いたり、何かしらの対決要素をゲーム等でも良いからこまめに開いて盛り上げるという方向や訓練形式での場所の提供等でも良いでしょうかね。取り敢えず戦い関連での形で人を集めたり実況含めたゲーム大会開いたりとかでも良いと思いますね。
 普通は神社のイメージに合わないのでしょうけども、そこに祀られている神様が戦い形式の神様だった場合、何かしらの戦いの様を見せていくのはその神様に対する奉納の儀式にも等しいのでは?
 戦神に対して厳かに祝詞捧げるだけとか神様馬鹿にするのもいい加減にしろとか言われそうですしね。(笑)
 例えば恋愛関係とかだったら、神社でお見合いとか神社で婚活とかやるのも良いでしょうし、神社でデートが出来る形を整えていくとかやるのもありなのでは? 安産お守りとかでの神様系等ならば、近くに産婦人科併設させるとか妊婦限定で働ける場所や専門の医師のアドバイスが得られる場所を作り上げるとかもありでしょうし、交通安全系ならば、自転車教習とか自動車教習とかと合わせていくのもありなのではないでしょうかね?
 商売の神様であれば、神社での敷地に1日単位や1週間単位で日替わり週替わりの出店等を構えられるようにして、商売の可能性を高める方向で盛り上げていくとかでも良さそうですよね。

 ただお守りを出すだけでなく、本格的にご利益に賜れそうな物と組み合わせていく事でのビジネスを展開していく事は、神様の意向にも沿うように出来ると思いますけどね。それらを人が勝手に利益目的だけで作り出しているのなら罰当たり行為ですが。

 あとは人を配置するだけが全てでは無いと思いますね。人の数は日本では相対的に自民党のせいで下がり続けていくのですから、人の数が足りなくなるのは必然の事。それで何もしないのは神仏に対する冒涜行為でもあるので、人が無理なら人の代わりを置くくらいはするべきでしょう?
 ただ単に誰もいない無人で泥棒等に荒らされ放題にされるくらいならロボット等を置いて守れるようにした方がまだ神様に対しての不法行為度は下がると思いますけどね。そもそも神様などに対して依り代などの概念があるのならば、そこにロボットを当てはめるというのはあながち的外れな物でも無いと思いますけどね。
 神様の場所を守るガーディアンとしての形でもね。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 寺・神社の危機~終了~寺社ビジネス





























 そういえばお墓の形も典型的なワンパターンがほとんどですけど、彫刻等入れて本人が好きだった物を飾るとかの形もやって良いのではないでしょうかね? 無機質長方形の墓に入れられるよりももっと好きな物あしらった方が良いと考える人もいそうですけどね。
 伝統的だけでは廃られる。時代の波に少しは乗れないとね。最近の方向ならば、仮想世界にお墓を置くというのもありかも知れないねえ。 END
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