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第1551回 たかじん委員会 新たなルール 理想と現実 [政治経済改革]

 さて今回は、たかじん委員会の内容の一部についての話で参ります。 まあ今回は激論が多かったですけど、理想と現実を正しく見られている人は少なかったようにも見えますね。物事を1面からしか見られなければ、それは全てを見て言えているという事ではないという事です。物事は全て単純明快ではないですからね。

 さて時事に関しては、今まさに迫っている台風に関してですけど、従来の予想よりは日本に近付いていますね。その代わり勢力は若干低めという判断のようですが、それでも十分に今まで以上の危険性のある物ですから、安心できる要素はどこにも無いでしょうね。
 そして今回の台風で新たな避難所として役に立っているのは、個室空間で泊まれるホテルのようで、基本的なサービスの事まで考えても、非常時には便利な避難所としても考えられますよね。
 あとはこの事も生かして、ホテルの建設の形を単なる観光客向けだけではなく、非常時の避難所目的としても考えながら、地元住民たちへのひと時の憩いの場所として、手軽にリゾート気分を味わえるような場所として活路を見出して行くと、観光客をサブとして見る事も出来るようになり、基本的な部屋の稼働率を上げられるようにできるのではないでしょうかね?
 それで地元住民割引とかを作り出せば、地元への地域活性化への貢献にも繋げられます。
 観光客目当てではなく、地元住民目当てのホテルの形もこれからの時代はありなのではないでしょうかね? そしていざという時には、避難所や物資保管所等にも使えるようにすると、活用の幅とホテルの利用性が上げられるでしょうね。
 あとこれだけの暴風ならば、それをうまく風力発電に使えるように出来れば、自家発電系でも十分な発電量に使えられて、既存の電力網が途絶えさせられても、電力不足にならずに済ませられるでしょうね。
 横回転する壁でもその仕組みは加えられるでしょうし、設備として風除けの仕組み+風力発電に繋げられるのならば、暴風対策をしつつ電力確保にも出来て、一石二鳥となるでしょうね。私の独自の風力発電の仕組みにおいては、微弱な風でも強力な風でも発電に変えられる仕組みがありますので、それを使えれば、台風だけの専用という事にはならない形で使えますしね。

 さてそれでは、本題のたかじん委員会の新たなルールに対する話をしていきます。
 まず強盗キャンペーンは無視するとして、最後の学校での髪型に関しても、誰かの授業妨害にならない程度であれば自由にして、授業妨害の髪の形ならば、最後尾に持って行って、複数居たら縦に並べてやれば、自分たちの髪型の反省点に気付かせられるでしょうね。
 学校校則も基本は必要最低限の形として、毎年生徒会や生徒総会の形で今の時代にあった校則を考えて行くという形にして議論させていくようにする方が、教育的な面では良いような気もしますね。大事なのは、大人の勝手な意見ではなく、時代に合わせた子供たちの考え方を重視させるべきだと思います。
 それに対して先生たちは、反対は出さずに、意見の形で危険性がある場合の口出しはして行くという形ならば、間違った方向になる事はほとんど無いと思いますね。テロリストが集められた学園とか犯罪ばかりの集団等でない限りですが。

 それで私が本題として取り上げたいのは、中3つの方で、どれも私が前に語っている事ばかりですが、再度的な意味でも話して行きます。
 PCR検査の大幅拡大に関しては、最低限必要な人数分は確保するべきだけど、全国民(市区町村民)が毎日受けられまくれる量は必要無いでしょうね。というかそのような大掛かりな事をするよりも、私の極論の日本国民全体缶詰化計画を実行した方がまだ、被害や問題少なくコロナ撲滅まで進められるでしょうね。
 ただ医師の人が、大幅拡大に反対する意見として、それで陽性者が増え過ぎたら反って混乱したり医療逼迫に繋がると言っていましたが、逆に少なすぎると、市中感染が追えなくなって、絶対に守らなければならない人達にコロナの危険が普通に入り込めてしまえる状況になるので、そこの可能性でのクラスターによる死者数が増える事での犠牲は致し方ないと言っている風にも聞こえてしまうので、医師としてそれはどうかと思いますね。
 市中感染がどこかしらで続く限りは、対策の形をどれだけ徹底的にやろうとも、完全に防ぐ事は出来ないのですから、それによって起きる犠牲は仕方ない犠牲だという事にしかならなくなります。
 そして次にも繋がってくる話ですけど、減税程度では、人の移動は止められないので、確実な防ぎは出来ないという事になる。結局このウイルス系は、集団免疫だろうともワクチンだろうとも、型が変わって変異していくと、無効化されていくという事にもなるので、あまり少なすぎると、変異させやすくなって、防ぎきれなくインフルエンザのようにいつまでも残る状況になりかねなくなるでしょうね。
 まあ今回のコロナは、インフルエンザと違って、時期に関係なくいつでも流行出来る能力を持っているので、インフルエンザよりも質が悪い事は確かでしょうけど。
 まあ言葉が悪い言い方をすると、医療崩壊を防ぐ為には、重症化から死んでくれる人が増えた方が、医療崩壊を防ぎ易いという裏の思いがあるのではないでしょうかね? だって現実の状況としても、入院者が死ぬと、その集中治療室やECMOの数が空くわけですから、治療よりも数を確保しやすくなる。
 数が減ったのは同時に人が死んだから起きている状況では、喜ばしいのか悲しい事なのか分からないですからね。厳密には悲しい事なのですが、その場所が空く事によって医療崩壊がまぬがれやすくなってしまうのもまた同義であり、中途半端に治せる状況で病室を埋められるよりは、手遅れから死んでもらった方が、医療崩壊は防ぎ易いという深層心理的な所から、PCR検査は少ないままでも良いとする意見があるのではないでしょうかね?
 理想は全員助ける事ですが、現実的にそれをやろうとすれば、確実に医療崩壊の可能性が高まりますからね。人の数も病室の数も無限にはありませんからね。
 まあ、人に頼らない形でならば、どれだけPCR検査で患者が増えても絶対に医療崩壊も人手でパンクする事もない形に出来ますけどね。
 あとコロナ差別に関しては、国がしっかり法律作って、差別者を厳しく罰していく形にすれば、それも防げると思いますけどね。コロナ差別者達を今の安倍政権は応援しているような状況でもあるから止まないのですよ。そしてそれは菅政権でもしっかり継承されるのかな? 本来守られなければならない人達は守らずに、コロナを悪とするのが菅政権の形なら、私は激しく落胆ですね。

 それでお次は、消費税減税の話ですけど、私は贅沢税に変えるという事での元からの基本方針が違うので、この事には正しく当てはまりませんが、限定減税の形で、私の仕組みに当てはまるお酒を除く飲食に関わる所と、衣服に関する所に衛生用品に関わる所の消費税率を一時的に0にするぐらいならば、大幅な消費税減税のデメリットを発生させ無くして、基本的な所での経済を回して行く方向性に繋げ易いのではないでしょうかね?
 まあただし、あまりの高級品等は出来れば無視する形(仕組みとして後付け的に、期間が短いとかでも良い。)として、一般の生活者達のレベルでの経済に関する消費税の減税の形にはできると思いますね。
 あとは否定されがちですけど、ベーシックインカム系も全てを対象とするのではなく、年収1000万円未満(大体の適当な所)の人限定等にすれば、低所得者向けに出来ますし、何より今職を失って路頭に迷って一切の給料を得ていない人が大勢出ていますので、ただの減税だけでは、本当の困窮者には何も恩恵が与えられず、ただ社会から「さっさと死ね」と言っているような物になるので、貧困差別になるような減税のみではなく、きちんと職無く困窮する人たちが生きられるようにする事の方が、後の経済活性化には役立ちやすいと思いますけどね。
 さらに1つ忘れられがちな子たちの事も含めて言えば、このベーシックインカム制度で1番救われる人というのは、災害孤児や虐待や暴力に犯罪や事故等で孤児になった子供たちであり、ベーシックインカム等をしないというのは、大人たちの勝手な言い分で、子供が苦しむ状況は放置するという最低の児童虐待に繋がっている事は理解出来ているのでしょうかね?
 現状においてもただでさえ苦しい孤児院等がさらに苦しむ状況は、見ていて楽しい物ですか? 安倍政権等はこの子たちの存在は居なかった物として扱っている面も強いですけどね。結局本当の弱者は誰にも見られない所に居るのですよ。
 今の身勝手な大人たちは、本当の困窮者が誰であるのかを知ろうともしない。だから日本の経済が落ちていくのですよ。本当に救わなければならない命と生活を無視した社会にしているからですね。

 それで最後は度々問題視される安楽死についてですけど、私は容認派であり、詳しくは他の回で延々やっているので詳しくは書きませんが、安楽死の問題の側面にあるのは、介護疲れによる肉親の殺人事件や民間の介護する人がストレスで殺してしまうという殺人事件の事であり、安楽死を一様に防ぐべきだと言っている背景にある物は、最愛の者や助けてもらっている人に一方的に殺されるより残虐な末路になる事も多々あるという事であり、これらの要素を無視して安楽死は認めてはいけないという考えもバカであると言える。
 結局人がやっている状況では、介護する側が疲れやストレスに金銭面等で殺すしかなくなる状況を作り出したり、介護される側が肉体的や精神的に追い詰められて殺してくれという事を思う状況になりやすく、本格的な奉仕精神とそれに合うだけのお金が無い限りは、人でやるのは安楽死よりも残酷な末路になりやすいという事であり、それを容認してしまうような意見自体が最低なバカであると私は思いますけどね。
 結局生きた先に待っているのは、明るい未来ではなく、苦痛の地獄だったというのでは、何の為の生きた意味なのでしょうか?という話であり、それらをさせないようにする為には、安楽死の法律化等も1つの手ですが、どこまでも人に頼るという最悪の一手にするよりも、完全に機械に生存的状況を任せられるようにして、機械と一緒の生活状況のアンドロイドの様な状況で、好きに生きられる状況にさせる方が、最終的な意味も含めて、その人の幸せと行きたいと思える状況に繋げられるのではないでしょうかね?
 つまり完全介護ロボの形であり、病室的ベッドのような物でもあり、また同時に本人の意志によって移動する事も出来るような形として、人に頼らなくても機械の補助で生きて自由に行動できるという義手義足系の身体障害者等と同じような括りで生きられる形にするのが必要かと思います。
 介護用のパワードスーツ型ロボットの形として、中に人を搭載して、投薬治療等も含めてフルオートで行える完全機械頼りの形ならば、介護者による殺人も無く、介護される側が少なくとも精神的苦痛からは解放されて、虐待等を受ける事も無くなるので、安全に自分の意志で生きるかどうかを選択しやすい形に出来るでしょうね。
 まあその状況でなら基本的には生きる事を選ぶ人が多いでしょうけど、避けられない死が迫っていて、投薬でも防ぎきれない痛みなどが伴う場合は、そのロボットからのカウンセリング等を受けた上で、安楽死等を全部その場の本人の意思で選べるようにして、誰の状況にも左右されずに、機械に自分の命の全てを預けた形で判断を出す事が出来ると思えますね。

 生きたいと思える状況化を作り出し上げたいのならば、まず人で介護を行なう事が絶対であるという古すぎる固定概念を完全破壊しないと、その次には絶対に進めないでしょうね。
 義手義足は失った部分を補完する道具であるのならば、機能として失った体を補完する道具は、人を搭乗させて自立移動できるパワードスーツ型のロボットでしょう。 たまにロボットアニメ等でも出てきますよね?


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 たかじん委員会~終了~完全介護用パワードスーツロボ





























 基本的には人至上主義の固定概念を捨てて、機械と共に生きていくという事を新たな社会の形にしなければ、コロナ等のウイルスにも安楽死の問題にも打ち勝つ事は出来ないでしょうね。 END
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