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第443回 子供の長期休暇の宿題に関する問題 必要性に疑問符”?” [教育]

 さて私もかなり忘れていましたが、今日ってPFでしたっけ?実感身が無く、公務員の休み時間を増やすだけの無駄政策の気が多く致します。 そして再度言いますが、私のブログではコピペや転載は自由なので、HDD容量に空きがあるのならそちらに文章移して見た方が何かと経済的だと思いますよ?(それが出来ないなら紙に必要な文章部分だけ書き写すでも良いですし。というのも、昨日の浮遊都市が実質閲覧者の3倍以上の閲覧回数となっていたので、改めてそこまで見直したいなら自由にコピペしてくださって構いませんと申し上げます。)
 さて今回も子供絡みの回ですが、今回は子供の夏休みなどの長期休暇で出されるほぼ膨大な量の宿題の必要性はあるのかどうか?という事に関してです。そこに強制的な必要性を出して学生にそれを求めても、実際の効果が見込めない学生が出てくるのでは、強制性に意味は無いのではないのか?と、考えた次第です。(そもそも強制でやらして果たしてどこまで学業向上の効果が見込めるのだろうか?) それで、長期休暇宿題の学校側の意図と必要性の有無に関して今回は話していきます。(最初に言っておきますが全部を否定する気はありません。強制性の仕組み自体はほとんど否定しますが。)

 子供の長期休暇時に与えられる宿題が今回のテーマですが、昨今はそれで宿題代行や宿題として出されるであろう品物の完成品を販売するなどのビジネスが横行して問題視もされているようですね。これは今ではお馴染みとなっている夏休みの宿題をまじめにしたく無くて遊びに集中したい子供がいるから起きる現象です。また最近では宿題の量を非常に多くして、長期休暇でも子供には休みを一切与えないようにして勉強漬けにしてやろうとする子供イジメな学校が増えている事の影響かもしれません。ただそれらで宿題を増やしまくっても当の子供が真面目に勉強に取り組む姿勢や親の監督できる状況が合わなければ、全くもって無駄な子供イジメの状況になってしまうでしょう。そも強制でやらせても元からの勉強が好きな子供でない限りは、逆に勉強が嫌いになる要素や宿題に関しては自分ではやらない慣習を与えかねなくなり、逆効果を与えかねない事が多いです。学校側としては家庭での勉強の日常性を与えたくて、また学生としての本分の1つである学びの継続を与える目的で長期休暇の宿題を出しているのでしょうが、これを強制でやらしても効果としてはあまり無いのが実情です。 そもそも長期休暇時の宿題に関しては、行なわせる必要性はどこに存在するのでしょうか?基本的な問題に関しては現在のネット全盛期の時代では、答えを探して書けばいいだけの話ですし、そのプリントなどの裏に答えが書いてある物もあるでしょう。それではただ単に穴埋め作業という意味も無い事を子供に強制している無駄な事ではないでしょうか?さらに明確な答えの無い宿題も多くありますが、読書感想文など軽く本見て内容のワードのいくつかで良かった悪かったを抽象的に書いても読書感想文としての本分となりますし、さらに難しいとされる自由研究に関しては、意外と簡単であまり学業の意味性が無い物で済ませる事が可能です。それは人体の神秘についての自由研究です。自由研究という事でテーマが自由なので、何を研究しても良いなら自分の体の状況を研究する事でも良いという事です。そして行なう事は、夏休み等の長期休暇での体重や身長の推移や握力や筋力又は歩く速さや走る速さの変化について調べても良いという事です。(もしくは睡眠時間とか普通の生活の様々)そして研究期間も自由になっているので、本格的なら長期休暇期間中で短ければ1週間や1日(朝から夜までの行動による変化の推移の研究)でも自由研究として当てはめる事が出来るでしょう。誠実に不誠実に自由研究として行おうと考えればこんな事も可能という事です。(笑)(自分や知人の人体の神秘についての研究になりますから、全く見当違いの事ではない。しかもこれでは、同じ内容の物が出る可能性はあまり無いですし。 ただ家でゴロゴロするだけでも出来てしまいますが(笑)(笑))
 とまあ夏休みなどの長期休暇の宿題として出される物での本格的な学業向上能力は高くないという事であり、強制で出されると手を抜こうと思えばいくらでも手を抜ける事になるので、より宿題の本分から離れてしまう事になる。つまり強制で大量の宿題を出しても本文としての効果ではむしろ逆効果になりかねないという事である。ただ、勉強が元から好きな子供で普段からも家に帰って予習復習をしっかり行なえる子供にとっては、そういうアイテムが渡される事になるのでより学業向上効果が見込める事になるのも確かである。つまり長期休暇の宿題を友好的に考えているか反抗的に考えているかで効果が全く分かれてしまうという事だ。それに子供の勉強に関しては学業だけが全てというわけではないだろう?(いくら学業の成績がずば抜けて高くても、就きたい仕事の専門的な所の技術力が無ければあまり意味が無い事も多い。代表例:プロスポーツ選手など)それを体感して感じたり覚えたりも出来る期間として使われるべき長期休暇期間を学業優先で勉強の為だけに強制で埋めさせられるのは、はっきり言って子供の未来の勉強の為には足かせになりかねないというのが現実という事だ。学業以外の特殊技術優先の仕事に将来就こうと考える子供にとっては、子供達の未来の成長を阻む要素になりかねない状況があるという事だ。という事は無理に強制で大量の宿題によって子供の未来の成長を阻む事になりかねなくなるので、その宿題の意味合い性自体が既に崩壊気味という事だ。勉強が好きな子には必要かもしれないが、それ以外にとっては存在自体が強制の名の元では意味が無い物である。=大人達の必要の無い子供イジメである。 しかしこれの強制性を取って、明確な答えが無い宿題に関して行なって何かしらで優秀性があればクラス内や学校全体で褒める又はその分野においてのサポートを学校側が約束するみたいな事で子供の未来を応援するというような形で行わせる形であれば、長期休暇での宿題の有用性を子供に与える事が出来るだろう。 そしてもう1度言うが、答えがネットなどですぐわかるような宿題の強制は止めて、自己申告制での希望者に配布する形にして、明確な答えの無い読書感想文や自由研究に関してもきちんと行えばそれなりに褒めたりサポートしたりするけども別に行なわなくても良いという自由な状況を与えれば、それが未来教育的には有効性が高くなるだろう。 その状況では別にのんびりまったりと無駄に過ごすような使い道でも構わないとする。そもそもが長期休暇であって、子供にとっての数少ない自由に時間を使える場でもある。それの使い方を考えさせるという意味でもそれの阻害要因である強制宿題はむしろ意味の無い無駄な代物である。 それに誰にだって息抜きの時間があって良いだろう?それとも何か?子供には長期休暇を与えると言いつつ24時間すべて勉強漬けにさせる為に宿題を与えて大人達の苦労の不満を子供達にぶつける為に存在しているのか?だとしたらそれこそ学校が行なう子供に対する差別行動(児童虐待)に値するだろうな。 本来は子供の学業の向上や維持を目的として出されていたのだろうが、その実はそれとは真反対の効果になっている例があるという事だ。(というか半分くらいが意味の無い無駄な物になっていると思われる。)

 結論としては、必要な子供には必要だが不必要な子供には全くの無駄な物であるから、より子供達の未来の成長を促進させる為にも強制的な長期休暇の宿題は止めて、行なうか行わないかの選択肢を子供達に任せる形で行なっていくと良い結果に結びつきやすいだろうという事だ。(それに今の時代ではより学業だけに当てはまらない勉強の必要性が生まれているので、学業だけを強制させても未来の成長の阻害要因にしかなりえないだろう。今の学業体制では。)


 それではここまで見ていただきまして誠にありがとうございます。
 子供の長期休暇~終了~宿題
















 さて今回は少し夏休みの課題で慌てている人への悪魔の囁き的な回にもなっております。 そういえば読書感想文って、簡単に真面目に行なおうとすれば、新聞の一コマ欄の内容でも良いのでしょうかね?(真面目な文章の物ですし?)もしくは映画のパンフレット的な物でも良いかも?(大体のあらすじなどが書いてあるし。) 自由研究の人体の神秘でも自分は何をどこまで行えるのかの研究でも良いわけですしね? そう考えると意外と簡単にできるかも?(誠実に不誠実にそして言葉の意味合い的に間違っているわけでもなく。)
 END
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