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第1681回 AR教育 国語編~漢字と絵のコラボレーション~ [教育]

 さて新カテゴリでの新シリーズで、ARを活用した新たな楽しい教育の形という事で、第1弾は国語で参ります。まあ主に、文字の読み書きと漢字に関しての内容ですね。これが、今までよりも1000%楽しくなり、ついでに外に飛び出して色々見たくなるような仕組みも追加します。

 さてその前にいつもの時事ですけど、検査数との兼ね合いのせいか、まだ低く抑えられている感じになっているような状況のようですね。ただ、東京の方は、陽性率だけで見たら、地獄の入り口が顔を出したぐらいの数値になっていたりもするので、少ない中でのピンポイント検査でやると、そんな数値になってしまう恐ろしい感染状況でもあるという事なのでしょうね。
 ちなみに今日の感染数に対して検査数は、先週の30%でこの数字のようですから、これを100%に戻すと、単純計算で約3倍に膨れ上がっているという恐ろしい数字になってしまいますけどね。
 これが連休の悪魔という事ですかね。明日からがとても楽しみですね。
 私にとってみれば、私を無視する限り、数が1日東京1万となろうとも、医療崩壊とか医療壊滅になっても、私にとっては楽しい限りでしかないですね。だって、私の散々の警告や提案をすべて無視して、今のままで大丈夫と思った者達の結果がこれなのですから、私はそれに対して、愉快愉快と思う意外にやる事は無いですよ。
 今日のミヤネ屋を見ても思ったのですけど、台湾のオードリーさんと私が思うコロナ対策はかなり似ている感じでもありますかね。まあ私は彼よりも、機械ロボット&AIに傾倒している点が強いですけど。
 それにしても、今の台湾こそが民主主義としてコロナに打ち勝っている良き前提例という事でしょうね。日本も台湾の政治スタイルを全面的に見習うべきですよね。日本の政治に、春はいつ訪れるのでしょうかね? 安倍菅と、冬が一向に終わらないのですけどね。

 あとは、政治絡みでは、石破さんが数少ない友達に嵌められて、大人数会食にそのまま参加したりしたようですけど、現状それは、国民の期待を全て裏切る最悪の手でしかないですから、せめて途中からでもやるならば、部屋を分けて、顔は合わせず、声だけで語り合うという形でも取れなかったのでしょうかね? それすらできないならば、国民の為に拒否するべきでしたでしょうね。

 そして、飲食に関して、西村さんが昼もダメみたいな発言をしたのに対して、サイゼリヤの社長が、「ふざけんな」と噛みついたようですね。 まあ昼もダメとかになると、政府が言っている内容は、完全に休業要請のレベルなのに、補償内容等は、時短レベルでしかなく、大手は普通に外される結果で、飲食業を完全に潰しきりたいのか?という思いもあったのでしょうね。
 今政府が言っている内容は、飲食業に対して完全休業要請であり、それに対する補償金等を出したくが無い為に、時短要請と言いながらも、実質求める事は休業要請の内容で、補償金という名の協力金を最低限にしつつも休業に追い込んで、飲食店及びその関連業者たちを皆殺しにしようとする最低最悪な戦術ですよね。
 そこまでして、国民の為にお金を使いたくはないという強い意志なのでしょうかね?国民1億人の命よりも今の政治予算の100兆円ぐらいの方が数万倍大事と言いたいのですかね? 全国民よりもお金が大事と言いたいのが、菅自民党の意思なのでしょうかね?
 ちなみに関係なく殺される中には、自民党党員たちも普通に含まれるでしょうけどね。今の医療状況に、政党員で助ける優先順位は全く影響しませんし。まあ私的には、今も変わらず政府を信じている自民党党員たちは、コロナ感染での治療の優先順位を下げても良いのでは?と考えてしまわなくもないですけどね。ここまで腐らせた原因の一端も一般国民よりも強くあるでしょうからね。
 なぜ安倍が降りる際に、反乱してでも民主主義を強く訴えなかったのかとね。

 それでは、ダメダメ政治の話を終えまして、新カテゴリでの新シリーズに位置するAR教育の国語編の話をしてまいります。
 このシリーズでの話は、共通のアイテムとして、AR教育と言っているからに、視覚情報でのAR化が出来るVRアイテムでのバイザー等が必須となります。スマホ等で代用する事も可能ですが、いちいち手で持っての形は、色々危険が生じたりするので、出来るならば、頭に装着できるタイプを推奨します。

 それで、具体的な教育の形の中身としては、今までのただ書いたり読んだりするだけの単調でつまらないだけの学習の形から1000度方向転換して、楽しさ全開で、楽しく遊びながらついでに学べて行けるような形の物とします。こちらでの重要項目は、勉強が1番ではなく、楽しいが1番になる形ですね。
 その為に必要な要素が、拡張現実となるARの技術であり、それに加えて、漢字と絵(アニメ等)のコラボレーションがカギとなってきます。
 それでまずは、漢字含めたひらカナ含めた文字の読み書きに関しては、基本的に現実でというよりも、仮想空間内に書いたりする形で、指でなぞったりするだけでも書く事(判定しやすくする為に、グローブ系指用のデバイスがあると良い)ができ、ペン持ちスタイルもペン型の別デバイス等を用いて、仮想空間内に書いていく形で、基本的に今までの紙とペンは使わないようなスタイルになりますね。
 まあ、より拡張現実の強みを味あわせたいならば、現実に書いた文字にARを反応させるのでも良いのですけど、技術的にはそちらの方が大変なので、どうしても現物の紙とペンが良いんだと頑固な方々は、作るのが難しい方でも構いませんけどね。
 それでまず書いていく形での文字等は、ちゃんと機械も何とか理解できる程度まで綺麗に書けていれば、文字が書いた場所から浮かび上がって、手で持ったりする事も出来るアイテムオブジェクト化させるようにします。
 そしてひらがなカタカナならば、そこからさらに文字同士をくっつけると、意味が通じる内容の言葉であれば、それの絵やアニメ等が表示される形になり、言葉を組み合わせていく事での楽しみが得られる形になります。
 そしてそこからさらに文字を組み合わせて行ったり、一旦分離して、また他の文字と組み合わせたりという文字を使って様々に遊べるパズルの形として、どんな言葉とどんな絵やアニメが出て来るのかを色々調べて遊ぶ事が出来るようにして、1つの言葉で複数の意味がある物等に関しては、2回目以降とか、別の文字を作り出した後また同じようにくっつけた時に変化するなどの形で、いろんな意味や表現のバリエーションがあったりして楽しめるという事も覚えさせられるようになります。
 ちなみに、1文字で言葉になる物は、文字化して、指やペンで突いたら変化する形にします。

 そして漢字に関しても、基本的にはひら系文字と同じように、完成したら浮かび上がり、絵やアニメ化する形にして、楽しめる物とし、漢字の方は、1文字で意味を為す言葉は、出来てすぐに表示される形とします。
 そしてこちらでも、漢字の組み合わせや漢字同士の合体等も出来るようにして、ひらがな等では出来なかった要素でさらに楽しんで行けるようになります。 例として簡単なのは、木の漢字の2連続進化ですよね。木→林→森 そして絵やアニメ的には、どんどん緑が広がっていく形に。
 それで漢字に関しては、組み合わせが大変だったりするので、出来上がっている漢字に対して、何を組み合わせたりしたら別の漢字や言葉になるのかのヒントが得られる辞典機能も加えると、探す楽しみや調べる楽しみが得られたりするでしょうね。

 そして文字に関してさらに追加で、遊びの要素として、これらの条件下でしりとりをすると、ARで見る絵的に楽しくなりまくる戦いが出来るようになります。
 基本的に同じ文字の組み合わせは禁止という所は同じルールですけど、言葉を紡いでいくたびに、その内容の物が出現して行き、応援したりしてくれるというような表現としたり、関係がある言葉が出て来ると、アニメ表現の中で、色々さらなる追加表現をしだしたり、時に戦い合ったり見せ方がより派手になったりという変化もあるようにして、しりとりの単純勝負以外に、どんな言葉を出したらどんなものが見られるのかというわくわく感を得ながら、しりとりを繋げていくというような戦いで、言葉をより覚えながら、関連する言葉の状況関連要素も覚えて行ったりする事も出来るような形とします。

 そして読みに関しては、これらで見たりして覚えたりする事に、文章系等に関しても、その文章等で意味が出来ている物に関しては、アニメーションされたりする形で、文字的にも視覚的にも読みからの意味が理解しやすくなる形での覚え方とします。 まあ文章読みは、大体そのアニメを見る事と同義となって、そこから学習していく流れですかね。

 そしてさらに漢字や言葉を知る楽しみを増やす要素として、学校教育以外でも使える機能の1つとして、VRバイザー越しに見ている視界画面からグローブ系の指デバイスやペンデバイス等と組み合わせて、タッチしたり囲ったりした物の言葉や意味等を表示できるような形にして、漢字があるならば漢字も表示して、その他ひらがなやカタカナ表示の違いや言葉の意味の表示に加えて、データベースにあるならば、それらの人が名付けた正式名称やそれに関しての情報が得られたりする形から、家の中に学校や街の中全てが、言葉や漢字を探して行き楽しめるゲームのような形で、知って行く事が出来るような内容とします。
 あとはそれに、休日等の形と組み合わせて、いろんな漢字や言葉を見つけてくる事等の自由課題や宿題等を出して、友達と競ったり協力したり、時には誰も思いもしないような物等を見つけてきて、目立ったり誇ったりできるような形で、様々に楽しめるようにするとさらに良いでしょうね。
 特定のカテゴリ類やシリーズに種類で集めていく形でも良いですしね。見つけた数や、皆が見つけられていない物等で競ったりする形でも良いですしね。
 そしてそれらは、時として、外に行くだけが全てを見つけられる物ではないとして、時には本を見たりして収集したりも出来る形で、いろんな物から見たりして見つけて行こうとする形で、言葉に漢字や意味を覚えて行って知ってもらおうとする内容のAR国語教育ですね。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 AR教育~終了~国語





























 今回の内容は、意外と大人もハマるかもしれませんかね? 特にしりとりや調べたりする類の物は、純粋な勝負事やパーティーゲーム等でも盛り上がれたりする物にもなるでしょうし。
 まあその代わり、この仕組みを作成するのが一苦労ですけど。AIにも協力してもらって、人手を大量に動員しないと、短期での作成はまず無理な容量数になりそうですね。あんまり作成までに時間を掛け過ぎるのもなんですし。 END
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第1640回 学校教育の制服の在り方について‐LGBTsも認める自由な選択肢‐ [教育]

 さて今回は、最近の報道で知ったSDGsからのジェンダーフリーでの活動等から、学校教育の制服の在り方に関して、思い付いた事があるので、そちらの方の話ですね。

 さて時事としては、大阪の医療体制に赤信号が灯って、大阪での非常事態宣言が発動される状況までに医療崩壊が進んでいるという状況にあるようですね。まあ医療の逼迫度や医療従事者たちの疲弊度もかなりMAXに近いですから、これ以上は限界という事でのレッドラインというよりもデッドラインの手前という感じでの状況でしょうね。
 それでしきりに大阪府知事は、国へ向けて金銭的支援の拡充を願っているようですが、菅政権は、そんな声をどこ吹く風として、医療崩壊から国民が例え3000万人ぐらいコロナで死んでも構わないから経済だけにお金を注ぎ込めというような状況で行っているようですね。
 人の命よりも日本のこれからの医療体制よりも経済だけ回れば、人がいくら死んでも全く問題ないとするのが、菅自民党政権の行動方針なのでしょうかね?
 多分運よく今を乗り切れたとしても、医療体制の状況は既に最悪を通り過ぎていますから、最大値がどんどん失われて行って、このまま無視し続けると、来年辺りは、コロナが完全鎮圧されていても、普通のインフルエンザが普通に流行するだけで、今と変わらない状況が繰り返される事になって行くでしょうね。
 皆さんはその状況で、日本で毎年のように医療崩壊が引き起こされていく状況で、この国は医療体制的に素晴らしい国だと言えるでしょうかね? そんな状況で、五輪開催されても、外国の観光客は怖くて日本に来れないでしょうね。日本に行く事は、これから死を覚悟しなければいけなくなりますからね。となると、コロナが収まったとしても、外国人観光客のインバウンド効果は、かなり減少させられざるを得なくなっていくのではないでしょうかね? 日本の医療体制が、発展途上国以下並みに落ちると。
 そうなると、国民保健とかも無意味になるでしょうね。菅政権は、国民保健制度を叩き壊したいのかな?トランプがオバマケアを叩き壊したのと同じように。そして、お金持ちだけが医療を受けられる国に変えて、貧困者は、病気になったら見殺しにされまくって行く、医療差別の酷い国に変えていくのが、菅政権の今1番の改革目標と。
 人を見ず、国民を全く見ようとしないのが、自民党政権の基本精神ですよね。

 それでは、いつもの政治批判を終えまして、こちらは、私が勧める学校教育の制服の新しい在り方に関してのお話ですね。
 それで、先にタイトルの方の言葉は、LGBTsとしていますが、最近何やら多様性の形が多数生まれている状況にあるようなので、数が多すぎて面倒なので、sでまとめる事としました。
 ただまあ、性的嗜好とかフェチズムとか含めだしたら、もうノーマルの方が性的少数者にならないのでしょうかね?
 まあその辺は、一旦置いといて、ジェンダーフリーでの性別を定めない仕組みとか男女平等とかの流れとかで、多様性を認めて平等な形にさせる流れが世界で広まっているようですが、それを強くさせ過ぎて、男性女性を意識する人たちが、それをするのが悪い事とするような逆差別にまで発展するような事は止めた方が良いでしょうね。
 型にはめ過ぎず、自由な形で行きたいのならば、相手に無理に何かを押し付けない性の形を務めれば良いと思いますね。男性らしくとか、女性らしくも、他人が誰かに押し付けて言うのは今の流れでダメなのでしょうが、本人がそれで思って行動する分には自由であって良いと思います。それに対しておかしいという意見を出せば、それは性の思いに対する批判差別的行動という事になり、ジェンダーフリーからすらも外れるでしょうから、本人が自意識内で思う分には、ノータッチで、それを誰かに言って押し付けたり直させようとする事には、アウト判定とする形で、正しい仕組みとなるのではないでしょうかね?

 まあそれで今回の学校の制服の在り方についての話に繋がっていくのですけど、今の日本含めた大概の制服での分け方は2種類の男女で分けられていますけど、これに対してLGBTsの主にTに位置する人たちが嫌な環境下で学校生活を送らざるを得ないという事で、どうにかしようという流れでいろいろ話し合われていたりしますけど、ここでその対象を体の性別女性だけにズボンも可能とすると、体の性別男性に対しては、何もしないのかという差別等に繋がって行きかねないので、難航しているのでしょうし、いくら性の違いの問題だからと言っても、男性体の状況で、スカート等を付けると、明らかに浮くというかTである事をはっきりと象徴するもので、場合によっては差別やいじめの対象にもされやすくなるでしょうから、現状どちらにも対応しかねるような状況になっているかと思われます。
 しかし、日本の過去の服装で見習えるべき点があり、今も文化としては、成人式の晴れ着等でたまに見かける形で残っている物(一応和服の正装として残っていますが)として、男性版スカートとも言える羽織袴があります。これは、主に江戸時代(もっと以前もあるかもしれませんが)とか明治時代等での普通の学生服等でもあったようですから、これを現代でも復活させて、主に男性の体の人には、スーツ系ズボンの形の他に羽織袴系も認めるような形にして、男性の形でもズボンとスカート両方選べるという形にしたら、女性の方でもスカート・ズボンを選べるという形での平等な形からジェンダーフリー向けの制服の多様性を認める流れでも使っていく流れに出来るのではないでしょうかね?
 そしてこの形を世界に対して、ジェンダーフリー向けの制服の在り方としてすれば、ついでに日本の和装文化も持っていけて、言い方悪いですけど、一石二鳥な感じに出来るのでは?
 日本の昔の普段着は、着物だけじゃなくて、羽織袴もあるという感じで追加で広めても良いですしね。基本的に男性版のスカートの形でもありますし、よく日本文化を勘違いして、侍や武士に憧れる外国人等に対しても羽織袴は基本的にそれらの正装でもありますから、思いっきり受け入れられやすいと思いますからね。
 そうやって仲間を増やして行けば、広めやすさも上がるでしょうし。

 それで他の服装に関しては、体操服は基本的に平等な形になってきているので無視して良いとして、水着に関しては、どうやっても無理があるので、体育の授業の選択制で出来る方向で、水泳完全無視しても良いとする方向ならば、LGBTs対応の形にしやすいのではないでしょうかね。

 それでここからちょっと別件ですけど、LGBTsは一括りにされること多くて、ジェンダーフリーの対象としても一部おかしい流れにされる事も日本で出ているようですが、基本的に最初のLGBに関してだけは、自分の性別を正しく認識した上で、好きになる相手が同姓もしくは両方好きであるというだけの形なので、無理にジェンダーフリーのLGBTsの形のT等に近づけさせる流れは、その事自体が誤解を生みかねないと思いますね。
 それは、WC等の性別の違いがはっきり分かれてくる所等で言える事なのですが、T等に対しての配慮の形をLGBもごっちゃにさせると、変態的な犯罪を誘発させかねないですから、一纏めで、ジェンダーフリーという事で片付け過ぎないようにした方が良いでしょうね。
 まあ基本的に、現状黙ってさえいれば、LGBの人達は今の環境でWC等を使う流れで、不満が大いにあるわけでもないでしょうから、その辺はそこまで手厚く対処する必要は無いと思いますね。
 少なくとも、友達付き合いの過程ならば、必要以上に仲良くしてくる相手で、収められるでしょうからね。まあそこから、恋愛沙汰に発展するならば、色々と対応を変えていく必要が生まれたりはするでしょうけどね。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 学校の制服~終了~LGBTs





























 そしてかなり昔に髪に対しても、よほど誰かの邪魔にならない限りは、自由でいいじゃないという形と組み合わせたら、かなりLGBTsにもジェンダーフリーにも配慮された学校環境にして行けるのではないでしょうかね?
 ちなみに私が思うよほど誰かの邪魔になりそうな学校内での髪型としては、天井まで付きそうなリーゼントやモヒカン等で、後は横に爆発し過ぎのアフロ等でしょうかね。そんな誰かの授業妨害にならない程度であれば、特段髪形や髪の色で厳しくさせる必要は無いように思えますね。
 ちなみに、髪の色に関しては、ラメとか入れて光に乱反射してフラッシュを起こさせない程度であれば、特に問題はないと思いますね。 まあこちらに関しては、ゲームをやりまくっていて、二次元の学校環境での色鮮やかな髪の色に慣れている私だからというのもありますがね。
 ごく普通にピンクや青色に緑色とかありますからね。ファンタジー系は、そこの所自由なのでしょうけど、それに見慣れ過ぎると、大抵の髪の色に関しては、気にならなくなりますよね。
 END
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第1639回 ロボット活用社会~学校教育編~ 健全で安心安全の学校環境へ [教育]

 さて今回は、言葉は違っての別方面でも何度かやってきている話での学校教育現場とロボット&AIに関してですね。防犯においても強力な力を発揮して、子供たちを守って行きやすいですからね。

 さて時事に関しては、段階が大きく動いてきている状況になっていますね。ついに大阪が独自で非常事態宣言発令か?という所まで医療体制が追い詰められているようで、現状運用率もかなり厳しいですし、何よりこの厳しい状況で、医療従事者たちの脱落者まで出始めたから、さらに状況が深刻になっていますからね。
 医者や看護師は、人が絶対であるという考えの形から、低賃金重労働のスーパーブラック労働で放置し続けられてきたうえでの状況ですよね。やはり前にも言った通り、この状態で無視し続けてきたツケは、無視してきた者達の命でもって返されるのでしょうかね?
 まあその条件下では、真っ先に政治家さん達に命でもって返してもらいたい所ですけど。つまり、コロナに罹ったら、有無を言わさず医療放置されてくださいという事ですな。そうする事で他の人の命が救われますから。これを別の言い方にすると、命の選択ですね。その捨てられる優先順位に、医療待遇環境改善を無視し続けてきた政治家や同じく無視し続けてきたバカ共が優先的に受けたらよいというだけの話です。
 これだけでも、その他大勢の人が救われる結果になります。
 ついでに北海道の方では、確か旭川市辺りで、自衛隊が必要なほど医療崩壊になっているという状況で、北海道に拒否されて、この世の地獄が顕現しているような状況になっているという噂もありますね。
 そして東京では、他がこれだけ医療逼迫していて、東京でもかなり同じ状況にあるというのに、まだ医療現場を助ける事よりも経済の方が優先なようで、高齢者と持病持ちの人にだけ、GoTo自粛をお願いするだけに留めている感じで、国と協議したという割には、あまりにも経済優先過ぎる結果で納得していますよね。
 こりゃ東京でも医療崩壊必死ですかな? 終わりの見えないコロナとの戦いに、医療従事者たちの体力と精神は既に限界を迎えているようなのでね。どれだけ病室と機械があろうとも、治療に当たれる人と、そのサポート機器を扱えるだけの高度人材がいなければ、ただの箱と鉄くずでしかなくなって、誰も救えなくなるというのにね。
 今誰が必死になって人の命を救っているのかを再認識するべきです。そしてその人達の体力と精神を常にフル回復できるだけのバックアップ体制が必要という事です。現状それが全く無くて、日本の最下層のブラック労働にさせられて、仕事とわずかに寝るだけの繰り返しで、ボーナス無しに減給で働かされている状況にあり、さらに社会には奴隷扱いで差別を受けたり、忌み嫌われたりまでするような状況で、さらに危険な状況として、コロナに1番感染しやすい状況では、誰だってそんな仕事には就きたくないでしょ?
 という状況で、人の命を救えるのは自分たちだけという使命感だけで、頑張っている状況なのですが、それにも限界は訪れますよね。人は機械のように働き続ける事は出来ませんからね。
 こういう現状では、今医療関係から仕事を離れたとしても、その人を責める事は誰にも出来ないのですよ。その人達を救えなかった人たちには、何を言う権利もない。 だって、今看護師等に就いていると、普通に生活する事が出来ない生活保護以下の給与しかもらえないような状況になっているようですからね。まあ正確には、料理をするだけの時間も体力も無いから、出来合いの物だけの形になったりしているからという事もあるようですがね。
 どれだけ働いてもいろんな人から忌み嫌われて、借金地獄に陥らされるような仕事に誰がなりたいと思いますかね?そしてそれを辞めたとして、誰が文句を言える立場になるでしょうかね?
 少なくとも、平均給与以上を受け取っているような人たちには、言う言葉は何もないと思いますね。それでも言うような人は、基本的人権の無視であり、奴隷制度を推奨して、人殺しが楽しいと思う狂人ですよね。

 それでは、ブラック流れでのこちらも相当にブラックになっている学校教育現場に関してのロボットやAI活用の流れに関してですけども、何度も言うように、こちらも過去に何回も言葉を変えてロボットやAIを入れるべき場所ですね。
 こちらでも現状成り手不足で、人材が少なくなっていて、子供に対して性的虐待をするような人や暴力を繰り返し行って子供を殺すような教師まで入れないといけないような人材不足になっているようですからね。
 最早子供たちを安全に守れるような場所になっていないのが現状ですよね。それも全ては、人が全てだという思い込みの結果に、誰もが救われずに犯罪者が跋扈するような場所にされているという事になっていますね。その救われない中には、子供たちだけでなく、善良な教職員等も含まれています。
 犯罪者達がのさばる無法地帯になってきているのですから、そこに治安維持の警察機構は必要ですよね?その為に、子供優先で守れるように様々なロボットの配置や学校全体でのAIサポートが必要になってくるという事です。
 子供優先での形でも、それは普段教師がやっている仕事の肩代わりにもなって行くので、教師の仕事の忙しさを軽減させる事にもなるので、ひいては、教師の為にもなるという事ですね。
 それで基本的に教師の仕事は、人の先生としてでしかできない仕事をするという形で、それ以外の事は基本的にほぼ全部ロボットと学校全体を見てサポート出来るAIに任せる流れにすると、全体的に良い流れに持って行けるようになるでしょうね。
 それで、人の教師でしかできない仕事で言えば、ユニークな授業の形と人情味や人の温かさでもって接する事とかでしょうかね。
 他は、大体AIのサポートに任せる形で、子供たち全体の学力支援やテスト系の作成に答案チェック等も自動で速やかにやってくれる形に出来るでしょうね。 あとは質問やヒント等に関しても、人が教えるよりもAIの方が的確に教えられる事も多いでしょうから、任せる形にした方が良いでしょうね。AIならば、全校生徒の様々な質問にも次々答えて行けるでしょうからね。
 人だと教師には限りがありますが、AIならば誰でもいくらでも聞く事が出来て、答えていく事も出来るでしょうからね。
 あとは、一般的な場所に関しては、AIカメラを搭載させて、常に状況を確認出来るようにして、怪我の発生やいじめ防止に不審者のチェックに教職員の犯罪防止にと、様々にチェックを隅々まで出来るので、健全で安心安全な学校環境に変えていきやすくなるでしょうね。

 そしてロボットに関しては、子供たちのお守り役から遊び役に、いざという時の怪我の運搬役にもなり、治療等も行なえて、時に教師のサポートも行い、不審者の退治まで行なう学校内の何でも屋として活躍できるでしょうね。
 そして、学校内の整備や保全活動に、学校機器類の運搬や清掃活動にまで働かせる事が出来るので、大体ほぼ全てが、教師の仕事の代わりとして機能させられます。
 まあというよりも、今の教師職の仕事がブラックで多忙過ぎるから、基本的に行えるような仕事は、全部ロボットに置き換えていくようにする方が、作業効率化の面でも正しいと言えますからね。
 あとロボットに関しては、大量に増産して行ければ、登下校方向の安全確保にも役立てて行けるようになりますから、命の安全を守りやすくなりますし、様々な犯罪等からも守りやすくなっていくでしょうね。
 命を守るという観点で言えば、お金を注ぎ込んでも良い場所ですよね?社会経済目線で見たとしても、後の経済の担い手であり、新たに経済発展を作り出して行ってくれる存在は、非常に大事な存在だと思うのですけど、そこにお金を掛けないというのは、いかがなものでしょうかね?
 安倍菅自民党政権は、ないがしろにしまくっていますけどね。医療現場への支援も無視しまくっていますし、国民の未来にとってとても大事な所へほとんどお金を掛けていないのが、自民党政治の最低最悪な状況ですよね。国際基準で発展を重ねている所は、どちらにも大量のお金を注ぎ込んでいるというのに。
 だから日本は経済的にも落ち込んで行って、日本全体で医療崩壊の危機にまで陥っているのですよ。経済を本当に守りたいのならば、中途半端で効果が見込めない自粛等ではなく、国際的に効果が出まくっているロックダウン相当をやるべきですよね。きちんと生活や経済を持ちこたえる為の補償をした上ですが。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 ロボット活用社会~終了~お金を掛ける場所





























 今の闇献金多発の自民党では、この国を任せていくのには、不十分でしかないでしょうね。最悪の医療崩壊と経済崩壊も防げませんし、日本にとって害悪の政党でしかありませんよね。日本のコロナの病原体の本体は、実は自民党なのではないでしょうかね?これが、日本にコロナを広めまくっている本体なのでは?
 まあだからと言って、日本の民主党に期待できる所はこれっぽっちもございませんがね。結局元の烏合の衆に戻っただけじゃないですか。これで現状残る、まだまともそうな政党は、日本維新と共産党くらいでしょうかね?
 ただ、日本維新も元は自民党の分派でありますから、根っこの部分では、政権取ったら自民党と同じような所に行き着く可能性があり、日本共産党も政権取って役に立つのかと言えば、素晴らしく微妙としか言いようがないので、「日本の政治は既に死んでいる(by北斗風)」と言った方が正しいのかもしれませんが。
 今日本にいる専門家たちや報道番組のコメンテーター陣等に国の舵取りを任せた方が、今の数万倍頼れるのではないでしょうかね? そして同時に報道番組出演から発表や議論をやってもらう方向にすると、より民主主義でいろいろ改革できそうな気がしますけどね。
 元々、オウカハル政治の形もそのような方向性でしたからね。 ちなみに私が思う中で、日本の総理に抜擢したいと思うのは、ビートたけしさんか宮根誠司さん辺りですかね。いろいろと黙らずにぶっちゃけていくような感じで国も任せられそうな気がしますからね。まあ抑え役と補佐役は必須ですが。 END
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第1616回 遊びの前に強制お勉強アプリ~宿題用に効果抜群?~ [教育]

 さて今回は教育系の話ですね。子供がスマホで遊んでばかりで困るという人の為に作れたらよいなという感じのアプリの形を紹介していきます。

 さて時事としては、寒くなって来ての日本でコロナが再度流行し始めているようで、各大都市を始め北海道でも大流行の影が見え始めていますね。ただそれでも政府は、経済をひたすらに優先したいようで、どこかで医療崩壊が起きない限りは、GoTo祭りを止める気はないのではないでしょうかね?
 それで引き起こされるのは、世界の状況と同じようにGoToの恩恵が受けられるお金持ちたちは豪遊しまくって、その恩恵を受ける事も出来ない人達が感染させられまくって、大量の感染者と死者が作り出されていくという事に、日本も陥るかもしれませんね。
 知ってますか?日本の貧困者もマスクも買えずに家も無いから、ノーマスクで街をうろつくしかない状態に陥らされている事に。貧困者を無視しまくる政治だと、貧困者たちの存在によって感染爆発が引き起こされるやもしれませんね。
 つまりこれからの状況でマスクが付けられない人の中には、国が見捨てたせいで、マスクを買えなくて付けられない人も出てき始めたら、どれだけ普通以上のお金を持っている人が徹底した対策をしてても、意味が無い状況が簡単に作られるかもしれませんね。貧しい人達を見殺しにしようとするとね。
 たぶん世界での感染の拡大の要因にはそれもあるのではないでしょうかね? ついでに言えば、マスクも買えなくてその日暮らしも大変な人達は、むしろコロナに感染した方が病院で治療等を受けながら屋根付き飲食が出来て、予防をするよりも快適な暮らしが出来るとして、そちら側に流れるやもしれませんね。国が見殺しにしようとしているせいで。
 つまり皆さんもこれからの状況では、貧困者を最初に見殺しにして行くという形にすると、その貧困者たちにコロナをうつされる可能性が高くなるかもしれませんね。弱者を切り捨てると強者も毒で苦しむ事になると。それが世界で起きたコロナのパンデミックかもしれませんね。
 中国や北朝鮮のように金の無い感染者を率先して殺しまくるという事が出来れば、まだ別かもしれませんが、民主主義の下で、感染者は出来るだけ手厚く助けなければいけないという形では、大量に増え続ける事も起きてしまえたという事ですかね?

 あともう1点言いますけど、貧困者がマスクをしていても、それが使用から日数が経っている場合は、効果が全く無くなっている場合もあるので、マスクしているからと安心していると、実際は効果0のマスクでコロナが大量にばら撒かれている可能性もありそうですよね。意外と性善説でのこの油断が、予想外の感染拡大に繋がっているのかもしれませんね。全ては貧困者を見殺しにした結果によってね。闇×108 誰もが考えたくもないとしているけど、意外と身近に存在してそうな闇ですよね。

 それでは闇が深まってきた所で気分を変えて教育編の話に参ります。
 今回の内容は、子供が勉強せずにスマホで遊んでばかりで困るという人や学校系からもきちんと宿題をやって欲しい場合や夏休みの宿題等の長期休みでの宿題をやって欲しい場合に使えそうなあるアプリのアイデアの話ですね。
 ただしスマホ系デバイスを使っている子供専用の話になるので、あくまでこれは、勉強にも少しは真面目に取り組んで欲しい状況で、スマホを使って遊んだりSNSをしまくっている子供向けのアプリの形ですね。
 そして仕組みとしては、スマホの基本的な電話やメール以外のSNSやインターネットにゲームアプリ等を起動する際に、強制割込みして発動する形のアプリで、その日の分の宿題等をスマホで解かない限りは、それ以降の先に進めず、SNSやゲーム等が出来なくなるという仕組みですね。
 そしてこの形では、インターネットも封じられるので、簡単に答えを検索して見つける事が出来なくなります。まあただし、電話やメールは可能なので、使えるのならば、誰かに教えてもらう事は可能という事ですね。
 それで基本的には、その日の分の宿題等の問題を解いて、全問正解すれば、その日はそれ以降出てくる事無く普通にスマホを使えるようになり、1つでも間違えたら、全部正解するまでやり直しになりますが、間違える度にヒントが出てくる形で、10回間違えたら答えが表示されて、全問正解扱いになる形とします。(どうしても答えが分からない時の対処策ですね。いくらヒント出しても分からない場合は、それ以降いくらやっても勉強の効果を出す事は出来ませんからね。)

 こういう形の強制介入で割り込めるアプリが作れれば、遊びの前に強制的に勉強をさせる流れに出来ますので、適度に勉強させつつ遊べる形のスマホの使い方に出来て、意外と宿題等をきちんとやる流れにしやすいかもですね。
 そして追加の機能として、このアプリに自ら起動して、数日先の宿題等も先に済ます事が出来るようにして、先にクリアして、クリアした日数分は自動起動せずに遊べるという形で出来るようにもすると、先に宿題や勉強等を終わらせてから遊ぶという流れに向けていく形にも出来るかもしれませんね。
 特に空いた隙間時間に明日以降の分を終わらせてしまおうという流れにして、勉強等を進んでやらせるような形にする事も出来るのではないでしょうかね?

 ちなみに電話やメール等の機能を関係無く普通に使えるようにしているのは、緊急時等の助けを求める際などに使えるようにする為ですね。SNSも能力的には若干含まれているのでしょうけど、その辺はショートメール等の形でも代用可能という事でね。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 強制お勉強アプリ~終了~宿題





























 あとは、そのアプリの機能でミスした所の情報を担任教師等に送れるようにして、どこで躓いているのかを確認できるようにさせると、教える方としても学生の勉強状況の把握に繋げ易くなるでしょうかね。
 今後デジタルデバイスの活用が増えていく場合は、このようなアプリ系の仕組みを導入していくと、先生側の負担も少しは解消されていくのではないでしょうかね? END
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第1430回 教育体制超改革 特化型のびのび教育~個性に合う教育の形~ [教育]

 さて内容がまとまったので、今日は一昨日の内容の完成版で参ります。特化型でありながら、子供たちが思う形でのびのびと教育を受けられる事を基本とする体制の形です。それでありながら早くから学習への計画を考えさせながら、遊びも勉強も有意義にさせられる仕組みでもあります。
 これなら本当の意味での教育の形が成り立ち、遅いも早いも関係なく、授業の形等での教師陣の負担も減らしていける完全超改革の形です。 ついでに学生たちからして喜ばしい事と言えば、小テストや長期休暇系統の宿題の形もかなり削減されます。やる意味がほとんど無くなるし、自主性と勉強習熟度による学年レベルアップなので、自分の実力に見合う形でやらなければ、結局は全部自分にそのまま返ってくるだけになるので、教育として子供たちに無理にやらせる必要はなくなるのです。 しかしそれこそ本当の意味での長期休暇に対する勉強の形の計画性を考えさせる意味においては真価を発揮する形であるとも言えるでしょうね。

 それでは本日は内容はかなり濃く多いので、時事はすっ飛ばして、あれからさらにぶっ飛びまくる超改革となった新たな私が考え出す教育の形の内容を紹介していきます。
 まず基本的な所としては、一昨日の教育体制超改革雑記の所と重複する部分はありますが、私が従来から主張する勉強科目や特定の分野等での特化型の授業による各分野におけるエキスパートを育てていく為の教育体制の形に、新たな仕組みで、子供たちの勉強の覚える速度での早い遅い事においての教育状況の違いによる問題を解決する為に、通常の学年の上がり方の固定時間数による強制的な形から変えて、勉強の習熟度に合わせて学年が上がって行くという形でのレベルアップ方式で学年の分け方とさせて、覚え方の状況に合わせて千差万別のスピードで学習状況に合わせて、それぞれに合った形で学習が出来るようにさせます。
 故に完全に同じような形で授業等を受ける事は少なくなり、それが行なわれるのは小学1年時や特化型教育からの各教科における社会に生きていく為において最低限必要な知識に関する所を学ぶ所ぐらいの形になります。
 残りは好きな教科や特定の行動等の分野での教育の形に専念して覚えていく形となり、その中には部活動での範囲も含まれる形となり、従来の勉強とは別の形での存在から、1つの教科の単位の形として部活動の形が組み込まれる形になります。 ちなみにそれで運動系の部活等で、基本教科等と被る所がある場合は、片方が出来れば自動的に補完される事もあるという事にします。

 そして社会において最低限必要な知識の形においては、今までの基本の国語・数学(算数)・理科(科学)・社会(歴史)の形での4つを今までの形からの基本として、それともう1つ新たに加える社交能力の教科を加えた5つを基本として、レベルに合わせて段階的に用意していく形とします。
 ただしこれの基本的な所は、中学までの間にすべて覚えられるようにして、高校以降は完全に特化のみで学習して行ける形とします。
 ちなみに英語は日本で普通に生きる事においては不必要であり、また補助する機械も多く出てきているので、選択出来る形での特化の教科の形になります。
 そして最低限の知識の形においても、国語は主に文字や言葉の意味を理解出来るようになって、漢字も簡単な物は書ける程度で後は読む事が出来れば良いという形にして、算数系統は足し引き掛け割り算くらいが基本的で、後は重量とかの特殊な単位が何であるのかを軽くといった辺りにして、理科は自然に関する分野やごく簡単な科学の形等を覚える形で、社会歴史も日本と世界においてこれから生きる事において最低限必要な知識程度の形で良いという形にする。
 それ以外の部分においては全部特化において選択して学生がもっと覚えたいとするときに覚えていく必要があるという事にして、社会において普通に生きる事において必要な知識かどうかで各分野の最低限と特化からの深い内容と違いをはっきりさせる。
 正直デジタル社会では、難しい漢字を書いたり、数学での√とか分数等や、理科化学での科学数式とか社会歴史での細かい情報までは覚えても意味が無いとするというか覚えても全く役に立たない知識の形が多すぎるので、それらは全部覚えたい子供(学生)が学習したい状況に合わせて教えていくという形にするのが、1番効率が良く、深く理解してどんどん次に進んで行きやすい形に出来るでしょうね。だって、好きな事に関してならば、どんどん覚えて学習していきたいと思えるでしょ?
 そして追加された物は、前回の部分でのクラスメイト達との交流に関する部分で、社交能力としていますが、一部には道徳的な部分も含まれていますが、基本は学生間での交流の形で判断していくという形で、まずはクラスメイト等から友達と呼べる他の子を探して見つける所から始めて、徐々に必要な数と仲良し度の状況を明文化させてレベルアップしていくという形にして、最終段階では最低5人以上と友達関係になれれば良いという辺りにします。
 ただしこの友達関係のルールとしては、同じ学校内だけである必要はなく、別の学校の友達でもよくて、友達の概念ではなくて勉強や好きな事においてのライバル(好敵手)とか師弟関係のような状況でも良く、とにかく何かしらで繫がりがあって仲良く出来る関係での学生間の付き合い交流で、確認が取れる状況であればよいとする形なので、友達作りが難しい子供でも何かしらの分野で他の子に教えて上げられたり出来る関係や友達からの友達を紹介してもらったりする事で増やして行くなどでも十分に良いという形で、とにかくいろんな事で関係交流が保てればよいとする教科の形ですね。
 それにその状況で関係を良く出来ていれば、それだけで友達関係等での最低限の道徳的な状況も必然的に覚えられますからね。あとは基本的社会に出て困らない程度の他の社交能力の座学での形があれば良いですかね。

 それで、基本は特化型の教育の形で、社会生活に必要な最低限の教科科目をこなしながら、好きな教科科目もどんどん先に進んで行く事によって、その習熟度によって学年レベルが上がって行くという形になり、小学6年生までは最低限を覚えて行きながら、好きな教科に特化した物も小学校の限界まで覚えて進んで行く事が出来る形で、それ以降は中学高校大学へと学校のレベルを上げて、さらに特化を突き進めて行くような形になります。
 なので、学年の形は学生の勉強を覚える状況に合わせて千差万別と変化するようになり、早い子供であれば、小学1年時の形から1年後には3年生以上にまで上がっていたり、遅い子は2,3年かけてようやく2年レベルに上がるという子もいるという形になりますが、この状況でレベルの上昇が遅い子が必ずしもダメという事にならない形として、小学生の形においては、最低限の知識の習得も必要になりますが、同時に好きな事に対してはどんどん先に進んで覚えていく事も可能なので、最低限だけが遅いだけで、好きな事に関しては普通に数学年上の形になる子供もいるという形に出来るので、その形によっての順列の形ははっきりと存在しない形に出来ます。
 ついでに卒業の形や部活動の形等にも関係する所で、この形においての卒業では、早くても遅くてもあまり関係する所ではないけども、勉強だけを早く突き進めて行きたい子供ならば、さっさと上位学年から次の学校に向けて進んでも良いけど、もう少し遊びたい子供や仲の良い子などが同じタイミングで上がる為に協力したい場合等においては、残る事も可能という形にして、卒業条件を満たした後は、その子のこれからしていきたい状況に合わせて好きに選んでいけるようにする。
 また特化教科においての部活動の範囲に関して、運動部関連では、子供の身体成長の状況に合わせて出来るレベルが変わってくる状況もあるでしょうから、そこはその成長状況に合わせて卒業のレベルも変化してくる形となり、また同時にレベルを満たしていても残る事も次のレベルの学校に進む事も可能という事にして、自分が覚えたい事ややりたい事の状況に合わせて、進路の形を決めていくようにする。
 そしてそういう自由な感じの自己の判断で卒業のタイミングを選べるという形から、入学卒業の形においても、日本の昔ながらの4月からと、世界基準の9月からのどちらでも可能な形にする事ができ、さらに4月に入って9(8)月に卒業とか、9月に入って4(3)月に卒業なんてことも自由に選ぶ事が出来るようになる。 また、基本的な学期単位で考えるならば、1月も検討に入れる事も可能である。
 全ては卒業のレベルを満了して、次に進むべきかどうかのタイミングは、その子供が自由にその時の状況に合わせて選べるようにする。覚える事を重視するのか、中が良くて切磋琢磨できる友人の状況を考えるのか、その学校でのやりたい事が残っている事等を重視するのかは、全部その子が自主的に人生設計をして考えて選ぶ形にする。
 それが自由でありながらも、人生設計の形を考えて行くという教育の形の1つになる。
 故に長期休暇の休みの際の宿題等は基本的に必要はなく、やりたい子供は行なってやりたくなくて遊びたい子供は遊んでからまた学校勉強に精を出すという形で、その事まで含めて人生設計を考えて計画する事の勉強の1つにさせる。
 まあそれでも難しく考える必要は特に無いのですけどね。基本的に学校での形が好きな事を覚えていく事をサポートしていく形になるので、遊ぶも勉強するも自由となり、その事まで含めて成功も失敗も体験しやすいように出来るという形になりますからね。
 遊ぶ形から特化していく方向性を決められたり、社交能力を鍛えられたりもして行くでしょうからね。

 そして前回の話での残りの部分としては、学校行事に関する所がありますが、こちらも少々ぶっ飛ぶ形で、基本的な全国的な学校行事の代表格としては、運動会(体育祭)と文化祭がありますが、入学卒業が2つ以上に分かれたりすると、開催が難しくなりそうな状況となりますが、この場合面倒なので、自由開催の形からそれぞれ年2回で時期をくっつけてしまえばよいのです。
 つまりそれぞれ年2回行われて、開催時期は同じまたは隣接状況で発生して、どちらに参加したりするのも自由という形にします。それならば、嫌いな方に無理やり参加させられる事も無くなるし、勉強等に集中したい場合は、どちらもやらないとする選択肢も出来るようになる。
 基本は自由参加であり、学年分けの形もあまり存在せずにクラスの分け方もかなり特化内容によってバラバラなので、基本的には個人単位から同じ関係性等でのグループ単位での分かれ方でどちらにも参加可能という事にして、体育祭と文化祭の開催に関しても、前後どちらで片方ずつ行う事もあるいはどちらも同じ日付で同時に行なってやるのかも自由に判断してやって良いという形にします。
 なので、どちらにも参加しなくて見て楽しむ事やどちらにも参加して謳歌する事も可能という形であり、基本が祭りなのであるから、嫌な事に強制参加で巻き込まれるよりも、自由参加で楽しみたい子が楽しくやって行くのが本当の祭りの形にもなるでしょうね。
 参加者を増やしたいならば、何かしらの商品等で釣れば良いだけですしね。
 そしてどちらも年2回開催なので、そのどちらにも参加したり、片方にだけ参加したりも自由に出来るという事で、自主性を尊重しつつも精力的に頑張って行きたい子供(学生)には、アピールしたりできる場所が2倍用意される事にもなります。
 それに、どうせ行われるのならば、時期をくっつけた方が準備の形もあまり変わりませんからね。形としては倍になっても、祭り的な形としては行なわれる状況回数は変わらないので、この形にするのが、4月でも9月でも入学卒業が自由に出来る形での教育の形に合うという事です。
 そして残りの特定の日付や各地方や各学校限定の行事などに関しては、その形に応じて対応するという事とします。 私もそんなすべての学校行事の状況を津々浦々と知れる万能な神のような存在ではないのでね。なので一般的な範疇でね。(笑)

 これが現在の完成版の内容ですね。のびのびと自由にさせているように見えて、実際は早い内からどういう勉強の形にしていきたいのかを学生たちに選ばせて、自主性を重んじながらも人生設計の形を考えて行きやすい形の教育の形になります。
 どんな行動で頑張って行くのもある程度自由な代わりに、その行動での成功や失敗は感じやすいし、身に付きやすい形になるので、成長の形としては総じて良い方向に繋げ易くなるでしょうね。
 何より好きな事に特化してどんどん覚えていく事が出来るので、楽しく学校生活を謳歌しやすい状況になる事は言えるでしょうね。
 ちなみに、特化科目はいつでも好きな時に変更可能ですし、複数選んでいく事も可能なので、国数社理英を特化に選ぶ今までのような授業体質でどんどん進むという選択も可能なのです。全ては覚えたいとする学生の選択の形からの特化型教育になりますからね。
 苦手な物は必要最低限覚えるだけの形にすればよいのですよ。まあそれは同時に好きな事を覚えていく為の基礎知識にもなりますからね。

 そして学年の形を勉強の習熟度で分けていくから、留学等の対応もしやすいし、教師の勉強状況に対しての対応の形もやり易い形になる。小学校では基礎の形と、2年時以降からはその特化した教科の形から判断していく状況であり、中学以降は完全に選んだ教科での特化の形から判断していくので対応が行ないやすくなる。 ついでに覚えていく為のやる気や学習意欲も上がりやすいので、教師の覚えさせる為の負担が減る事にも繋がる。 さらに言えば、小学校でもある程度平均的な能力よりも専門分野で分かれていく形になるから、教師の総合負担も減る形になりやすい。
 人員不足等の場合は、ネット等で繋いで教えられるようにすれば良いだけだし。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 教育体制超改革~終了~特化型のびのび教育





























 まあ細かい所などは抜けもあるでしょうが、大体の基本的な内容での完成版はこの形になります。今と比べるとかなりぶっ飛ぶ形になりますが、これなら、基本的に覚えていく必要がある勉強内容は自分が好きな分野になって行くので、個人からネットで見つけて覚えていく事もしやすい状況になり、学校で覚えていく事も自宅から自分の方法で覚えていく事もしやすい状況で、総じて学習が行ない易い状況になって行くでしょうね。
 そして社会で生きていく為の基礎的最低限の知識レベルでの範疇ならば、その辺の大人や親たちでも教えていく事が出来るでしょうから(できますよね?)、その辺の問題も解消しやすいでしょう。 教育END
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第1394回 独民式大学構造改革~入り易いが卒業大変の学び特化体制~ [教育]

 さて久しぶりの学校教育系のお話ですね。それで今回は今までの小中高校に加えた形で話す内容の次なる話で、今までの大学の形とは一線を画すほどの構造改革の話をしていきます。これは大学の授業料免除とかの話より大幅に優れた内容ですね。なにせ選択制の義務教育の形を我が独民の形では、ここまで持ってこようとする内容になりますからね。

 さて時事としては緊急事態に入りそうな日本含めた新型肺炎コロナウイルスの世界問題に関してですけども、東京はすでに爆発状況と言って良いほどの状況になっていて、医療体制も既に限界値を迎えそうな状況で、いつアメリカやイタリアのような状況になってもおかしくはない状態で、何かしら崩壊して終わってからでないと日本の政治家は動けないのでしょうかね?
 そして現金給付とかの話もいつまでも渋っている様子を見ると、大量に犠牲者(国民の大量死)が出て配布する数がかなり減るまで待っていると見た方が良いでしょうかね安倍政権は。減ればそれだけ自分たちが得られるお金が増えるわけでしょうし、どこまでも国民を救うお金よりも自分たちの為のお金が大事というのが今の安倍政権という事なのでしょうかね。
 このペースで見るならば、現金バラマキがあったとしても、2~3ヶ月より先になりそうですよね。その頃には今のペースならば、経済崩壊と医療崩壊で大量の犠牲者が出て、支給予定の人が大幅に減るでしょうから、そこまで忍耐安倍政権という感じでしょうかね。国民が死んで喜び踊る安倍政権。経済も潰してしまえば支援する貸付金やら支援金も出さなくて良いと考えているでしょうし、どこまでも日本を救う事よりも自分たち腐敗政治家大事の考えで行っているのでしょうかね?

 あと学校教育の再開時期等に関して、このまま騒動が収まらない状況が続いて日本のネット授業が出来ない学業レベル世界先進国最下位になるようならば、私立校等でたまにある寮住まいなどを参考にして、しばらくの間学校付近で集団生活をしてもらう形にするとかで、家庭と学校機関を離すような形に出来るのならば、子供から大人への感染の可能性も極力減らせるでしょうし、子供は普通に授業が受けられるようになったりするしで、その可能性を考える形もありなのではないでしょうかね?
 もしくはそれを期間限定の長期間修学旅行という形に言い換えて行なっても良いですが。行おうと思えば、いくらでも方法は作り出せるのですよ。無理に休校延長では、経済にとっても医療現場にとっても悪影響になりかねない可能性も強いのですからね。 それに1ヵ所等に集めてしまえば、管理もしやすい状況に出来るでしょ? 子供たち側の不満も出来るだけ抑えられるようにも出来ますからね。
 それでこれを選択制として、受けない学生はネット授業のみの形でしばらく過ごすという形にすればよい。それぐらいの予算ならば出せるでしょう。これすら出せないとかいうのならば、安倍政権にはさっさとコロナで全員滅んでもらうしかありませんね。

 さて学校関係引き続きな感じでの本題の独民式大学構造改革の話に参ります。
 この構造改革の形は、小中高校における完全義務教育化と完全無償化(授業料や給食費にその他学業に必要な備品含めて全て。ただし私立学校は除く。)の話に追加で加える形の私立大学以外での形で選択式の義務教育という形で、こちらも期間限定でのほぼ完全無償化の形とします。(主に国立と各都道府県大学。)
 ちなみに期間限定というのは、入学から卒業までの期間内での期間限定という話で、普通の仕組みとは違って2年とか4年とかの区切りはこの大学の仕組みにはなく、そして留年等の話も無く、基本的に私が提唱する特化型授業教育の延長版での大学のある形になりますので、国立系の入学条件は高校卒業のみで、試験も特に必要無くそのまま入れてしまえる形で、ほぼ完全無償化で自分に合った形での特化した授業を受けられるという形になりますが、卒業の条件はその特化した形でどこかに就職するか現在のプロレベルの領域で第1戦級に働けるほどの力や技術を身に着けるか独自の研究等の形で世界含めた国や1流企業等に認めてもらえるほどの成果を出す事が卒業をする事が出来る条件として、実際に働くビジネスに出る時に自動的に卒業するという形になります。
 故に、この大学の形は完全に実力主義で働きに出る形での卒業が認められる形になります。ただし、それが出来ない間はいつまでも大学で特化した自分に合う授業を受け続ける事も可能です。ですが、先程の期間限定という話はここでようやく意味を持って来まして、基本的に何十年でも大学内に在籍し続ける事が可能になる代わりに、10年目が経過した後は学業使用料を支払う必要が発生して来て、学生内では直接支払う必要はありませんが、卒業もしくは退学後には支払う必要に迫られる形になります。そして、その状態ではいつまでも居座ろうとする人も居るでしょうから、学業使用料の金額が10年分溜まると自動的に退学状態となって、借金返済するまで大学に入れない形となります。
 ちなみに別の大学に途中で移ったとしても同じシステム内の大学であれば、期間は継続で受け継がれる形になります。
 その代わりに、5年以内に卒業が出来た学生に対しては、早期特化習熟した卒業生として、卒業報奨金が一律の金額でプレゼントされる形とします。

 だからまあこの独民式の大学の形は、完全実力主義で入る事は簡単に出来て基本完全無償化で特化した授業で勉強して行ける環境になるけども、卒業条件が決まっている形になるので、卒業目指して特化して勉強していく事がしやすい大学であり、学業的学生サポートの面ではこれまでよりも遥かに手厚い形になり、早期の卒業ならば金銭的支援も受けられて、どんなに時間が掛かる形になったとしても最高20年間は借金の返済含めてお金に気にする必要無く特化した勉強が受けられる環境になります。(独自で少しずつでも返済していれば、期間はどこまでも伸びますが。)
 ちなみにこれは、特化型授業の+αの部分の形になるので、実際の部分では早ければ小学生高学年くらいから、遅くても中学生くらいから何かに対して特化した勉強の形で励んで行く事になるので、基本的にそこも含めると、大体25~30年ぐらいは特化した形での授業勉強の形が無償で受けられるという事となり、科学等の技術開発においては、それだけでも基礎的な所であれば学生内でもそれなりに実績は作り出せられるような期間になります。
 これだけ特化して勉強が受けられる期間が与えられるのならば、かなり十分な期間無償で1流以上に習熟させられるようにできるのではないでしょうかね?

 後は、その1流の技術力で経済等に貢献してもらえれば、十分元は取れるでしょうし、これからのAIやロボットが台頭してくる時代に対して、人間らしさの面で負けない形の人材力に鍛え上げていく事が出来ると思います。
 ただし勉強支援等の体制は特化でも基本的には自己活動的に勉強していく面が強くなるので、専用機器等が揃えられたり、よりある分野において特化された私立大学や専門学校から比べれば、基本的な設備面等では劣る形になりますので、そこは考えての形という事で、基本的に完全無償の形で義務教育の形からの流れで誰でも入る事が出来るという事の意味が強い独民式の大学の形となります。
 だから完全特化の他の学校で経済的資金に余裕があるのならば、他を受けてもらう方が良いという形で、経済的な余裕が少ない人はこちらを受けると良いという形での区分けの形にもなりますね。 まあ後は、研究や開発関係の形ならば、国立等の方がより専門的に受けやすいでしょうけど。あとは基本的な専門系の大学や学校が無い勉強内容とかの場合。
 基本完全無償の代わりに全てにおいて最高環境ではないという事ですね。まあそれは今も変わりませんが。

 あとの内容等の形は、専門的な先生等は現地大学やネット等から授業等を受けられる形で、基本的に国立系で繋げていくような形とします。より深く教えを受けたい場合等は、現地大学の方へ行くという形ですかね。
 ついでで専用の寮等も用意して、遠方の学生でも無償で受けられやすいようにする。
 ちなみにその他の生活費等は?という独民の形を分かっていない人に対しては、私の提唱する衣食住最低保障の話を見て理解ください。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 独民式大学構造改革~終了~大学まで選択式義務教育化





























 ちなみに独民式なので、基本は国民だけが受けられる仕組みで、留学生等の場合は、その卒業での形を最低5年はその国で働いて返す事に同意できるのならば、同条件で受ける事が可能という形にします。(ただし退学等をしても同じような条件の形となります。ただしそれでも逃げたら犯罪者扱いとする。)
 ちなみに、独民式の大学の形では、普通の無駄な授業等はほぼ排除する形となって、主に特化した形での編成状況とします。当然ですね。卒業向けた単位等の形がまるで違いますからね。
 そして衣食住最低保障の影響で、無理に嫌な仕事に従事する必要もなくなり、大学で遊ぶ時間確保する必要もなくなって自由となるので、勉強を受けたい時に大学に通って、受けたく無ければそのままのんびりすればよい形とします。基本的に高校卒業さえしていれば、いつでも大学に行ける形になりますからね。1~2年のんびりしてから行くという選択肢でも全然OKの形になりますからね。
 やる気になってから受けるというのでもありにするのが私の形です。 END
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第1217回 再・教育現場の働き方改革~AI搭載の学校&先生~ [教育]

 さて今回は今問題として報道に大きく取り上げられている神戸の学校での教職員同士での集団暴行等々の犯罪事件に関しての話に対してですね。 子供の事件が止められない背景には、教職員者の方の教育がされていないからという事なのでしょうかね? 狂った教育制度の中での教職員者の資質も既に低迷中でこのような負の連鎖に陥っているという事ですかね。 そしてさらに教育現場のブラック環境も相まってね。 憲法改革の前にここを改革できなければ日本に明日は無いと思いますね。なんと言っても未来の人材を育てる場所がスクラップ置き場ではどうしようもないですからね。

 それで時事に関しては、こちらも安倍総理のクズ精神から来る状況ですけど、北朝鮮の戦艦漁船が大量に日本の排他的接続水域(EEZ)にやってきて堂々と密漁しまくっているようですね。そして日本の船に対しては攻撃しまくりで、日本の警備艇とかにも平気で威嚇攻撃やら挑発攻撃を繰り返しているようで、日本は北朝鮮に舐められまくっている状況で、総理がするのは抗議のみという内容で日本の民を守る行動すらしようとしていない状況で、いつ総理のせいで犠牲者が出るのか分からない売国奴の状況になっていますね。
 日本が密漁船に対して行なう行動は世界ではとっても甘すぎる放水のみで、拿捕も捕まえもせずに追い返す事だけだから、北朝鮮側も安心して日本内で違法密漁しまくれる状況になっているようですね。その上日本の警備艇でも武器を持たない船なんかもあったりして、北朝鮮側はその気になればいつでも日本の船を沈める攻撃をしまくっても、今の安倍総理ならば何も問題は無いと見ているようで、無条件で会いたいとか言っている三下総理だからいくらでも気に入らなければ戦艦漁船で攻撃しても良いし、ミサイルぶつけても良いおバカな国扱いで見ているようですね。 そして三下安倍総理がトランプ氏に泣きつけば、核保有をアメリカに納得させる形で交渉が出来るとも考えているようで、北朝鮮の非核化にもっとも妨害行為をしているのは安倍総理の今の対応状況にあると言っても過言ではないでしょうね。拉致問題を切り札に取っている限り日本というか安倍総理は何も出来ない三下状況だから、日本に対してどんな攻撃をしてもアメリカは許してくれると思い込む状況が出来上がっているのでしょうね。
 つまり安倍総理の今までの対北朝鮮の対応が最低過ぎたから北朝鮮が調子に乗りまくって何も解決できない状態になっているとも言えますね。
 ちなみに無条件で会いたいという行動は、ただ会うだけで終わる事であり、その際に拉致の話やミサイル等の軍事的な話を一切しない事が日本の無条件の内容となるので、それで会う事に日本の意味はあるのか?という状況であり、ただ単に偉大なる北朝鮮トップに会いたいからだけというような誤解を与えかねない行為にしかならず、日本をどこまでも貶めようとする行動にしかならない。それでは拉致問題解決のらの字も出てくる事はない。
 せめて、やってくる北朝鮮船籍を片っ端から沈めまくって、経済的なダメージを与えまくった方がよほど交渉事には有利に持って行ける。(ある意味ドゥテルテフィリピン流?) その上できっちり人命救助はしまくって返しまくれば、困窮度合いは酷くなるだろうしね。

 それではタイトルに再が付いている教育現場の働き方改革について話して行きます。
 まあそれで今問題になっている教職員同士での集団暴行の件ですけど、さらにそこでは追加の問題で子供のいじめ問題も発生しているようなのですが、案の定その問題を放置するばかりか、先生が保護者に対して加害児童は守りますと発言して、被害児童を守ろうという思いは当初なかったという状況が出ていたようですね。まあそれを担当した先生というのが、集団暴行に加わっていた加害教職員だったようで、その先生担当になったのも校長の指示だったようで、体質的に気に入らない奴は集団暴行で殺しても良いような風土だったと言えるでしょうね。つまりその学校全体で気に入らない奴は自由にボコっても良いという風土で教育が行われていたようで、反社会勢力を育てる為の学校なのでしょうか?という状況になっていたようですね。それは前の校長から続いて今の校長にも受け継がれて、前の校長お気に入りの女帝もそのような感じでストレス発散目的で自由に人を傷つけても良いという歪んだ空間を作り上げて子供たちにもそれを教えていたという反社会学校になっていた模様。
 それで1人の若い先生が精神的に被害を受けすぎて休職状況にされて、他にも被害を受けている若い先生多数で、どうにも日本の教職員の数を減らして反社会勢力の人員を増やそうとしたその手の輩が学校に紛れ込んで起きている問題のような気がしますね。まあそこまで教育現場での人材不足が酷いとも言える状況ですけど。
 というか普通に大人なのですし、その加害教職員たちは女帝や校長等も含めて公開処刑でつるし上げた方が良いのではないでしょうかね?特に報道マスメディアの力で。ここでの情報公開は今の時代必要かと思いますね。というかさっさとやらないとまたフェイクニュースでの誰か無実の教職員が社会に殺される状況になりかねないので、無実の人を殺させない為にももっと情報公開の力を上げて行くべきではないでしょうかね?
 そして日本のフェイクニュースの多くは、どうにも犯人側が自分たちへの追求を一時的にでも逸らす目的で、匿名で誰かしらを犯人に仕立て上げて隠れ蓑代わりに使っている可能性もあるので、不確かな情報でネットニュースに上げて拡散希望とかしている奴がいたら、それは案外その事の犯人が隠れ蓑代わりにやっていて犯罪の片棒を担いでくれとやっている事に力を貸すだけにもなりかねないので、情報はきちんと確認して発言していく方が良いと思いますね。
 フェイクの裏には犯人が仕掛けた罠が隠されていないとも知れませんからね。そしてそれに引っかかる正義面したバカも多そうですが。実はそれが犯人と協力する事になるかもしれないのにねという状況でね。 匿名とかなら、犯人がわざと嘘情報を流す事だってできるでしょ?そういう事も考えられないバカが多いのかね?この平和ボケの住人共は。

 それで教職員の暴力系の問題では、何やら奈良の方でも発生している模様で、こちらでは4人の先生が精神的な状況で休職に追い込まれたという事が発生している模様で、人だけが行う学校教育現場での子供を守れて教職員の先生たちも守れる環境は作り上げる事が非常に難しい状況になっていると言えますね。 その上で全体的な学校の仕事状況のブラック化によって、先生の成り手が激減しているようで、もう少ししたら子供の数の減少が理由ではなく、先生の数が足りない事での廃校に迫られたり学校統合になったりする可能性が出てき始めそうな状況という事で、教育現場全体での重大な危機が訪れ始めているようですね。 これでもまだ人だけの教育現場の形こそが最強だという人至上主義で行くつもりですか? 私には到底理解できませんね。もっと便利な形で子供も先生も守っていける方法があるというのに、問題だらけで隠蔽しまくって殺しまくる人至上主義の教育こそが正しいという反社会的人殺しブラック教育のどこが良いというのでしょうかね?

 やはり強く人を守るという方向にしていきたいのなら、AIを学校教育現場にも強く勧めて導入させていくべき事柄でしょうね。独民においては小中高校の完全無償化&教育体制の見直し含めて確実にさせる方向で考えていますからね。
 子供を常に見守って集団暴行などを未然に防いで行く為には、常に見て守る事の出来ない人ではなく機械でありAIがその立場に就く事が大事だと考えますね。
 この考えの大部分は既にAI搭載の学校で話している内容であり、だからこそタイトルに再という言葉をくっつけて出しているという理由なのですけど、それに加えて一部の担当教育科目などに関しても担当の先生を学校のAIで行わせられるようにして、確実な基礎などの教科書通りや模範的な所などに関してはAIに任せて、その他の応用的な所や補助等を人の先生が行ったりするという形での負担削減&教えやすさを上げる方向にして行った方が良い気がしますね。それでその形において、教育用のデバイスを基本とさせる形にすれば、1人1人に対しての分からない所への対応をしやすく出来て、全体的な勉強効率を引き上げる方向にさせる事が出来るでしょうね。 そして人の先生では先生の都合や好き嫌いなどで対応が分かれたりする事もあるでしょうが、それが機械であるAIならば子供でも非常に対応しやすく、分からな所や不安や悩みなどを聞き取りやすい方向に出来て、勉学面の不明点を聞きやすいだけでなく様々な面においても頼りやすい形にする事ができ、そこからAIの判断で別の専用の窓口などに繋げて行きやすいようにする事も出来るので、学校にAIを導入させて先生の代わりも務められるようにすれば、総じて子供の安全を守りやすい方向に繋げて行く事も出来ますし、何ならある意味おせっかい機能として友達作りに有効に働かせていく作りをする事もAIの形でなら可能でしょうね。(好きな教科や趣味などの情報で学年超えて友達になれそうな子供たちをマッチングさせていくようにするという事も出来るのでは?もちろんその上で本人たちの意志が最終的には必要という事も含めてね。)
 そして学校搭載のAIならば、子供たちの状態変化には常に気を配れる形にしやすいですし、学校近辺含めた状況も確認しやすく、いじめや嫌がらせに集団暴行のような状況の対応も学校内ではほとんどさせない方向にしたり、問題事にも人とは違って隠蔽しようなどという私情は無く対応させて行けるので、非常に今よりも守りやすい形に出来ますし、先生たちの状況でも学校内においては同じですし、ついでにAIの形から瞬時にカウンセラー等に話せる機能やら警察等に相談できる機能等を追加すれば、対応率は非常にやり易くなると思いますけどね。

 人だけでは命や安全が確保できないのであれば、機械にAIに補助をお願いして行ってもらうという方向性で動いていく必要があるという事ですね。特に子供の健やかなる成長を教育現場でしていきたいのなら、学校全体にAIを搭載させる事は今の時代必須だとも言えるでしょうね。教育者が子供を必ずしも守る事をしない最低な時代ですからね。
 人だけで行こうとすれば必ず死者は出るし間違った教育の下未来が荒れて行く事になる。それで日本が下支え崩壊でも構わず治安が悪くなって高齢者を殺しまくる時代になってもかまわないというのなら、どうぞ人至上主義で教育現場をこのまま黒く染め上げて行ってください。
 最早平和的な守っていきたいのなら、機械のAIの力を借りなければ守っていけないほど日本の教育現場は崩壊しているのですよ。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 教育現場の働き方改革~終了~AI搭載の学校&先生





























 それに、AIならば知識を教えるという行動は人よりも遥かに優れていますから、学校のAIを育てて行きまくれば、やがてどんな子供たちの教育方面の悩みにも瞬時に対応して行けるようなAIを作り出して、子供の勉強効率を限界以上まで高めさせる事も出来るでしょうね。人だとその道の専門家以外は無理ですが。少なくとも普通の学校教師では無理。
 あとは5G使って離れた場所同士をネットで繋ぐ方法とか、ネットの学校やらVR登校等も出来るようにすれば、いろんな場面で対応していけるようになる。 全部機械の力ですね。アナログだけの寺子屋式は既に時代遅れという事ですよ。 END
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第1174回 子供の宿題「自由研究」 だが現状は無意味な強制研究 [教育]

 さて今回はこの時期の最近の報道でもたまに話題に挙がる子供の自由研究についての必要性や意味に関しての話をしていきます。本来自由であるべき研究課題を宿題として強制させる行為自体が自由研究には当てはまらず、また短期間で結果を求められる事に果たして研究の意味があるのか?という事に関しても話して行く予定です。

 さて時事に関しては、韓国絡みでまたいろいろ発生している模様ですね。韓国側は結び付けたくないのでしょうけど、韓国内で韓国人男性から日本人女性観光客に対して罵声や暴行があったという事で騒動になっていますが、まあ普通に考えてこの時期から見ると、熱心な反日系の人がやらかした事件である可能性が高そうですね。 同じ韓国人に対しても圧力掛ける奴らなら日本人を見つけてちょっかいから何かしでかす可能性は高そうですからね。
 まあ熱心な反日系の韓国人と出会わない限りはそう起きない現象だとは思いますけどね。普通の状況では、そうする事における韓国側の印象が悪くなる事を考えて、今の時期では特に出来ないでしょうからね。 それと関係無いのは日本と仲違いしても全く関係無いとする熱心な反日系の人達でしょうからね。 どの行為が韓国の為になるのかの違いであり、今回の件で秘密裏に何事もなかったで終わらせれば、反日による人種差別から起きた事件という事になりそうですけどね。そこまで韓国警察が反日に染まっていない事を願いますが。人種差別は法を超えるとかやったら世界的に見て終わりですからね。
 また韓国においては、日韓両者が領有権を主張する島に関して、韓国側が対日本戦を想定する形で防衛訓練をしたようですね。 状況的には日本が再度攻めてくる事を想定しての形になっていましたが、これを命令させたトップは明らかに日本と敵対する気満々だという遠回し的なアピールとしてもやっているのでしょうかね。
 最早完全に反日挑発行動であり、北朝鮮と共に攻め滅ぼすぞとか言う意味でもやっているのでしょうかね? ただその北朝鮮は韓国領土の方を標的に訓練しているようですが。
 基本的に先制攻撃で多少でも領土拡大が狙えるとしたら、バカにウェルカムしている韓国の方ですからね。日本側では先制攻撃にもならないし、同時に距離的にアメリカをも刺激する事になるから、アメリカをなるべく刺激しない形では、対韓国向けに侵攻作戦を練った方が良いでしょうかね。 それは朝鮮統一の為の行動でもあるとしたら、今の韓国は侵略を受け入れざるを得ないような状況になるかもしれませんしね。

 それでは本題の今は子供の夏休みの宿題の1つにされている自由研究についての話ですけども、現状は子供たちに対して自由な研究において様々な知識や体験を知ってもらうという意味から親も強制参加で宿題だからやらなくてはいけないという強制の意味が強い研究になっている印象があり、様々なキットの登場や代行の登場などで、その存在の意味自体も危ぶまれている状況にありますね。
 そもそもこの自由研究というものを夏休みの間だけで完結させなくてはいけないというルール付けをしている時点で、本来の自由研究という言葉の意味から反している状況で、宿題として強制的にやらなければいけないという事から本来の自由研究の趣旨からも外れている状況にあり、今のまま続けさせても特に意味は無いと考えますね。
 それにこの自由研究に関して国はやる事自体を必修とさせていないようで、それをやらなければいけない必修にさせているのは各自学校の方にあるという事で、厳しい制限化で無駄な事をさせている状況にあると言えるでしょうね。

 これを基礎研究とかの話に当てはめると、基礎研究舐めるなとか言われる内容に当たり、夏休みの1ヶ月くらいで完成した研究結果を求められるとか、今の横暴国家(日本)が求める研究期間並みに少ない状況であり、研究と呼ばれる物があたかも短期間で済む物ばかりと錯覚させてしまう状況にあるのは由々しき問題にあると考える。 それが国にも波及しているのであれば、総じて日本の研究状況における問題が幼い時から発生している事になる。
 普通の研究でも数ヶ月かかる事は普通であり、研究という事は発展途上でも研究中で該当される事で、研究が必ずしも成功するだけとは限らない事も覚えさせる必要の意味もあるとすれば、簡単な成功体験だけしか与えない研究に何の意味があるのでしょうかね? それもかなりの部分では親が補助したり大部分を親がやったりしている状況になっていたりもして、子供の自由研究という枠組みからは既に大きく逸脱しているようにも思えますね。
 さらに言えば、自由研究と称している割に夏休みの期間だけに絞る行為もどうかと考えますね。時期的状況が夏休みの長い間が最適だろうという思惑は理解しますが、本来の自由研究の意味では子供に様々な自己欲求の形から疑問などに関して自己研究を自由にしてもらって様々な知識を得たり体験をしてもらって学習や興味を持ってもらうという事のはずですが、それを夏休みだけに絞らせるというのは、その時点で自由ではないでしょうね。本当に自由にしたいのならば、1年の間で自由に自分の興味のある事に対して研究してもらって、研究途中でも良いので自由に発表したりする状況が良いのではないでしょうかね? そして研究課題によっては、数年掛かりでやっても良い状況として最後まで研究続きでも良いという事にすれば、それも立派な自由研究に該当して、夏休みだけの物よりも有意義な自己研究の形にもなりやすいのではないでしょうかね。
 まあそして自由であるからこそやりたくなければやらなくても良いけど、やった分に関してはその状況に応じて褒められたりその研究においての詳しい分野での話が出来る機会やさらに深く研究していけるような状況が作られて己の強みを高めて行けるという形になるのなら、それは何らかの形でやる事に対して意味ができ、本来の自由研究においての学習の意味合い性が高められる事になるのではないでしょうかね。 人によって何かに興味を持つ時期はバラバラなのですから、無理やりやらせても時間の無駄になる可能性も高いというものですよ。
 そして親はあくまで子供が研究したい事のサポートに努めさせる程度に留める事も必要ですね。親が出しゃばっても子供の為には決してなりませんからね。

 だとすれば自由研究と呼ばれる物は必ず1つでなくてはいけないという決まりも無いでしょうね。1度に複数やっても良いでしょうし、途中で切り換えても良いでしょう。さらに研究する時期が夏以外にも使って良いという所でなら、より様々な時期での研究や年間を通す形での研究等もさせる事ができ、必ずの結果を求めない形であればさらなる発展へと進ませやすく、さらにいろいろな事への興味や体験に進ませて行かせるような事も出来るので、短期間打ち止め式の強制研究よりも期間も自由に研究途中の方がさらに可能性を高められる形の方が子供に対しての様々な知識の習得や興味を持ってもらう事に関しては効果的な学習方法になるのではないでしょうかね?

 まあそういう事では、その時に1番好きな事に関して自分で研究しながらも続けていっていろいろ勉強していく事で、その事を記録に残して行って提出するという感じでも立派に自由研究になると思いますけどね。 その時に1番好きな事であれば、研究と言っても嫌な気分無しに出来るでしょ?
 ただその状況に置いて知り得た知識や結果どうなって行ったのか等を記録に留めさせておいて、そこからさらに発展させたりその状況自体でも自由研究においては当てはまる状況となるでしょうしね。自分が体験して得た知識という意味ではね。
 そういう風に考えると、実は自由研究というのはとても簡単な内容であったりもしますね。 ただ、そういう事にはさせない強制的で自由を阻害する枠組みでがんじがらめにされた宿題としての物がやたら多いだけでね。

 本当の自由研究としての教育をさせないのが、今の強制的宿題としての自由研究となりますね。
 短期結果主義の社会が自由研究の形も歪めているのでしょうね。それでは本当に良いとされる研究はほとんど成功しないというのに。
 今の日本の研究成功者たちも長い年月においての基礎研究等から成功しているケースが多いというのに、今の日本政府は短期結果主義の形で世界的な成功研究を潰そうとしている状況にあり、それに警鐘を鳴らす日本の研究家は多い状況にありますね。 研究というものは短期だけでは成功を成し得ないものであるからね。
 ついでに言えば失敗の先に成功がある事も多いので、成功しかない研究には意味が無いとも言えますね。(大した物が出来ない。) 失敗の先に学ぶ物が必ずあるのが研究ですから、子供の自由研究においても失敗のその先を学習させていく形が必要であると思いますね。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 夏休みの宿題~終了~自由研究





























 ちなみに私は夏休みの宿題をまともにやった記憶はほぼありませんね。少なくとも普通の計算ドリルとか以外の特殊な夏休みの宿題はした経験がありませんね。なぜなら私は高校行くまでほぼ不登校でしたからね。(笑) それでこんな知識深い形になっているのだから世界は不思議ですよね。
 というかまともに普通の学校授業受けていない時間が多いからこのような形になったとも言えますかね。この既存の枠に当てはまらなすぎるこの形にね。
 だから言っておきますが、真似してはいけませんよ。真似させてもいけませんよ。私は完全に特殊なのでね。私のこの形はその状況で壊れたからこうなっているのですから、普通の人が枠に当てはまらないように勉強して行ってもあまり意味は無く、それが特化しての形なら良いでしょうが、方向性も定まらない形では止めておいた方が良いですね。 END
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第1089回 たかじん委員会 教育授業編 教育目的なら必修よりも選択制 [教育]

 さて今週もたかじん委員会の話で行きますけども、今回の話は主に新規授業体系における教育での是非の論でしたかね。
 まあそれで基本的に取り入れるのは構わないのですが、それを全員に押し付けるのはどうかと思いますね。遊びの範囲であるならばよいのですが、それに点数や成績を付ける段階までも全て必修にするならば、それは子供の成長と教育に対する無駄な効果になりやすいという話で行きます。
 ついでに今の先生たちの負担過多な状況を抜本的に解決させていく方法もいくつか話して行く予定です。そうしないといずれ日本の先生の成り手が居なくなる可能性がありそうなブラック状況すぎますからね。先生に万能を求めようとするのなら、その代役は機械(AI)がふさわしい。それが嫌なら先生たちを使い殺すしかなくなる。機械はダメで人殺しはOKな学校教育こそ問題ではないでしょうかね?

 さて時事は学校関連にも少し関係のある神奈川県で発生した自殺目的での児童殺傷事件の話ですけども、いろいろ情報が出てきだして、犯人の昔の子供時代の経歴や今の状況等で、苦しんできた背景と今の終わりが近い経済状況や生活状況の件を含めて考えたら、どうせこのままでは近い内に今の生活に終わりが来てみじめな死を待つしかないのなら、過去の養育者達からのいじめや差別の恨みと、それで優遇されていたいとこの状況で、その出身校の学園に狙いを定めて、昔その犯人が手に出来なかった幸せを得ている子供たちに自分が味わった苦しみを少しでも味合わせようとして、そのまま死ぬ目的で最後の華々しい形で大々的に世間に取り上げられる最後としてのあの犯行に及んだという辺りが最も今の状況では近い動機になるのでしょうかね。
 それが正しければ結局は負の連鎖から来る状況でもあり、社会的経済的格差がある今の状況から来る犯行でもあるという事になるのでしょうね。
 最後に犯行に駆り立てた事は、多分今の状況から見る生活面の不安だったという事でありましょうし、その他の主だった事件となる生活苦で死のうと考えて包丁持ち出して警察官に撃たれて死んだ男性もまた同じような事が引き金で起きた状況ですから、今回のような事件の発端にあるのはそこであると言えて、やはりそれらの問題において今の生活保護や年金の制度だけでは、そういう犯罪に駆り立てさせてしまう状況にあるという事だから、やはり私が提唱する衣食住最低保障の制度がこれらの犯罪の最大の抑止に繋がると思いますけどね。 日本国民が等しく普通に受ける事の出来る生きる事についての保障を担うこの制度こそが、こういう生活苦から来る自殺目的の犯行を止める抑止力になり得る物だと思うのですけどね。 結局は貧困が生み出した事件であるという事であり、前に言った通り富裕層と貧困層の戦争の形で今回子供たちが被害に遭ったという事なのでしょうね。
 それを作り出している社会を何とかできない限りこのような事件の発生は絶対に防いで行く事は出来ないという事でもあるのでしょうよ。
 問うべき言葉は、社会において大事な物はお金ですか?命ですか?

 という重苦しい時事から、これまた話的には少々重い学校教育での授業体系などの話に、先生たちへの超ブラック状況の対策の話などをしていきます。
 それで今回の教育授業での話は主に最近増えたり増やす予定のダンスと英会話とプログラミングの授業についての是非等を論じて行く形になっていましたが、私としては今回これらに個別に話して行くような事はせず、まとめて切りますが、遊びの延長線上として楽しく覚え込ませるレベルの段階であれば全部OKだが、点数を付けたり優劣を付けたりする段階においてまで必修で行かせる事には反対の立場ですね。 それらは選択であればよくて、子供たちが学びたいと考える事を学ばせていく方向性での自由性を持たせていくべき授業の形だと考えます。
 というか全部万能に詰め込ませようとしても実社会ではあまり役に立たない大人にしかならない可能性が高く、万能型であればAIに完全劣るでしょうから、それこそ就職先が無くなる状況に陥らされるだけでしょうね。さらに言えば、その詰込み授業によって授業時間を長くさせたりしたら、子供の自由な発想能力等が削られる事になったり、遊ぶ事のコミュニケーション能力が削られる可能性に繋がる恐れもあり、授業としても平均化させなくてはならずにそれぞれが中途半端な所で終わる可能性も高く、それこそ無駄な教育体制で中途半端な教育に終わって社会で使えない状況にされる可能性が高くなるでしょうね。
 そんなのは最早教育と言って良いのかというほどの無駄体制でしかなく、教える側の先生たちの負担も増やされまくって、先生の数が減る一方でのさらなる教育体制能力の欠如にも繋がって行く事になり、日本の教育体制の破滅を迎えそうな感じにも見える状況でもあると言えそうですね。
 というかそれでストレスが溜まるから、発散目的で子供に手を上げたり、いじめを無視する状況に繋がっているのではないでしょうかね?
 さらに言えばそれぞれの必修における強制授業での強制優劣の付け方で、いじめを助長させていくような形になるのでは、子供を殺して行く為の授業体系とも言える話にもなるでしょうね。
 それが正しい形だと言えるのでしょうかね?
 知っていますか?必修と強制は学校授業においては同義語にもなり得る言葉であり、それを無理やり押し付けて覚えさせても、効果は見込めないという事ですよ。それは教育ではなく、罰と同じ形になる。今のやり方では子供に罰を与えていると同義にもなるという事である。

 まあとは言え、基礎の基礎の部分は教えさせる必要はあるのだが、その際には点数や優劣などは付けない形で、遊びの延長線上の話として楽しみながら覚えさせていく形に出来れば、学校授業における最低限必要な所の勉強は賄う事が出来るでしょう。
 基本はそれで良いのですよ。後は子供たちが学んでいきたいと思う授業に集中させて特化して行く形で学校がそのサポートをしていくという形の教育体制に持っていければ、子供たちの成長はどんどん高められていって、それぞれがそれぞれの形での極めるべき頂点に向けて高みを目指していける形の教育状況になって行くでしょう。 それこそが教育体制において必要な事なのではないでしょうかね? ある程度型にはめさせたらそこまでかそれ以下にしか育たないが、最低限の形を本当に少なくして、あとは全部子供たちが自分から学んでいきたい物に焦点を置いて学校が全力でサポートして行く形に出来れば、それは教育の状況として天井が見えない形でどこまでも上を目指して行く形で教えて行ける教育体制に出来るのではないでしょうかね? それこそ、今の社会が求めている子供の成長の形ではないでしょうかね?
 私はその形が日本の教育体制として必要な事だと考えますね。

 ちなみに学校での運動に関しては、ダンスとか武道とか固定のスポーツだとかに型をはめさせるのではなく、体を動かして基礎体力を上げさせる事が目的ならば、どんな運動の形でも良いという事だから、それぞれが個別にかなり自由に選んでいく事が出来るような形にして、その上でそれぞれにテスト的な所に自分なりの目標を立てさせて、そこに向けて運動をさせて行くという事にさせて、その練習結果なりを先生たちが見て判断するとか言う所にしたら、別に先生たちがそのスペシャリストではなくても、ある程度の判断は可能でしょう?という事で運動状況での基礎体力の形は見極められるようになるのではないでしょうかね?
 その形においては、パネラー人達も言っていた劇の形式を取り入れたりする事や1人でも簡単に運動が出来る辺りで、縄跳びやらフラフープとかも入れたり、各種スポーツ等も取り入れさせたりして良いのではないでしょうかね? 個人やグループごとにそれぞれの目標立てを宣言して、それを先生や親しい友人などに見せて判断してもらうような形にすれば、別に先生がそれら全部に合わせる必要もなくなって、ある程度楽に仕事が出来るようになるのでは? そして子供たちとしても自分が出来る程度での好きな運動の形で行く事が出来るので、優劣は付きにくいし、好き嫌いで分けられるので、好きな分野を伸ばす事にも繋げて行ける。特にスポーツ選手系にとっては、この授業時間は全て自分の目指すべき道の為の時間に使えるようになるので、強い選手が生まれやすい授業の形になって行く。
 それで大事な事は、学生にテスト形式での自分なりの目標を立てさせてクリアできるかどうかで判定して行くという事ですね。 ちなみにその目標に関しては、ある程度今の状況を先生も判断して適度な感じの所で決めて行くという形にすればよい。つまり高すぎず低すぎずな形であれば、良いという判断な感じですね。ある程度の練習で基本的な体力が付きそうな段階の所を最低基準にしたら大体分かりやすくなるでしょうかね。
 そして結果は目標を達成できたかと、体力の付き具合で判断したらよいでしょうね。
 基礎体力が付く事が目的ならば、この方法で十分だと思うのですけどね。

 それで最後に今の授業体質などで先生たちに負担がのしかかり過ぎて相当ブラックになっている件に関しては、簡単な解決策に関しては学校という施設に専用のAIの形を置いて、各先生たちの仕事のサポート等を行なってもらうような形に出来れば、今の状況から見ても50~60%ぐらいは軽減できるでしょうね。 詳しくはそのAIの学校施設の回から見てもらえれば良いのですけども、教科書に載っている範囲での授業形式でなら、別に先生がやらずともAIに任せる事は十分に可能であり、その他の子供たちの状況の見守りや書類作成などのサポートに学校警備等も含めて全部AIのサポートでかなり賄えるでしょうから、先生の負担削減から今の学校の問題状況の改善にはかなり役立てられるようになるでしょうし、先の特化型授業形式においても、AIである程度まではサポートする事も出来るでしょうから、その辺で止まる心配もあまり無くしていく事が出来るでしょう。
 そして追加のシステムとして、各種の専門的な先生たちが少ないという件に関しては、今のリアルタイム映像通信で大きく投影させる機能を使えば、離れた所にいる専門の先生の教えを離れた所にいる複数の学生が学んでいく形にする事ができ、それによるネット繋ぎ型での合同授業形式で、距離的な問題を無くして、より高みを目指せる先生たちの下で教えてもらうような形にしていく事は可能となるでしょうね。
 そこに居る先生たちだけで賄う必要は無いのです。教える事だけが目的ならば、ネットで繋いでリアルタイムで投影させて、受け答えできるような状況で1つと複数を繋げれば、1人の先生から全国各地の複数の学生が同時に教えを受ける教育体制にする事は可能となるでしょうね。
 こういう形でならば、今の先生たちの数の少なさはある程度カバーして行く事ができ、1人の先生に万能さを求めさせる形で負担を押し付けて行く必要性が無くなる。

 ちなみに忘れていた所で、学校授業の英語に関しては、これまでにも何度も言っている通り、別に直接英語を話せる能力が必須にする必要はなく、便利な機械でかなり補っていく事が出来る状況になっているのですから、必要とする子供だけが学んでいく形で十分だと思いますけどね。
 今の時代スマホなんかでしゃべるだけでも自動翻訳されたりする状況ですからね。昔とは科学技術の進歩の状況は違うのですからね。 そしてそれの耳掛け版等も出来ていたりする状況ですから、それがあるのに英語や英会話は必修だというのは道理が付かないと思うのですけどね。
 そしてそれで日本語が満足に話せない日本人はありなのでしょうかね? 自国の文明言語を滅ぼしてまで、英語にこだわる必要性はないと思うのですけどね。そこまでアメリカの植民地支配を受けたいのでしょうかね?
 むしろそれをやるぐらいなら、国語の中に地方それぞれで独自の方言を学べる授業とかをやったら面白いのではないでしょうかね? 日本語を学ぶという意味でも、独自の文化言語を守るという意味でも面白い授業の形に出来るのではないでしょうかね? もちろん選択制ですよ?
 ついでに言ったら、その流れで全世界全ての言語を自由に学ぶ機会があっても良いような気もしますけどね。外国語の最初が英語である絶対性はないと思いますし?


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 たかじん委員会~終了~教育授業 必修と選択制





























 自分の好きな事や目標に向かっていく時が、1番やる気が出せて頑張って覚えて行こうとする事が出来る状況であり、それを作り出して行く事が出来れば、教育においては最高の状況であるとも言えて、それを作りやすい形が私の教育理論の形であるという感じですね。
 そして基礎の部分は、全部遊びの延長線上ならば、無理なくそれらを覚えさせていく事ができ、それらをあまり負荷に考える事もないでしょうから、成長の妨げにもなりにくく、基礎を学ばせやすい形となる。 なので、その基礎の際には点数などを付けずに、どれだけ楽しく覚えて行けるのか等を重点に行けばよい。 それにおいては、点数形式ではなく、遊びの延長線上として、取り込む形で学ばせていくのが良い形となるでしょうね。 END

 ちなみに私は教育者には向いていません。特別講師とかなら良いのですが、理由としては、私の苦手な事として人の名前を覚えられないからですね。2~3人でも数ヶ月かかるというのに、10人以上だと、覚えられる自信がない。なので無理。覚えなくても良いなら別だが。
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第978回 氷の城 精神破壊のメンタリティ試験 !学生の閲覧のみ危険! [教育]

 さて寒さ厳しい3連休の最後に私的頭の休憩がてらに時期的にかなりシビアで危険なネタの復活版行きます。 そして今の時期的に学生には見るに堪えない言葉が怒涛の様に溢れかえる内容になるので、重々ご注意して精神的に余裕のあり、また時期的に無関係な状況の時に閲覧下さい。 ある意味学生さんにとっては超大暴言祭りなこの内容ですからね。
 ただしこのメンタリティ試験に関する内容は、ただのお遊び的な物ではなく、私がそれなりの地位に付けたら実行して見たい物の1つにある事は知っておいていただきたい。(笑)

 それで本日の時事に関してもこの寒さ厳しい時節に関する話ですけども、私が住む大阪でも雪が降るほど寒い状況で、東京も大雪ではないにしろ凍結大パニックは普通に起こしていましたね。 つまり見た目は大雪ではなかったけども、道路の上では大雪になっていたという状況だという事で、天気予報は完全な外れではなく、捉え方としてどこが大雪なのかの違いなだけという事でしょうね。 その意味で、大雪によるトラブル事故は東京で頻発していたのだから、東京は間違いなく大雪の災害に見舞われたのでしょうという事ですね。 まあでも雪国から見ればそれはすごく軽い小雪ぐらいにしか見れなくて、東京が相変わらず雪に弱すぎるというだけなのですがね。 地球の環境を氷河期に戻そうとしたら間違いなく東京は壊滅するでしょうね。(何も対策しなければ。)
 ちなみに私は高校が山奥だったので、雪国にはわりとなれています。
 まああと危険視する所は、雪などによる路面凍結でのスリップ等は、自動運転の車でも予期して対応する事は難しく、またそうなった際の対処もまず難しいでしょうから、その辺りの事も加味して自動運転は考えないと、自動運転だから大丈夫と思って事故多発なんて目も当てられない事になる可能性もありますからね。 装備をきちんと整えていても滑る可能性があるのが自然の脅威なのですからね。 まあ私が指し示す対策が出来れば、そんな心配はする必要すら無くして行けるのですがね。 ああ、散々言ってきたのでここで言うことは無いですよ。知りたいのなら、過去を見直してください。

 それでは私のドS的な観点からも頭の休憩にも繋がる学校系の試験に際する精神破壊のメンタリティ試験の話に勢いよく滑って参ります。
 まずこの話はかなり以前にも話していましたが、さらにレベルを上げて舞い戻ってきた回となります。 前回は回避難しい所で話していましたが、今回は回避不可なレベルでの内容となりまして、確実に仕組みとしても話の中でも「滑る」「落ちる」「不合格」等々のマイナス要素の言葉がこれでもかと含まれています。 それによる既存の合格祈願系の神頼みや精神支え的な物を木端微塵に打ち砕くというか、心を折りまくって打ち砕いて粉々になった所で風に流す的な所位までの内容になっています。 要は合格精神を綺麗さっぱり流して何も無くさせる的な内容ですね。
 ただ、これを突破出来れば、その時点であらゆるマイナス要素の逆境に打ち勝てる精神を持つ事に繋げられ、より強靭な精神力を鍛えていく事にも繋げられるので、よほどの状況でもくじけない不屈の精神を持つ学生に育て上げる事は出来る試験となるでしょう。 まあ私の場合は、エキスパート教育においての豪華待遇を無料で受けられる私学という感じで設立させる目的なのですがね。 それは見て楽しむ系の余興も兼ねた精神破壊のメンタリティ試験でもあるという事ですね。 まあ、見ている人にも十分そのマイナス効果は嫌というほど味わう内容ですが。

 それで試験の中身に移って行きますけども、この試験は会場となる場所の試験を行なう空間に辿り着く前から一定の内容は始まる形になっており、挑む先は氷のお城というとても滑り易そうなネーミングの場所に挑む所から始まっています。 要はそこに挑もうとする段階から精神攻撃が始まっているという感じですね。
 そして入場門に入ってすぐの場所から問答無用の回避不可の超難関試験が始まるわけですが、まずは会場の入り口に行く前の門との間には、屋内式のスケートリンクを用意して、スケート靴が用意されてそこを普通に滑って進む所から始まります。 もうこの時点で、滑っていく以外に道はなく、そこを通るだけでもじわじわと精神は削られる事となり、さらに滑りこけるとさらなるダメージを負う事になるでしょうね。
 そしてようやく滑り終えて受付を済まして中に入ろうとした先に待っている物は、巨大な穴であり、下にふわふわのクッションが敷き詰められている所で、係員の指示が「この先に進む為に穴に落ちろ」という内容で、落ちなければ先に進む事が出来ない状況で、もう1つの用意された選択肢として、滑り台による滑り落ちる選択肢が用意されているだけとなる。 最初に滑って次は落ちる事が回避不能で用意されている状況は、通常精神にとって絶大なダメージになる事でしょう。 しかもこちらに関しても、試験場所に行く為には自分から進んで落ちていく事が必要になりますから、自ら望んで落ちる為に行くというキーワードは、相当な精神的ダメージに繋がる事でしょう。
 それでまだ終わることは無く、その後の地下通路内における場所には、至る場所に他の場所等からの不合格系のお言葉がびっしり書き並べられている空間を若干迷路のように歩いて進む空間になっており、例えそこを目を閉じて進んだとしても、地上の試験場所に行く為のエレベーターには、パスワードとして不合格話の中に潜まれた数字を入り口から順に打ち込んで行かなければ移動できない仕組みとして、嫌でも見なければ先へはいけない仕組みにします。さらにそのパスワードを打ち込む際にも「不合格」「滑る」「落ちる」等々のワードがランダムで正解の際に表示されるようにして、これでもかというほどのマイナス言葉で精神攻撃が成されます。

 そして目的地の試験場所に行く為の最後の関門として用意されるのは、マイナス要素が存分に込められた流しそうめんキャッチに挑戦してもらい、最高計5回のチャレンジにて挑戦してもらい、失敗するまで5回分続けられて、最後の5回目をクリア出来たらマイナスに打ち勝ってそれまでで試験に挑めるようになりますが、普通に失敗してそうめんが滑って流れ落ちて不合格に叩き落された現状を見ながらでも試験場所には挑めるようにします。 要は自分の実力にて、流しそうめんの運を掴み取る事が出来るのかの試験となっていますが、最初は掴みやすい状態で流れてきますが、次第に塊は小さく麺の長さも短くなっていき、水の流れも勢いよく流れ落ちる状況になって行き、そして最後には激流の速度で長さ1~2㎝のそうめんを掴めという99.99%不可能なチャレンジとなっており、どう足搔いたとしても勢いよく運を掴み損ねて滑って取れなく運を水に落として不合格まで叩き落したという事実だけが残される状況になり、その後、落とした不合格の運を不合格者ゾーンできっちり食べてもらってからの試験場所にようやく入れる次第となります。 まあ大体この時点で合格系のやる気はきれいさっぱり真っ白になるでしょうね。 しかし試験としてはまだ終わらない。

 それでこの後に待っているのは普通に教科ごとの試験が待っているのだが、試験場所においてはあちこちに滑るや落ちるが連想される物体や絵が飾られている状況で行なうのだが、直接的な試験はそこに非ず、試験問題の方に用意されている。
 その試験問題というのが、最初に中盤にラストの所で用意されているお馴染みの「滑る」「落ちる」「不合格」に関する言葉の入った問題が出ており、意地でもここを正解しないと合格ラインに入れない問題内容と点数配分になっている。 要はなんとか移動に関する精神破壊のメンタリティ試験を抜けた先で待っている物が、自分で答えていく問題にもふんだんに用意されており、それらをきちんと見て正解に繋げられないと合格基準には絶対入れない試験の枠組みとなっている。
 そして国語と英語の問題としては分りやすく、単語によるマイナスワードの穴埋めと文章によるとある受験生が滑り落ちて不合格になるまでの出来事を語る問題に答える内容となっている。 つまり問題の文章とは言え、それを不合格にしなければ自分が合格できないという酷い精神攻撃の内容である。
 そして次に数学だが、こちらは時間内に滑り落ちる為の速度や時間の計算問題に目的の滑り落ちる為の角度計算などの問題で問題の対象者を不合格に追い込む事が正解に繋がる問題にする。
 次に社会では、主に歴史上の人物が消えてなくなっていくタイミングの話や戦争に負けた側の名称問題に世界の滝や崖の名称を当てる問題等で構成されるようにする。 そして文章でも落ちるや敗北を意味する言葉がふんだんに用いられるようにする。
 最後に理科においては生物等の終わり方や滑る事や落ちる事の科学的文章に関する問題にしたり、滑りやすい物質の性質の問題等にする。

 という感じの内容で試験問題を構成させて、精神破壊のメンタリティ試験の終了とする。

 そして合格発表の際でも、先に不合格者から公開するという感じで、そこに番号が無くて確認してからの合格発表となる。 ちなみにここを勘違いして番号が無いからと帰っても不合格扱いになる。 つまり最後の最後までメンタリティ試験は続くという感じですね。全てにおいて普通とは違う内容においてね。


 それではここまで見て頂きまして誠にありがとうございます。
 精神破壊のメンタリティ試験~終了~「滑る」「落ちる」「不合格」「残念負け組確定」
















 さて、今回の内容自体も相当な精神破壊のメンタリティ試験のような内容になっていますが、きちんと文章飛ばさずに読んでここまで来られる人はどれ程いるでしょうかね。 まあ受験や試験に関係無い人は割かし平気でしょうけど、少しでも関係ある人は普通に閲覧自体も出来ないでしょうね。(笑)
 そしてこれが現実の物として用意されて、その先に豪華待遇が待ち受けているとしたら、果たしてどれ程の学生さんがここに挑戦しようと挑むのでしょうかね。 絶対に普通だと心折れるでしょうから、存在自体を無視したいと思う人も出てくるでしょうけどね。 そして開催時期は、他の試験の日の平均よりも早くして、ここに挑んだが最後…他の所にはまともな精神で挑めないような過酷な感じにさせますかね。逆に気分すっきりするかもしれませんが。 だからこそ全てにおいて冷ややかな氷の城という名の試験状況という事ですね。精神に対する凍え死ぬほどの吹雪の嵐。
 END
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