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第268回 相次ぐ日本国内での人種差別発覚状況 教育現場は崩壊している? [授業・雑記]

 さてタイトルの言葉だけでピンとくる人は少ないと思われます(今回は森友学園関係無し)が、最近またもや発覚した福島からの避難児童いじめをもっと強めの言葉に直した物が、この「人種差別」という事なのです。福島の原発事故での避難をしている子をターゲットにしたいじめは、もはや福島の人を故意に差別する人種差別と同等と私は考えます。この状況下では日本人というくくりは日本国内では存在しないのかもしれないですね。(その他に沖縄県民も差別の対象になったりしていますし。)もしくは何かしらの多大な被害を受けた人々は自国民ではないという考えに至っているのかもしれない状況と言えるでしょう。 今日はこれに加えていじめ問題を無視して子供の人生を消そうと動く教育状況の悪さも追加で批判していきます。 (ちなみに今回の話の解決方法は第183回ですでに公開しているので、この回の中で詳しく書く事はありませんことをご承知ください。)

 私はこれまでにもブログ内で「いじめ」という存在の言葉は本当は暴力事件や傷害事件などを軽くしようとする意味で使われていると非難したり、その行為を無くす為にはどうすれば良いのかなどの方法提示(代表回183)をしてきました。が、この福島で起きた原発事故による避難を余儀なくされた児童に対するいじめは暴力や心身の傷害だけの枠を超えて、もはや人種差別の領域の状況と化しているように見受けられます。福島から避難してきたというだけで被爆前提の対応や「菌」などと付けて呼んでの明らかに人種が違うような差別扱いは世界で定義される人種差別と何1つ変わりないように見受けられます。 これが教育現場の学校という場の中で行われている状況は、人種差別の教育までされているのか?と、疑いたくなるような状況です。 なぜ疑念がここまであるのかというと、今までの「いじめ」という名の暴力や傷害事件などの対応で学校側が取ってきた無関心や教育放棄などの対応と遜色せずに変わりが無い事にあります。 要は教育現場の状況から見ても人種差別を肯定化してその教育を教えて、その本来であれば同じ人種の日本人である児童に対しての教育を放棄している状況にあると考えられるのです。 「いじめ」という言葉で軽く見られる方が過半数を占めるでしょうが、当の被害者やその家族から見れば人種差別行為と教育放棄されているという日本においてはかなり厳しい問題であるという事です。 学校側のスタンスは前にも少し話しましたが、差別対象(いじめ被害の児童含む)の児童1人よりもまっとうな児童99%を守れれば良いという判断の元教育活動を行なっているのでしょう。つまり人種差別をしている児童や加害者側を守ろうと学校側が動いているという事です。(この点は現在の法律と同じ動きですね。要は日本では弱者は生きる資格や人権は必要無しという状況になっている。) まあそりゃあ1人を切り捨てれば後は問題無しで面倒な状況にまで行かないとなれば、普通の思考ではその判断にたどり着く結果になる可能性は高いでしょうね。さらにいじめ発覚した場合は学校の評判に作用するからなるべく隠蔽しようとする動きは強みを増すでしょう。たとえ遅かれ早かれ発覚するとしても被害をなるべく遅くしたいという考え方は至極普通でしょう。またそれでのメディアの反応も一過性の事が多いので結局は隠蔽した方が得では?という考えに至るのでしょう。 こと学校内の問題に関しては教育委員会と手を組みさえすれば、ほぼ完全隠蔽体制は整う事になるのですから。警察や行政なりの介入も一般の親からすれば難しいでしょうし。そうやって児童の教育放棄による切り捨てを行なっていく方がメリットがあると考えて行動する学校が多いでしょうね。 また、児童よりも先生が大事と考える教育機関もかなり多く、子供は仕事上の相手として捉えて1人2人ぐらい減るような事態になっても先生1人の方がすごく大事だという学校事情もあるのでしょうが。(近年先生の数自体も減少傾向にありますし。少子高齢化で) だからいじめ問題において児童の心配よりも先生側を擁護しようとする学校側の動きが非常に多いのです。(児童は変えが効くけども先生は変えがあまり効かないからという教育者の思考をまるで無くした思考による判断ですが。)

 またこういう学校での「いじめ」問題においてはいじめた側が普通の学校生活や教えを受けることが出来るのに、いじめられた側は突き放されて教育を学校側が放棄するような動きになる事が多い状況です。 なんでしょうねえ?物理・精神問わずに暴力を行なう側を学校や教育関係者等が守るという決まりでもあるのでしょうか?被害児童は被害を受けたら用済みとされるのが日本の学校教育ですか?だとすれば、日本の学校教育の環境はすでに崩壊していると言っておかしい事は無いでしょうね。 今の日本の法律と相まって加害者は救う価値があるけども被害者は救う価値もないゴミのような存在だと学校教育でも常識として扱われているのでしょうか? さらに報道も騒ぐだけ騒いで放置する傾向も強いですし、被害者が救われるような環境が訪れる未来は日本に訪れるのでしょうかね?
 簡単に今の現状で被害児童たちを救えるような方法があるとすれば、クラス替え(被害児童のみ)を行なうとか、放置した学校の全負担で転校できる体制を取るなどの対処方法があるでしょう。 また場合によっては引っ越しなどにかかる費用等も学校の教職員達の自己負担で行なっていくなどの対応にすれば、いじめを解決させていく体制を学校側も取らずにはいられなくなるでしょうし、被害児童が教育をすぐに受け直して行けるような状況へと持っていく事が可能となるでしょう。 また私のブログの第183回で解説したいじめを受ける児童限定の特別対処療法を行う体制を作るという方法も効果がかなりあるでしょう。(いじめ事態の発生抑止と、被害児童の心のケアを含めた待遇向上(教育の質も向上になる。)) というか本気で第183回の内容を実行すれば、日本全国のいじめ問題の発生数自体を1/100以下ぐらいまで抑えられるでしょう。(施行数年後くらいには) だってこの方法は、いじめた側がとても惨めな思いで学校生活を過ごさねばならなくなりますから。(惨めと言っても、普通の生活の事ですよ? 詳しい内容はその回を見てね?)


 それではここまで見ていただきまして誠にありがとうございます。
 「福島避難いじめ」~終了~人種差別











 さてこの福島原発避難児童のいじめを人種差別教育と認定させると、森友学園の人種差別教育と相まって、日本各地で人種差別正当化の輪が広まっていると感じられるような状況と言えるでしょうね。これで日本はグローバル社会だとか東京オリンピックを開催するとか大阪万博誘致とか何の冗談話?と言いたくなりますね。これだけ人種差別教育を広めるような動きがある国で世界と良い関係の行いをしようとかバカか?と言いたくなる。 日本はいったいどこへ向かいたいのかな?

 さて、今日行なわれた石原元都知事の会見は一言で言って、非常に見苦しい会見となったな。以上。
 end
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