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第148回 女児2年間監禁事件についての解説 +犯罪者有利の裁判制度について [犯罪対策]

 今回は裁判が始まって公開された女児2年間監禁事件内容を元に、同じく精神異常者の観点から見た意見を述べさせてもらいます。(大体の考え方は理解できるので。全部とは言いませんが。) 世間の普通に生きるにおいて普通に生活する者には理解できない行動でも、同じく精神異常者でかつ世界のあらゆる情報と照らし合わせられる私の力であれば、こういう分析解説は結構簡単な物なのです。 今回の裁判の元になった事件は、そのまんまの出来事なのですけど、未成年の女児を連れ去り自宅にて監禁生活を2年間行ったというものです。 この人の人生を勝手(強制的)に奪う行為は、効果的には殺人と同類の類の犯罪でしょう。(期間が短ければまだ殺人未遂ぐらいのものでしょうが、これだけ長期間ともなると今後の人生も含めた見方で見ると、今までの人生の崩壊を与えていることになります。つまりその被害者の人生を殺したという事です。 しかし今の犯罪者に優遇している司法ではここまでの考えには全く行く事は無いでしょう。裁判所は裁きを下し犯罪者の更生を促す役目で、被害者達を救うというのは本来の目的に入っていないのだから、必然的に犯罪者擁護の場所になっていく事は必定でしょう。)

 今回公開された裁判の中で犯人は、この行為を実験感覚だと発言していました。被害者に対しては観察対象の被験者と呼び、その極限状態の行動観察等をしていたという事になります。これは普通の見方では許される行為ではないの一点張りで本質があまり見えてこない事になりますが、この感情や行動理論は、生物学者系統のものと似た感じがあります。つまりは人体実験を勝手に行った事という感じですね。 生来科学者とは頭のおかしな人も中にはいて、その人達でもより良い功績を遺せれば方法はどうあれ、世界に対して賞賛されたりもします。また今のこの時代でも人間は簡単には難しくても、マウスなどの動物による実験は世界各地で日常的に行われている事でしょう。この犯人は今回起こした事はこれと似た様なものだと認識しているから悪い事という見方には置けないという考え方なのでしょう。だって動物による実験は普通に行われているのに、これは悪い事ではなくむしろ世界に役立つための研究の為にすることで、たとえ命や人生をもてあそんだとしても、この事で結果が出ればそれはより良い未来の為の犠牲という観点になる。そしてこの動物とは、自分よりもはるかに弱い生き物に対して行う事が多い。つまり自分よりも弱い存在に対しての実験であれば世界は許す行為だろうという考えに繋がっていく。(常識が頭にしっかり入っていればこの発想にまでは行きつかないのだろうが、時に科学者たちは常識の中だけに生きてはいないことがままある為に、常識を抜け出しても結果を出したいという欲望が芽生えて行動することがある。 ふとその境地に至れば、今回の事にやけに他人目線で物事を語る事にも少し納得できるだろう。)という事は自分よりも弱い存在である女児に対して後に対しての実験であれば、世界でも普通に行われている動物実験と大して違わない事だろうという発想に繋がっていく事となる。そうなれば犯罪意識は自然と無くなっていく。

 またこの裁判中では、犯人は悪い事だという意識が捕まったことによるものだという理解で確認している。つまり自分ではただの動物実験の一環だったのかもしれないが、世界の常識でこれを見られた時にそれはただの犯罪行為としてしか見られなかったという事だからそういう事なのだという感じで理解しているという事だ。(つまり世界の認識上では自分は外れすぎた考え方なのだと認識したうえでの理解である。) そしてこの後は終始悪い事に対する反省の弁を申しているが、ここまでの考え方から見てこの行動は計算され尽くした結果による可能性が高い。つまりここで謝る態度を見せれば、刑の減刑に繋がるであろうという算段の元行なわれている可能性があるという事だ。こういう場でやたらに事の内容に対して無言や否定するような感じで行っていけば自身に対する心象は悪くなり、この実験をさらに悪い見方に囚われてしまいかねないという思惑も少しあるのではないのかと思う可能性もあるだろう。全てを穏便にして見せるやり方で行けば、たとえ懲役刑だろうと、殺人等の危害を加えたわけでもないしここで反省の意思を見せかけでも演じきれば数年で社会に戻れるのではないのか?という算段があるように見受けられる。 ただ自分はこれを犯罪という見方では見られないため、客観的に物事を判断して行動していくという感じになってくる。つまりは減刑の為の必要最小限の対応をしていく流れとなる。 現在の司法は犯罪者の更生を促す役目もある為に、こういうふうに例え見せかけでも謝っている風で見せられれば、多少の心象で減刑になるケースが多いという事になる。 だが事の本質で考えると、こういう事で減刑や犯罪者を擁護していくふうな感じで行っていくと、犯罪者が総じて罪に対する意識が少し薄れていく事にも繋がっていく。つまりは刑が逃れられない場合、こういう感じで行っていけば刑が軽くなるという意識が出始める。それは=罪の意識が薄れるという事だ。 つまり今の司法裁判では、どんなに悪い事をしたとしても刑を減らせる方法がある為に、犯罪行為に対するハードルを下げている事にも繋がっていく。(犯罪が不確かな場合には必要な事ではあるのだが、確実にやったことが分かる場合でこれをするというのは、被害者の気持ちを何一つ理解せずに事が進むという状況になりかねないという事だ。) 今回の事件もまた普通に見積もっても数年位で刑が終わる計算になっていくだろう。つまりは法的にはその程度だという事だ。被害者の痛みや苦しみは法とは何の関係も無い事が良くあるためだ。つまり人間として完全に心を壊されたとしても、身体に傷等の外傷が特に無く殺されたりしていなければ、法的には軽犯罪となるという事だ。2年間の自由の無い暮らしと、数年間のある程度は自由のある暮らしと同率は普通に考えて釣り合うわけはないのだが、法的は普通に釣り合うと考えるわけだな。 私が判断を下せる状況(法改正も含め)なら、女児の苦しんだ2年間に罪の重さを掛け合わせて、今の刑務所スタイルで計算すると、40年位服役してもらわないと釣り合いが取れないと考えるな。人のその時の人生と未来の人生を奪っておいて、普通に数年で幸せを掴めるというのは現在の法が許しても罪の重さと女児の苦しみを考えたらこれぐらいでないと釣り合いが取れないだろうな。 (司法は多分若いんだから早めの内に出せるようにするだろうが、被害者はさらに若いという事を念頭にはおかないだろうな。早めに出す事は犯罪者の社会活動促進には進めても、被害者に対してはそのこれからの人生をさらに怯えて満足無幸せは掴むなという事に他ならなくなるから。 私が提示した40年というのは、これからの女児の未来の不安を取り除く為に必要な期間として挙げている。 さて今回の件で法はどのような判断を下すのかな?身勝手な犯人をかばい被害者に対して未来永劫の苦しみを与える判決を出すのかな?)


 それでは今回の犯罪に対しての解説を終了します。
 ここまで見ていただきまして誠にありがとうございます。
 司法~終了~犯罪者擁護の方針







 私がこういう事件での刑を考えていくと、大体の重犯罪事件はかなり重く扱っていく事になる。 特に車では、犯罪者を守る為に危険運転では無く過失に済ませる働きがある事はすでに認知の範囲であると思うが、私なら事の重大性においてどちらにするかを判断していくだろうな。つまりは被害者の苦しみがどれだけ深いかによって罪を重くしたりするという方法に変えて行くという事だ。現在の日本の法整備では、犯罪者は救えても被害者は救う事は出来ずにさらに被害を増幅させることが出来る状況にある。これはすでに根底条件自体がおかしいという事だ。さらに現在の司法は国に傾倒しすぎている面もある。(国がしっかりしているならいざ知らず、今のような事実上一党独裁状態では、これを支援してどんな犯罪者だろうと許される状況になってしまうだろう。 例えば大物政治家が数人人を殺害しても無罪にするとか・・・今の現状ではこれがいつ起きてもおかしくないという事です。) いつになったら日本は被害者の心を救う司法裁判制度に切り替わるのでしょう? Finale
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